ももちゃんの一分間説教

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今週の一句

「つくつくや 暑さ日本一 夕涼み」

―もとゐ―


 2002年8月4日() 年間第18主日

 マタイによる福音書14章13〜21節


14:13イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
14:14イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
14:15夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
14:16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
14:17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
14:18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
14:19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
14:20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
14:21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 わたしたちは神様の宝物とイエスは語りかけます。
 神の国は、神様が招かれる宴です。神様は国籍、性別、年齢、偏差値等で招待客を選びません。どんな人、すべての人を招かれるのです。イエスは自分についてくる貧しく、病んだ多くの人々をその宴に招こうとしました。しかし、弟子たちは違っていました。「解散させてください。」これらの貧しい人たちに食物を与えるのは、自立心を奪い、依存させてしまう。だから、自分らで食物を探させなければ。とイエスに詰め寄ったのです。弟子たちは正当なことを言いながら、「何故、俺達の食い物をこいつら怠け者にやらなきゃならないんだ。」という胸の内を隠しているのです。イエスは彼らに言います。「与えなさい。」
 わたしたちはイエスに依存していないでしょうか。神の前で怠けていないでしょうか。それでも、イエスはわたしたちを招かれるのです。

今週の一句

「カミキリや 始発電車の 切符切り」

―もとゐ―


 2002年8月11日() 年間第19主日

 マタイによる福音書14章22〜33節


14:22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
14:23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
14:24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。
14:25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
14:26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
14:27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
14:28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
14:29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
14:30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
14:31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
14:32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
14:33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 信仰薄き者と、イエスは手を差し出されます。
 わたしたちを宝物と呼ぶイエスはいつもいっしょにおられます。空腹の大勢の群衆を前にした弟子たちにはイエスはいませんでした。それゆえ、自分たちでこの事態を乗り越えなければと思い、解散させようとしたのでした。
 嵐に出会った舟の中には、イエスは不在でした。弟子たちはなす術を持ちませんでした。イエスが現われたのにも、夢か幻かと思うだけでした。しかも、ペテロは試そうとしたのです。だから、彼は沈んだのです。
 現代のキリスト教会にもイエスは不在なのでしょうか。イエスを試すかぎり、わたしたちは沈みます。イエスに任せて大胆に生きましょう。イエスは生きておられるのだから。

今週の一句

「盆終えて 孫のリュックサック 見送るや」

―もとゐ―


 2002年8月18日() 年間第20主日

 マタイによる福音書15章21〜28節


15:21イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
15:22すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
15:23しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
15:24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
15:25しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
15:26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
15:27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
15:28そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

 不信の輩にもイエスは手を差し伸べられます。
 ペテロら男どもは硬直してゆるぎや逸脱を認めるには苦手のようだ。それは、会社や組織の一員としてたとえ不正があっても、防衛維持のためノーを言えないように作られたためだ。時には、会社のため罪を被り自殺するまでの人もいる。
 それに比べ、女性は命を守るためには果敢に、しかも、柔軟に飛び出て行く。秩序とか周囲の目とか根回しとかを気にせず、必死に手を伸ばす。福音書の長血を患った女性や、ラザロを亡くした姉妹のマルタ、マリアもしかり。イエスは損得抜きに、確信をもって迫ってくるその熱意に動かされる。利害を超えて、大事なものを守ろうする女性たちの熱意に神は応えられる。
 私たちも命が守られるために果敢に、しなやかに挑戦して行こう。

今週の一句

「蟷螂や 百日草の 枕かな」

―もとゐ―


 2002年8月25日() 年間第21主日

 マタイによる福音書16章13〜20節


16:13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16:15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16:16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
16:20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

 女性たちのように 手を伸ばしなさい、とイエスは呼びかけています。
 イエスの行く先々では、体の不自由な人たちが癒され、飢えた人々は満たされる神の国が目に見えるものとなっています。にもかかわらず、ユダヤ教指導者たちには見えず、イエスにどこからの権威か、標を見せろといいます。そのようななかで、イエスは弟子たちに「何者と思うか」尋ねました。イエスにすれば、嵐の時、自分を見失ったように、大変、心もとない弟子たちに敢えて聞いてみたのです。
 ペトロは答えました。でも、それは、イエスが言われるように神がペトロに言わしめたことなのです。即ち、私たち人間には、ユダヤ教指導者であれ、弟子であれ、イエスが何者であるかをいくら説明しても決してわからないのです。それよりも、女性たちが取ったように、賭けること、身を投じること、従って行くことにおいてイエスが何者か明らかにされるのです。
 さあ、まず、ついて行きましょう。


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