ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 霜眩し 光やさしい イヴの朝 」
―もとゐ―


2000年12月31日() 聖家族 ルカ 2:41〜52


2:41
さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
2:42
イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
2:43
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
2:44
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
2:45
見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
2:48
両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
2:49
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
2:50
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
2:51
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
2:52
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 神の生を共に歩みだしたマリアヨゼフ羊飼いたちに倣うようイエスは私たちを招いています
 神の生を歩むとはこの世的人生観社会観道徳観に囚われない人間には思いつかない神の思いに生きるということですマリアたちはそれに従ってイエスを生み育てたのです
 しかしそんなヨゼフらも時には親として当たり前の思いに縛られるのですこのように神の生にいきることは完璧な人聖人のすることではなく困惑し葛藤し挫折に泣く弱い弱い人々の歩む道なのです
 さあ私たちは欠けの多い罪人ですがマリアらのように立ち止まりつつ前進して行きましょう

今週の一句
「 くるくるり 子猫も回り 冬至なり 」
―もとゐ―


2000年12月25日(月) 主の降誕 ルカ 2:1〜14


2: 1
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2: 2
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2: 3
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2: 4
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2: 5
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2: 6
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2: 7
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2: 8
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2: 9
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 神のことばに従う人々は互いに支えあうようにとイエスは私たちに呼びかけています
 マリアとエリザベトは共になって新しい人生を歩みだしました二人にはヨゼフザカリアという夫がいました彼らもまた男の立場を捨てまた周囲の圧力に屈せず彼女たちと共にい続けました二人の母親は何と心強く有難かったことでしょう自分を理解する人が一人でも多くいることは何と幸いでしょうかベトレヘムへの旅はマリアとヨゼフの選んだ神の人生を象徴していますしかし二人の絆が困難な人生に向かう力を生んだことでしょう
 さらにまた羊飼いたちが彼らの泊まった家畜小屋にやってきました社会からは奇異な目で見られ差別と排除に生きる者たちが共に寄り集まったのでした
 クリスマスとは神が弱い立場の人々と連帯し弱い者同士がまた連帯し神と人が人生を幸いに変えて行く始まりなのです
 さあ私たちも家畜小屋に出かけ新しい生の始まりに参加しましょう

今週の一句
「 路地裏の 家々燈す クリスマス 」
―もとゐ―


2000年12月24日() 待降節第4主日 ルカ 1:39〜45


1:39
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40
そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
1:42
声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
1:44
あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
1:45
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

 イエスは私たちに悔い改めて新しい人生を歩むように招いています
 エリザベトとマリアは神の言葉を受け入れてこれまでとは違う自分の人生を歩み始めました彼女たちのその決断には勇気と放棄が必要でした高齢出産と婚約中の妊娠は彼女たちの宗教的道徳的評価の喪失離婚と人々の好奇の眼差非難の社会的制裁を受けることになるからです
 しかし彼女たちは敢えて受け入れましたこのままの生活に安住することなく「世界を救う」という神のみ心を信じて自分を賭けたのでしたその勇気を支えたのは二人の友情でしたエリザベトとマリアは力を合わせ信仰を一つにして周囲の圧力に立ち向かったのですここにキリスト教会の原型があるのです
 私たちもすべての人の人生が素晴らしいものになるために放棄と勇気が必要ですそのためには教会という共同体が機能しなければなりません私たちの教会が互いを支えるものになるよう祈りましょう

今週の一句
「 ひらひらと 光降りけり 昼の午後 」
―もとゐ―


2000年12月17日() 待降節第三主日 ルカ 3:10〜18


3:10
そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
3:11
ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
3:12
徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
3:13
ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
3:14
兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
3:15
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
3:16
そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
3:17
そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
3:18
ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

 洗礼者ヨハネは悔い改めにふさわしい実を結べと私たちに呼びかけています 荒野のヨハネのもとにやって来た人々は人生に生き辛さを感じ,別の人生があるのではないかと出掛けてきたのでした彼らはいずれも下層階級には属していたがそれでも何がしかの財産職業,地位を持っていて無一物の極貧層ではなかったのです彼らの苦悩は職や地位を利用してより貧しい人を虐げ搾取していることに心痛めていたことでしたたとえ正統ユダヤ教徒であろうと実生活において他者を踏みつけているなら救いはないのです踏みつけている足をどかさなければならないのです
 わたしたちキリスト者にも同様にあてはまるでしょうイエスのもたらす救いはイエスのみでは与えられないのです人間との相互の働きがあって実現されるのです戦争や飢えは人間の仕業なのです私たちが搾取や独り占めを止めない限りなくならないのです
 さあ私たちは生き苦しさから解放され喜びと平和の人生となるよう悔い改め即ち強欲を捨てましょう

今週の一句
「 電飾に まさる銀杏の 大ツリー 」
―もとゐ―


2000年12月10日() 待降節第二主日 ルカ 3:1〜6


3: 1
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
3: 2
アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
3: 3
そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
3: 4
これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
3: 5
谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
3: 6
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 荒野の声に耳を傾けなさいとイエスは私たちに呼びかけています
 先週から教会の典礼暦は新年になりましたイエスの降誕祭を前に悔い改めを勧めています今年の自分の在り方を顧み来る年に備えたいものです
 神の言葉が荒野のヨハネに降った荒野はイスラエルが出エジプト後40年にわたって旅を続けた所ですエジプトでの奴隷生活から無一物になって命からがら自由へと歩みだしたのでしたそして長い試練の時を経てイスラエルは神の民となったのです
 その荒野に神の声が響き始めたのですローマ皇帝のいる都ではなくヘロデたちの城にでもなく大祭司の神殿でもないのです都の栄華権勢,名誉地位富に縛られた所には神の声は消されてしまうのです新しく人生をやり直したいと無一物になって荒野に出かけて来た人々に神は声をかけられるのですそして荒野から悔い改めが都へと拡がって行くのです
 さあ私たちも生活の思い煩いから離れて神の声に耳を傾け新たな出発にしましょう

今週の一句
「 ザクッザクッと 落ち葉踏みつつ 歳数え 」
―もとゐ―


2000年12月3日() 待降節第一主日 ルカ21:25〜28、34〜36


21:25
「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
21:26
人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
21:27
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
21:28
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
21:34
「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
21:35
その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
21:36
しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

 時流に抗して弱い立場の人と共にあるようイエスは私たちに呼びかけます
 この世の力ある者はリストラIT革命などと称して弱者をますます切り捨てています運良く職にある者や「中流生活」をしている人々はそれを失うまいと懸命になっています残念ながら弱い者同士が少ないパイの取り合いをしています私たちが自分を守ろうとする限り争いと不和が生じその隙に支配者はますます肥え太り世界は滅びへと向かうのです
 しかし私たちが与え合うところには平和と希望が生まれるのではないでしょうかまさにイエスの働きのように病人が癒され貧しい人が満たされるのです
 さあ私たちは神からの恵みを地中に隠すのではなく他者のため使い切るようにしましょう


今週の一分間説教 Gospel on this week