ももちゃんの一分間説教



今週の一句
独り身の モーニング探す 大晦日

―もとゐ―


 2012年1月1日(木)
 神の母聖マリア

 ルカによる福音書2章16節-21節

2,16 〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2,17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2,18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2,19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2,20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
2,21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

 羊飼い等は飼い葉桶に布にくるまったイエスを探し当て、神を賛美した。逆説がある、羊飼い等をその疎外、差別状態から当たり前の状態へ導かれる方は、絶対権力者、自ら神の子となのるローマ帝国の皇帝ではなく、見窄らしく、貧しい、自らも差別され排斥され、十字架につけられたイエスであるとの真理が。新しい年の始めに、私たちが従う方、人生の目標とする方は、馬小屋で生まれた方、十字架につけられた方であることを確認し、賛美することは相応しいこと。 
今週の一句
紅白の チャンネル変えつつ 老けを知る

―もとゐ―


 2012年1月8日(日)
 主の公現

 マタイによる福音書2章1節-12節

2,1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2,2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2,3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
2,4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
2,5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
2,6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
2,7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
2,8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
2,9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
2,10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2,11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2,12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 イエスへの三人の博士の来訪は、イエスがユダヤ人だけの王ではなく全世界の王、キリストであることを意味する。

 ともあれ、三人の博士の旅に思いを馳せよう。新しい王の誕生を告げる星の導きに従った博士らの旅は困難極まりのないものだったでしょう。明確な目的地や地図のない旅、予想されるだろう危険や恐怖、しかし、彼らはめげず旅だった。なかでも、彼らにとっての一番の試練はこの世の支配者との関係でした。「新しい王はどこにいるのか」つまり、人が真に仕える方はどなたですか。この問いほど支配者が恐れるものはないでしょう。彼らはヘロデ王ではなく、この世からの報償を捨てて、星に従って命を救われたのであった。
私たちの信仰はこの博士らの旅と同じでしょう。イエスが目指した神の国、「誰もが大切にされる世界」にするための旅、それは荒野の旅であり、この世の支配者、利己主義との闘いである。はっきりした道筋、結果はない。あるのは神の言葉と希望、信頼、そして、知恵と勇気。イエスの生涯もそうであった。しかし、闘い半ばで倒れた。私たちはその後を継ぐ者。博士らと旅を続けよう。  
今週の一句
成人式 振袖姿 振り返る

―もとゐ―


 2012年1月15日(日)
 年間第2主日

 ヨハネによる福音書1章35節-42節

1,35 〔そのとき、〕また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
1,36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
1,37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
1,38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
1,39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
1,40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
1,41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
1,42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

 洗礼者ヨハネは弟子たちにイエスを紹介した。また、イエスの死後、弟子たち、そして、教会は2000年に亘って、イエスを人々に紹介して来た。その歴史は功罪あるが、それでも、アシジのフランシスコ、マザーテレサ、キング牧師、等々は、イエスに従う者としての観方、価値観、生き方を提供し、世界を変えて来た。

 私たちはその証を引き継いだ。混迷する現代世界にあって、子供たちにどんなイエスを紹介できるのか。現在の諸問題に向き合い真剣に取り組むことによってのみイエスの魅力を伝えられるのではないか。日常の思い患いに埋没しないようにしたい。 
今週の一句
大寒の 雨に打たれて 震えまし

―もとゐ―


 2012年1月22日(日)
 年間第3主日

 マルコによる福音書1章14節-20節

1,14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1,15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
1,16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1,17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1,18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1,19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1,20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

 イエスは共に旅する者たちを呼び集められた。苦難の人生を歩む人々に、一緒に、光明を見出そう、と言うのがイエスの呼びかけ。イエスは確信していた、神の言葉に生き方の指針を置くなら、展望が開かれることを。神の言葉は人が社会で生きて行くための基本原則。例えば、私たちの社会には一方で富んだ者がいて、他方、飢え、裸の人がいる。それを見過ごすな、無関心でいるな、みんな平等でなければならない、と言う神の言葉を基本原則とする。神の言葉に従う、つまり、「信仰」とは、それに応えること。即ち、飢え裸の人がいない社会にすることなのだ。容易ではないが希望に満ちたイエスのその旅について行こう。  
今週の一句
雪予報 幾度も起きて 眺めざる

―もとゐ―


 2012年1月29日(日)
 年間第4主日

 マルコによる福音書1章21節-28節

1,21 イエスは、安息日〔カファルナウムの〕会堂に入って教え始められた。
1,22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
1,23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
1,24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
1,25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
1,26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
1,27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
1,28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

 イエスの教えは権威ある新しい教えだ、と人びとは驚いた。何故なら、言うだけではなく貧者、病者と共に生き、命まで捨てたから。

 民主党や野田首相は公約違反ではないと強弁しているが、認めてよいだろうか。自民党に代わり国民目線の政治と約束して政権交代できたにもかかわらず、米国、財界、官僚、目線ではないのか。

 1980年代、教会、修道会は「解放の神学」に学び、貧しい者との連帯を選択したはずが、今や、社会との遊離は激しくなり、社会には有効な発言も行動もしていない。今一度、イエスの姿にもどろう。 


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