ももちゃんの一分間説教



今週の一句
頬張れば 無添加の味 桑の実や

―もとゐ―


 2022年6月12日(日)
 三位一体の主日

 ヨハネによる福音書16章12節-15節

16,12 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16,13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16,14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
16,15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 今回も5月22日と同様長い「告別説教」の一部だ。イエスの十字架に上げられた以後(ヨハ福では父と子の「栄光化」、父の下への帰還と呼ぶ)残された弟子たちをイエスが聖霊となって彼らを教え守り導くとのイエスの遺言となっている。

 つまり、イエス死後の教会は『父と子と聖霊』三位一体の神と一体化している故に、その教えには権威がある。だから安心して信じて従えとの言葉だ。ヨハ福の読者であるヨハネ共同体(紀元2世紀前半)はユダヤ教からの異端視、迫害の最中にあってその共同体への励ましとして語られたのだろう。
今週の一句
神々しき あざやかすぎる 芝桜

―もとゐ―


 2022年6月19日(日)
 キリストの聖体

 ルカによる福音書9章11b節-17節

9,11b 〔そのとき、イエスは群衆に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
9,12 日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
9,13 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
9,14 というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
9,15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
9,16 すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
9,17 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。

 イエスは貧しい人たちに解放と幸いの福音を告げるため神から派遣されたとルカ福音書では告げる。具体的には、ガリラヤにて悪霊追放と病気癒しそして供食をした。

 今日の箇所は『供食』を描いている。そもそもイエスは『主の祈り』にあるようにガリラヤ民衆の貧困、飢え、病気による大量死に心痛め、まず「今日のパン」を確保する運動を始めた。

 イエスがなけなしのパンを分けたことに、何よりその人たちは驚き有難かったことだろう。それだけではなく、彼らは貧しさを罪の結果と考えるユダヤ教のファリサイ派や律法学者たちから共同体の交わりを断たれ疎外されていたため、食卓に招かれて人間として認められたことの喜びは大きく、後代に伝えたのだ。民衆のその体験を福音書は『5,000人の供食』の奇跡、神の驚くべき御業、苦難の民の解放の物語としたのだ。
今週の一句
桑の実や 食べごろいつと 日参りし

―もとゐ―


 2022年6月26日(日)
 年間第13主日

 ルカによる福音書9章51節-62節

9,51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
9,52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
9,53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
9,54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
9,55 イエスは振り向いて二人を戒められた。
9,56 そして、一行は別の村に行った。
9,57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
9,58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
9,59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
9,60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
9,61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
9,62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

 イエスの貧しい人たちへの福音宣教はいよいよエルサレム、ユダヤ教の総本山に向かうこととなった。何故なら、エルサレムこそがガリラヤの人たちを貧しくし、飢えさせている牙城だからだ。

 当然、イエスの宣教はエルサレムの支配者からの迫害と弾圧を受けざるを得ないと予想される。従って、イエスのエルサレム行きについて行くことは安易に出来ないと、志願者にイエスは諭すのであった。 


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