ももちゃんの一分間説教



今週の一句
見上げれば 萌え初めし山 弥生かな

―もとゐ―


 2017年3月5日(日)
 四旬節第1主日

 マタイによる福音書4章1節-11節

4,1 〔そのとき、〕イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
4,2 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
4,3 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
4,4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
4,5 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
4,6 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。」
4,7 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
4,8 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
4,9 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
4,10 すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
4,11 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

 イエスの荒れ野での誘惑物語りは、宣教方針を決めたこと、と言われている。つまり、人間的欲求に答えることを止め、徹底的に、神の言葉に耳を傾け従うことを決めたのだ。それは、この世的には苦難の歩みとなるのだ。
今週の一句
窓開けて 浴びる陽優し 春の朝

―もとゐ―


 2017年3月12日(日)
 四旬節第2主日

 マタイによる福音書17章1節-9節

17,1 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
17,2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
17,3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
17,4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
17,5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
17,6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
17,7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
17,8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
17,9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

 荒れ野を旅したヘブライの人々はモーセを介した神の言葉を頼りにした。イエスの宣教の旅も、悪霊の試みには神の言葉をもって乗り越えて行った。呼ばれた弟子たちは、神への儀式的礼拝に留まるのではなく、イエスの言葉に聞き従うことこそその道である、と諭された。
今週の一句
券売機に 袴鮮やか 卒業式

―もとゐ―


 2017年3月19日(日)
 四旬節第3主日

 ヨハネによる福音書4章5節-42節

4,5 〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
4,6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
4,7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
4,8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
4,9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
4,10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
4,11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
4,12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
4,13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
4,14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
4,15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
4,16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、
4,17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
4,18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
4,19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
4,20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
4,21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4,22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
4,23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
4,24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
4,25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
4,26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
4,27 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
4,28 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
4,29 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」
4,30 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
4,31 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、
4,32 イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
4,33 弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
4,34 イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
4,35 あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、
4,36 刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
4,37 そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
4,38 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
4,39 さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
4,40 そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。
4,41 そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
4,42 彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

 イエスはサマリアの女性との対話で、日常生活に精一杯な彼女に目を転じさせる。漁に精一杯だったペテロたちに声を掛けられたように。人は水やパンを得ることに捕らわれてしまう。生命や人権よりも原発や戦争からの利益を得るようになる。もちろん、飢えた人、渇いた人には、まず、パンと水が与えられなければならない。必要以上に水とパンを得た者は、他の困窮する人々、世界へと目を向けるよう、イエスは招かれる。 
今週の一句
切符売り場 袴艶やか 卒業式

―もとゐ―


 2017年3月26日(日)
 四旬節第4主日

 ヨハネによる福音書9章1-41節

9,1 〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
9,2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
9,3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
9,4 わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。
9,5 わたしは、世にいる間、世の光である。」
9,6 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
9,7 そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
9,8 近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。
9,9 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。
9,10 そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、
9,11 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」
9,12 人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。
9,13 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。
9,14 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。
9,15 そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」
9,16 ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。
9,17 そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
9,18 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、
9,19 尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」
9,20 両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。
9,21 しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」
9,22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。
9,23 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
9,24 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」
9,25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」
9,26 すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」
9,27 彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」
9,28 そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。
9,29 我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」
9,30 彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。
9,31 神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。
9,32 生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。
9,33 あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」
9,34 彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
9,35 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
9,36 彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」
9,37 イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」
9,38 彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、
9,39 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
9,40 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。
9,41 イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

 イエスと出会った人々は、神の国の到来を見た。サマリアの女、姦通の罪を犯した女性、ベトサダの池で38年病気に苦しんでいた人、等々。そして、今回の生来目の見えない人は視力を取り戻した。彼ら・彼女たちは信仰深いファリサイ派の人々から「罪人」と断罪され、救いから閉め出され、交流さえ断たれていた。イエスはその彼・彼女たちの傍に立たれ、関わられたのだ。そのイエスに神の働きを見出したのだった。他方、信仰深いファリサイ派の人たちは、イエスを「罪人」と見なした。つまり、彼らは「目が見えない」のであった。  



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