ももちゃんの一分間説教

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今週の一句

「炊き出しの 飯受ける手に 大晦日」

―もとゐ―


 2004年1月1日() 神の母聖マリア 世界平和の日

 ルカによる福音書2章16〜21節


02:16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
02:17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
02:18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
02:19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
02:20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
02:21八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

 マリアとヨゼフは逆境の中、神への信頼を持ち続けてイエスを育てました。
 羊飼いらが見た乳飲み子イエスの光景、それは彼らの馴染みのあるものでした。
 季節労働者として、あるいは、日雇い労働者としての彼らには安定した生活は望むべくもありません。薄汚れた安宿か、雇い主の飯場のようなところか、さもなくば、野宿かというような生活だったことでしょう。ひもじさ、寒さ、汚れ、みじめさと同居していたのです。独り者ならまだしも、所帯持ちなら一層困難だったでしょう。マリアたちのように、家畜小屋でお産することも度々だったでしょう。羊飼いたちの見た様は彼ら自身の生活そのもだったのです。
 その真っ只中に、救い主イエスは生まれた、と羊飼いたちは知らせるのです。
 底辺に生きる人々、困窮にある人たち、地震にあったイラン、戦争中のイラク、パレスティナにイエスは生まれたと羊飼いたちは告げるのです。
 その知らせを受けた私たちは、困難にある人々のところへ出かけよう。イエスが待っておられるから。

今週の一句

「野宿者の 伸びし髪切り お正月」

―もとゐ―


 2004年1月4日() 主の公現

 マタイによる福音書2章1〜12節


02:01イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
02:02言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
02:03これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
02:04王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
02:05彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
02:06『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
02:07そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
02:08そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
02:09彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
02:10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
02:11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
02:12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 羊飼いの暮しの真っ只中にイエスは来られました。
 占星術の学者たちのイエス探しの旅は人生に例えられます。
 彼らは、それぞれの思いを胸に旅立ちました。初めは、確かな希望(ここでは星)に燃えていました。しかし、山あり谷あり、飢えや渇きや追い剥ぎ、強盗の類に出会うと、最初の勢いは次第に萎んで行きました。それでもかすかな希望に何とか前に進みます。けれど、その後も困難に幾度もさいなまされました。ついには、自力での前進を諦め、権力(ここではヘロデ)に頼ってしまいました。ところが、権力に頼ると、自分の思いは飲み込まれ、権力に従わざるを得なくなるのです。さもないと、邪魔扱い、反権力として抹殺されてしまうのです。彼らは知らず知らずのうちに権力の手先にさせられたのです。三人はイエスをようやく探しあてました。人生の夢が実現したかのように思い、思わず踊りました。
 しかし、喜びもつかの間、まあ、どうでしょう。よく目を凝らして見ると幼子イエスは貧乏ったらしい家畜小屋の飼い葉桶に寝ているではありませんか。彼らは困惑しました。今までの苦労は一体何だったのだろう。やがて、彼らは気づきました。人生は人間個人の思いどおりにはならない、権力さへもましてだ。神さまだけが知っている、だから、神のみに従うところに夢があるのだ。あの星に従ったように。
 私たちの人生を幼子イエスに託してみよう。

今週の一句

「軒先の 膨らむ蕾 寒の入り」

―もとゐ―


 2004年1月11日() 主の洗礼

 ルカによる福音書3章15〜16節、21〜22節


03:15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
03:16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
03:21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、
03:22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

 占星術の三人の学者らのように、この世にではなく、神のみ旨にその人生を託すようにイエスは呼びかけます。
 洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼の呼びかけは、当時のユダヤ教主流派やヘロデにではなく、神に従うようにとのことです。即ち、競争から共生へ、各自の生活の場で利己的から他者への配慮に生きなさい、ということです。それに反して、ヘロデやユダヤ教主流派は自己中心的、他者への無関心に生きていたのです。
 イエスはその出生から呪われていたため、家族ともども言われない差別と抑圧に苦しんで幼年、青年時代を生きて来ました。この世の力ある人々は苦しみを取り除いてくれるどころか、さらに、増し加えるばかりでした。イエスはその状況から脱するため、洗礼者ヨハネのもとへやってきたのです。
 イエスの洗礼、それは、この世から神のもとへ、闇から光への旅立ちだったのです。私たちも日々洗礼を受け、イエスと共に神へ出発しましょう。

今週の一句

「移動する 振袖寂しき 成人式」

―もとゐ―


 2004年1月18日() 年間第二主日

 ヨハネによる福音書2章1〜12節


02:01三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
02:02イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
02:03ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
02:04イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
02:05しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
02:06そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
02:07イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
02:08イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
02:09世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
02:10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
02:11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
02:12この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。

 イエスは洗礼を受けて、神の道を歩み出しました。
 イエスの洗礼後のはじめての公の場が、婚礼とは愉快だ。それまで、神の到来は 裁きであった、そのため、洗礼者ヨハネは悔い改めよと告げた。ところが、イエ スの場合、祝祭であり、飲めや歌えの宴会になっている。しかも、酒が足りなく なって、上等な酒を追加したというぐらいの大騒ぎであった。神様の恵みはそれ ほど愉快で陽気で太っ腹だと、目を開かせてくれている。それは、十字架上のイ エスにおいて最高に明らかになる。
 しかも、それはマリアの願いを適えたのではない、神自らが望まれて与えられる のだ。ぶどう酒がどこから来たのかわからないように
 私たちもこの神の配慮に人生を喜びに変えて行こう。

今週の一句

「大寒や 大地に光る 霜柱」

―もとゐ―


 2004年1月25日() 年間第三主日

 ルカによる福音書4章14〜21節


04:14イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
04:15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
04:16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
04:17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
04:18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
04:19主の恵みの年を告げるためである。」
04:20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
04:21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

 イエスの神の国はカナの婚礼に譬えられました。
 同じく、イエスはご自身の使命をイザヤ書を引用し、「主の恵の年」を貧しい人々に伝 えることだと、明らかにしました。ところが、それを聞いた会堂にいたユダヤの人々 は憤慨し、イエスを追放した、とルカはその後に書きました。というのは、彼らはイ ザヤ書の言葉に、富める自分たちへの悔い改めの勧めを聞いたからです。(更に、飢 えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を招き入れ 裸の人に会えば衣 を着せかけ 同朋に助けを惜しまないこと。イザヤ58、7…参考※@ボッシュ) この世界に婚礼のような喜びと平和が訪れるには、イエスの十字架、即ち、他者のた めの生(ボンへッファ−)に倣わなければならないのです。痛みや苦しみ、辛さのな い喜びはただ現状維持だけなのです。
 私たちはよく言います。ホームレスの方が今の生活を脱したいなら、もっとがんばら ないと、仕事しないと、しっかりしないと、などなど、自分らの反省や努力を棚に上 げて。カナの婚礼が神の国になるにはイエスの十字架を経なければならなかったよう に、私たちの人生が祝福されるために、まず、自分を変えて行きましょう。


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