ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 ケリーの群 田に溶けこめり 梅雨の朝 」
―もとゐ―


1999年6月27日()  年間第13主日 マタイ 10:37〜42


 イエスは私たちが「この世」を恐れることなく宣教(=隣人になる)を続けなさいと招いています
 さてイエスの呼びかけは私たちに新しい生を選択させますイエス自身枕するところなく,家族を出て放浪し食は客人となって頂く旅を続けたましたイエスの生は運動だったのです留まる固定する組織を作る法律規則を定めるとは無縁な在り様だったのです固定化は生を縛りつけ不自由にし自分を見失わせるのです
「人のからだは殺しても人そのものを殺す力のない者を恐れるな」(マタイ 10:28)
しかし運動はフリーです「今ここ」で隣り人になる気ままさを持ち自分自身でいられるのですさらにイエスは神が導き守り与え生かされる方であることを信頼していたからこそフリーに生きられたのです
 私たちは臆病者ですから固定化安定化に勤めようとしますけれどもそれが生の利己主義になるのです
「自分自身を得ようとばかりする人は自分をほろぼしてしまい」(マタイ 10:39)
何故なら結局は神を信じないで己に頼るからですイエスは徹底的に神を信じひたすら隣人に成って行きました
「わたしのために自分を使いほろぼす人は自分自身を得るのである」(マタイ 10:39)
 さあもう一度私たちは神の慈愛を受け自分自身を得る旅に出かけましょう
本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音(上)」

今週の一句
「 そこかしこ 田毎の夕陽 貌変えて 」
―もとゐ―


1999年6月20日()  年間第12主日 マタイ 10:26〜33


 イエスから権能を頂いた私たちは,病む人々悩み苦しむ者たちに仕えるよう派遣されました
 さて病人に仕えることは「この世」の支配者たち(狼の群)からは歓迎されず弾圧され骨抜きにされるのです何故ならばイエスの癒しの働きは病人を罪人とし社会的にはもとより宗教的にも排除してしまうユダヤ教体制への反抗批判であるからです従ってその体制の恩恵を浴している支配者から見ればイエスはうるさい蝿なのです支配者らはイエスの働きを力で抹殺するかそれとも巧みに甘い汁を吸わせて体制内に取りこみんでしまうのです
 しかしイエスは彼らに屈服しませんでしたイエスが従ったのは雀の命さへ惜しむ神であったのです即ち雀さへ慈しまれる神が人の生命を尊重し回復させるイエスの働きを守らない訳がないのですイエスはその神に命を預けたのですその結果イエスは殺されましたけれどもイエスは生き続け今なお働き続けています逆に一時的に手に入れた支配者たちの生命は消え去りました
 わたしたちの宣教は支配者に歓迎されるとき本物ではありません利己的なものでしかありません迫害や弾圧を受けるときイエスの宣教になるのです
 さあ神におまかせして支配者が動揺するぐらい人々に仕えるものとなりましょう

今週の一句
「 ひまわりや 天地を吸って 大見得を 」
―もとゐ―


1999年6月13日()  年間第11主日 マタイ 9:36〜10:8


 イエスを食する度に私たちはその神の慈愛に触れて「隣人」になるよう招かれています
 ようやくNATOの空爆は止み,欧州は新たな道を歩き始めました他方日本の政治家たちは自らの地位権力を守るため国民を省みることなく,悪法を次から次へと成立させています
 イエスは弟子たちに「権能」を与えましたそれは汚れた霊どもを支配し「汚れた霊を追い出しあらゆる病気や患いをいやすため」でありました即ち「この世」に支配され隷属され差別され暴力を受けまたは心身病む人除け者にされ顧みられない人たちを解放し豊かな生命を取り戻すその奉仕をするためなのであります決して弟子たちがその特権を利用して自らの利益・幸福を追及するためではありません
 私たちはの多くは自分の能力地位境遇を与えられたのではなく得たと思っています従って野宿生活者に対しては彼らの能力の結果努力のなさのいわゆる自業自得と見なしていますけれども弟子たちに与えられた「権能」から考えると私たちの才能なども「弱い立場の人たち」に仕えるためにこそ「ただで与えられた」と考えられるのではないでしょうか私たちの教会も「ただで受けた」のですからただで人々に奉仕することがイエスの招きに応えることになります
 さあイエスのパンを無償に与えられた私たちも自分をただで人々に差し出しましょう

今週の一句
「 競い立ち 空間占有 百合薫り 」
―もとゐ―


1999年6月6日()  キリストの聖体 ヨハネ6:51〜59


 神は私たちへの慈愛をイエスの生涯を通して与えられました
 この世の人々は自己を誇示するために他者の生命をうばいますかってはヒットラーがユダヤ人を虐殺したように日本でも南京で同様なことを犯しています最近では5000万円恐喝事件や老女殺害バスジャックなどでもその背景にあります一般には競争に勝つことで自己の誇示が行われます
 さてイエスは与え空になりましたそれは私たちが永遠に生きる生きていてよかったと言える人生を送るためです
 私たちは己の誇りのためねたみうらやみ憎む人生になっているのではないでしょうか
 さあイエスの食卓にあずかるとき自己を他者に与える恵みをねがいましょう


今週の一分間説教 Gospel on this week