「小浜、沖縄での日本国憲法」

竹谷基


シリア難民

連日、シリアの難民が大挙ヨーロッパに押し寄せている映像が流されている。中には遭難した人々が幼い子供を含め多数いることも伝えている。それらを見るたび心が痛み、何もできない私が情けない。それにしても、好きで難民になったわけでもいないはずが、難民には人権がないのかと思わざるを得ない。人権とは「誰もが大切にされる」ことのはずが、国境を超えるとそうでなくなるのだ。ヨーロッパは難民の受け入れに苦慮しているが、そもそも、難民を生み出す紛争さえなければいいはずだ。紛争は経済格差が原因だ。この度のアベ政権の集団自衛権行使は米国とその利益をまもるため米国と一緒に戦争するものだ。新たな難民を生む戦争をしようとするのだ。戦争放棄して世界平和に貢献しようと誓った日本国憲法に違反することは明白だ。断じて許されないことだ。

 さて、シリア・中東からの難民は今始まったことではなく、5000年前の古代オリエント世界からある。旧約聖書を生み出したヘブライの民は元々種々雑多な難民からなる人たちであった。そのヘブライがパレスティナの中央山地に侵入し定住しはじめて、やがて農民部族連合を結成し、新たに社会を作るときの理念としたのが今日で言う人権宣言であった。「神の前では誰もが自由、平等、独自な存在である。」この理念の実現を目指し、社会建設を始めた。これは、驚くべきことだ。自ら難民でまさに人権無視の世界に生きた人々が人権尊重の社会を実現しようと立ち上がったことは。その1300年後、ローマ帝国の属国であったユダヤのガリラヤにイエスは生きた。イエスの「神の国が到来するように。神の意志が行われるように」の祈りはその歴史的背景から生まれたのだ。

小浜にて

 さる8月22日、正平委主催の学習会「原発の現場で語り合う」に私は参加した。若狭小浜で反原発運動を50年の長きにわたり、リーダーの中嶌哲演師を住職である真言宗明通寺に訪問して、お話を聴いた。1960年代から原発誘致、核廃棄物中間貯蔵施設建設を阻止し、2014年の大飯・高浜原発の再稼働差し止め判決、等の運動は、わずか5人の宗教者のグループから初めて、ついには小浜市民全体を巻き込む運動になった。運動の原点は、何よりも万物の命を核の脅威から守ることであった、経済的利益より命の優先をされたことを話されました。さて、お話しの中で、特に印象に残ったことは、「人権に格差がある」との指摘でした。15基の原発密集地域である若狭地方の住民と大都会の住民の人権についてでした。前者は原発の電気を必要とせず、大都会の消費のために、貧しいゆえに経済的発展と言われて原発を押しつけられ、自然破壊、健康被害、原発事故の恐怖:を強いられ、原発マネーへの非難にもさらされているように、二重三重の差別を受けている。他方、後者はどうであろうか。原発の電気を100%消費しながら、つまり、経済的利益を受けながらも、事故、健康被害、放射能汚染から守られている。これは、後者から前者への人権侵害と言ってもいいではないか。この中嶌師からの指摘にドキッとし、大都会に住んで電気を湯水のように浪費する私が、これまで若狭の人々の苦痛を気にしたことが一度でもあっただろうか、に気づかされた。

 沖縄の日本国憲法

 また、9月8日同委主催の「沖縄における日本国憲法―小林武教授を囲む学習会―」に参加した。小林教授は憲法学専門で現在沖縄大学に赴任され、普天間基地の目の前に住んでいる。今回、私は、辺野古基地建設反対闘争の最中の沖縄に暮らしながら日本国憲法、なかんずく、現政権の進める9条を解釈改憲しての集団的自衛権行使についてどう考えているか先生の話を聞いた。その中で、改めて教えられたのは、沖縄の人々の人権についてでした。明治維新の琉球処分から、沖縄戦、米軍統治、基地負担、等、本土の日本人とは比べようもなく人権侵害の起きていること。日本に復帰して日本国憲法の下にあると言いながら本土から差別、搾取されている沖縄のことを歴史にて聞くことができた。     

奇しくも、学習会で続けて、人権を考える機会となった。憲法では基本的人権が保障されているが、実際は守られていないことは承知だ。私も高齢者、障害者、女性の差別をよく教えられるが、今回の指摘まで原発立地地域と沖縄の人々への人権侵害には考えが及ばなかった。私は、本土の大都会に住み続けている。それは原発立地地域や沖縄に対して構造的な差別をする立場にいる、つまり、犠牲者を造り出す構造の中で否が応でも生きなければならない。そんな原発や基地で人権の無視された人々を横においては生きたくない。どうしたら、この構造を変革して、差別しない立場となり、差別のない、平等な社会、人権の守られる世界にするには何ができるのだろうか。

 ガリラヤのイエス

 イエスは塗炭の苦しみに押しつぶされたガリラヤ民衆を前に、心を痛めた。神の直接介入を願わずにはおれなかった。「神の国が到来しますように」。しかし、イエスは祈るだけではなく、行動した。神の意志、即ち、「天は善人の上にも悪人の上にも太陽を登らせ、雨を降らせる」、誰もが大切にされることの実現を手近なところから行った。病人を癒し、飢えた人々とパンを分かち合い、遊女や徴税人と会食した。そして、ユダヤ教指導者たちの人権侵害を告発した。

 このイエスの働きに、誰もが大切にされる社会にするためのヒントがあるかもしれない。

 正平委ではイエスを先達として「主の祈り」を受け継ぎ、その実現の道を歩み続けて行きます。

 どうぞ、みなさまの参加をお待ちしています。


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