私にとっての福音宣教

村山 亮

  私は,約2年前からカトリック名古屋正義と平和委員会の社会活動に携わるようになりました。まだ,教会に属していない立場なので,福音宣教を受ける側の私ですが,この2年間で経験したことは,私の人生にとって大きな糧になりました。

 以前,私は料理人として大阪の中華料理店で働いていましたが,月1回あるかないかの休日と1日15時間程度の長時間労働に体と心が耐えきれず,仕事を辞めてしまいました。その当時を振り返ると,いつも自分のことばかりを考えていて,他人の事を思いやる豊かさはありませんでした。

 現在,私はアルバイトをしながら生計を立てています。当然,今の生活は,調理師だった頃よりもはるかに貧しいですが,今の生活の方が豊かだと思います。カトリック名古屋正義と平和委員会の活動をお手伝いさせてもらうことで,本当に少しずつですが,こころの豊かさと正しい価値観を取り戻すことができました。

 カトリック名古屋正義と平和委員会の活動分野は,ホームレス支援,反原発,死刑廃止,平和活動など多岐にわたります。社会や政治によって生みだされたマイノリティをなくす活動は,本当に意義があることだと思います。教会が社会問題にかかわることについて,カトリック中央協議会発行の書籍「なぜ教会は社会問題にかかわるのか」によると,「教会は,福音を生活によってあかしするだけでなく,人間のいのちの尊厳と基本的人権,共通善などにかかわる諸問題を福音と教会の教えに照らして理解し,人間の救いのために必要であると判断するとき発言する」と示されています。

 昨年の3・11東日本大震災以降,カトリック名古屋正義と平和委員会は,原発に関する講演会や勉強会を数多く開催しました。本年5月19日にも,福信館内で勉強会の開催を準備しています。また,“原発天国”と呼ばれるほど多くの原発がある福井県の敦賀教会に協力をお願いして,原子力発電に関するアンケート調査も行いました。現在,福井県おおい町にある大飯原発の再稼働が検討されていますが,今なお、多くの被災者が全国各地で非難生活を続けている中で、教会が救いのために発言することはとても大切だと思います。

 最後に,カトリック中央協議会発行の書籍「なぜ教会は社会問題にかかわるのか」によると,教会が原子力発電に否定的な立場に立つ理由は,以下のとおり示されています。

 「正義と平和協議会が原子力発電に反対する姿勢をとってきたのは,おもに三つの問題意識によります。すなわち,@原発そのものの危険性,A廃棄物の問題,そしてB核兵器などとの関連性です。原子力発電の危険性は,チェルノブイリやスリー・マイル・アイランド,そして,記憶に新しい福島第一原発など,多くの事故によって示されています。核燃料や廃棄物の危険性は何万年も残存し,すこぶる長期間にわたる管理体制の維持を未来の世代に押しつけることになり,未来の世代に対する正義に反します。また,原子力発電における核分裂から生じるプルトニウムは核兵器の材料となり,ウラン濃縮のプロセスから多く発生する劣化ウランも軍事目的に多く使われています。このような危険な物質を大量に生みだす原子力発電所自体の妥当性は当然問われるべきです。」

 放射能による被害を未来の世代に残すことは,法律では裁かれません。しかし,私たちにとってとても大きな罪に値すると思います。この罪の重さを知ることも私にとっての福音宣教と思い,これからも原発問題に携わりたいと思います。

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