『炊き出し』

山田 恵美子(南山教会)
2009年7月

 私は暮林神父に誘われたのをきっかけに4年程前から炊き出しに参加しています。今では沢山の方の野宿者と会話を交わすまでのコミュニケーションがとれるようになりました。竹谷神父を中心に南山大学のサークル(アヴァンギャルド)、教会の方、興味を持ち来てくれる方で毎週木曜日に福神館で準備し矢場町高架下で配食してます。19時から20時までは野宿者との交流(カラオケ、スマートボール、将棋等)し20時から配食です。

 炊き出しに参加するまでは野宿者に対し怖い・汚い・臭い・酔っ払いなどといった偏見の目でしか見たことがありませんでした。また、なぜ家がないのか・なぜ働かないのかといった疑問もありました。私はいつから野宿者に対し偏見の目を向けるようになったのだろうか。私(保育士)がクラスの子どもたちと公園に行く途中、空き缶を沢山持ち自転車に乗る野宿者とすれ違いました。その時、「せんせーい!あのおじさんすごいね!!あんなにいっぱいゴミをもってのってたよ!」と言った子がいました。その子はお母さんの自転車に乗って登園して来ているので、お母さんより凄いと思ったから声に出して言ったのでしょう。子どもは野宿者に対し偏見がないがために出てきた発言だと思います。保護者・周りの大人が野宿者に対し偏見を行動・言葉にすることで子どもにも影響を与えているのだと思いました。

 偏見がなくなったのは野宿者の方々とコミュニケーションをとるようになってからです。野宿者の方々は私よりずっと忍耐があり、優しいと感じました。もちろん全員が全員とは言いません。けれども年々自殺をする人が増える中、彼らは厳しい環境のなか『今』という時を一生懸命、生きています。自分のことだけでも精一杯なはずなのに、お互いを思いやり助け合っているところに偽りのない優しさを感じました。

 野宿者の方との会話。最近、派遣切りにあい寮を追い出されてしまった方がいました。身寄りもない彼は安いアパートに同じ派遣切りにあった同僚と住んでいるそうですが、家具は寮のだったため持っていないなど、これから先が不安だと話してくれました。またある人は、「若い何人かのグループがここ数ヶ月前から来てはロケット花火を俺たちに向けてやってくるんだわ。俺たちなりに精一杯生きてるのに。こんな生活したくてしてるのではない!」と話してきてくれました。野宿者になりたくてなっているのではないのです。弱い者をいじめるのは子ども以下です。弱い者に手を差し伸べ助け合うのが人だと思います。他にも彼らは私の顔に元気がないと「仕事は大変か。」「無理はしてないか。たまには炊き出し休んで家でゆっくりしなさい!」「仕事があることは幸せなことだ。負けるな」と声をかけてくれます。週に1回しか顔を会わさないのにも関わらず心配してく
れる人がいる、それだけで頑張ろうという気持ちに私はなれます。

 あなたは隣人を愛することができていますか。大人が偏見を持っていれば子どもも知らず知らずに偏見を持つでしょう。私は炊き出しで社会の現実を知ることができました。これからもできるだけ参加していきたいと思っています。

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