ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 見上げれば 裸木宿る 大銀河 」
―もとゐ―


2000年11月26日() 王であるキリスト ヨハネ 18:33〜37


18:33
そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
18:34
イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」
18:35
ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」
18:36
イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
18:37
そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

 時の徴を見分けて弱い立場の人と共に歩むようイエスは私たちを招いています
 自民党の政変劇は国民の期待を見事に裏切って茶番劇で幕を閉じました持てる者の弱みというか失うことの恐怖が彼らを金縛りにしたのでしょう
 ピラトも同様でした自分の地位を維持しようとした時彼の目には真理が見えなくなってしまったのですピラトを扇動したユダヤ人も同じでしたサドカイ派を中心とした支配者たちは利益を守るためにイエスの語る真理に耳を閉ざし悪魔に身を委ねたのでした
 私たちもイエスの真理に心を動かされながらも私生活の優先によりそうは言ってもとイエスと別の道を生きているのです真理に目を閉ざすものからの解放を願わずにはいられません
 さあわたしたちは持つ生き方から持たざる生き方へ進めるよう互いに励ましあいましょう

今週の一句
「 木枯らしや 通勤客を 足早に 」
―もとゐ―


2000年11月19日() 年間第33主日 マルコ 13:24〜32


13:24
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、
13:25
星は空から落ち、天体は揺り動かされる。
13:26
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
13:27
そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
13:28
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
13:29
それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
13:30
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
13:31
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
13:32
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。

 イエスは自分の内に神の国を見なさいと私たちを招きます
 奇妙にも同時に米国と日本の政治が乱れていますどちらも国民不在の利益分捕り合戦が行われています私たちは目先の利益に捕らわれるのではなく時代の流れのなかに弱い立場の人々が守られる徴を凝視しなければならないそして弱者が虐げられる徴には惑わされず敏感になって反対しなければならないなぜなら神は私たちを他者に仕えるよう呼びかけられているからです
 神がイエスをとおして私を顧みられたその慈愛に突き動かされて目を覚まして他者と共に歩んで行きましょう

今週の一句
「 立冬や ライト頼りに 通勤す 」
―もとゐ―


2000年11月12日() 年間第32主日 マルコ 12:38〜44


12:38
イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、
12:39
会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、
12:40
また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
12:41
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
12:42
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
12:43
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
12:44
皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 イエスは私たちに持ち物を売り払って従えと呼びかけています
 さて私たちは存在の基盤をどこにおいているのだろうか神を信じるといいながらその中味は生活をより安定させるための装置にしている生活そのものは別のものに頼っているのだ即ち存在の基盤はお金にあるのだ神がなくても生きて行けるけれどお金がなければ生きていけないと思っているのだ確かに現在の日本では何某かの金がなければ飢えて死ぬしかないしかし何故なのかそれは持っている者が分かち合わないからではないか他者への無関心自己中心性が餓死者を生み出しているのだ
 このやもめのように神が生かしてくださるとの確信があるなら無一物であることに恐れないだろう他者へ進んで与えられるだろう
 さあ神さまへ捧げましょう神様が分けられるから

今週の一句
「 塀越しの 熟柿を拝す 歩き人 」
―もとゐ―


2000年11月5日() 年間第31主日 マルコ 12:28〜34


12:28
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
12:32
律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
12:33
そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
12:34
イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

 イエスは心の目を開けと私たちに呼びかけています
 目のみえないバルティマイは道端に捨て置かれ誰一人彼に声をすらかける人はいなかったのですユダヤ教の指導的立場にあるファリサイ派の人々律法学者らは神を愛すること即ち神の掟を厳格に守ることには熱心でありながらも隣人を愛することを怠っていたのですしたがって安息日を守り身体の清浄に勤めるためにバルティマイを路上に放置していたのです
 今日もミサや礼拝には熱心ながらも個人中心主義なキリスト者が多く見られます
 イエスに質問した律法学者はかえってイエスから目を閉ざしていた隣人に気づかされたことでしょうイエスから「神の国から遠くない」と言われた彼はそのアイロニ?に胸を叩いたことでしょう私たちも彼と同様「神の国には近くない」ことを悔やみ近くにいるようにバルティマイの傍らに近づいて行きましょう


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