ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 見おろせば 大地の襞の 紅葉織り 」
―もとゐ―


2000年10月29日() 年間第30主日 マルコ 10:46〜52


10:46
一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。
10:47
ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。
10:48
多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
10:49
イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
10:50
盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
10:51
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
10:52
そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

 自己愛からイエスの愛に目を開くように私たちはイエスから招かれています
 目の見えない物乞いのバルティマイは境遇の変わることを道端でじっと待っていたことでしょう彼は目の見えないばかりに家族から捨てられ路上で物乞いするしか生きて行く術のないことユダヤ教指導者をはじめ「正しい人」は軽蔑するだけで何の援助もしてくれない孤立無援の境遇に嘆き苦しんでいたでしょう
 彼にとって唯一の望みは「目の見える」ことだったに違いないでしょうその彼の願いにイエスは応えたのですバルティマイは見えるようになりイエスの宣教旅行に従った即ち新しい人生を歩みだしたのでした
 他方目の見える人々私たちを含めてはどうだったでしょうか弟子たちは相変わらず出世争いファリサイ派や律法学者らは業績主義支配者たちは利己主義わたしたちは金権主義とこの世の価値に目を眩ませ続けられているのですなぜなら私たちはバルティマイのように無一物ではなく持ちすぎているからです
 見えるためには頼っている物を捨て空になってイエスの懐に飛び込まなければならないのです
 さあイエスにのみ頼り物を放棄しましょう新しい世界が開かれるのです

今週の一句
「 見上げれば 車の止まる 銀杏通り 」
―もとゐ―


2000年10月22日() 年間第29主日 マルコ 10:35〜45


10:35
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
10:36
イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、
10:37
二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」
10:38
イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」
10:39
彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。
10:40
しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」
10:41
ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。
10:42
そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
10:43
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
10:44
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
10:45
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

 イエスは一切を捨てて従えと私たちを招きます
 イエスの宣教は人を人としない諸力から例えば貧困病気暴力差別制度等から人を解放し人として互いに愛し合い仕え合って生きられるようにすることでしたそのために持てる者たち力ある人々にそれらの物を捨てなさいと呼びかけるのですしかし聞く耳をもたない目の見えない人々は目障りなイエスを排除しようとするのです
 その宣教に加わったにもかかわらず弟子たちは何も理解することなくあいもかわらずまさに人を縛る地位争いを繰り返しているのです
 私たちの信仰生活も同じですイエスの招きにもかかわらず『そうは言っても食べていけないから』とこの世での出世地位財の獲得安定に奔走しているのです
 そのような頑迷な私たちの目をさますためにイエスは命を身代金として差し出したのですイエスのその思いをどれほどわたしたちはくみとっているのでしょうか
 イエスの私たちへの愛に目を覚ましましょう今日も何万の人々は飢えて死んでいるのですさあ荷物を捨てて仕えに出かけましょう

今週の一句
「 駅向かう 歩みをとめし 金木犀 」
―もとゐ―


2000年10月15日() 年間第28主日 マルコ 10:17〜30


10:17
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
10:18
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
10:19
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
10:20
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
10:21
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
10:22
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
10:23
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
10:24
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
10:25
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
10:26
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
10:27
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
10:28
ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。
10:29
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
10:30
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。

 イエスは仕える者になれと私たちを招きます
 仕える者にではなく人の上に立ちたいと思うユダヤ教指導者たちは自己を優位づけている価値観に固執し続けるのです例えば律法主義内容ではなく形式を守ることに重きをおいていることですそれは簡単に人との差異をつけ人の善悪を判断できるのです今日の金持ちの男は更に富の所有によっても人の上に立っていたのです
 イエスはそのような彼らの目を耳を開こうとされるのです人のために律法のあることや子どもを受け入れろとか家族故郷自分の命を捨てろとかです
 律法を守ることや富を守ることは自己を縛り弱い立場の人々に仕えるためには邪魔になるものなのです
 教会や私たちも自分を守るために何と不自由になっていることでしょう
 さあ私たちは身軽になってイエスについて行きましょう

今週の一句
「 月冴やか 吸殻放り のびる影 」
―もとゐ―


2000年10月8日() 年間第27主日 マルコ 10:2〜16


10: 2
ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
10: 3
イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。
10: 4
彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。
10: 5
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。
10: 6
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。
10: 7
それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
10: 8
二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
10: 9
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
10:10
家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。
10:11
イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。
10:12
夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
10:13
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
10:14
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
10:15
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
10:16
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

 人を躓かせないようにとイエスは私たちに呼びかけています
 イエスの目はいつも子どもたちである弱い立場にいる人々に注がれていますファリサイ人の目は自己に注がれています法律も自己の有利になるよう用います離婚にさいしては離婚される相手の女性のことを配慮するのではなく自分の正当性を主張しようとします
 イエスは結婚の神聖化を言っているのではありません当時の男性の庇護のもとでしか暮らせない弱い立場の女性のことを慮るイエスにとってファリサイ人の法さえ守れば相手がどうなろうと構わないという形式主義利己主義をゆるせないのですそれ故にイエスは神が人間を男女に創造された神の御心に言及して彼らの目を開こうとしたのです即ち男女が一体になるとは人と人は分断されないのだ手を互いに伸ばしあう間柄として神が合わせたということなのです
 更にイエスは離婚問題にとどまらずむしろ男性に有利な当時の男性中心性義利己主義の社会とそれを維持する人の心を問題にしたのです
 現代も当時と変わらず強い者の得する社会となり人々は利権を目当てに強者にしがみついていますその中で苦しんでいる人悲しんでいる人は弱い人たちです
 さあ私たちは自己中心から弱い立場の人々と共に歩む生き方へ方向てんかんしましょう

今週の一句
「 分け行けば 飛び行くバッタの 往く野原 」
―もとゐ―


2000年10月1日() 年間第26主日 マルコ 9:38〜42、47〜48


9:38
ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」
9:39
イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
9:40
わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。
9:41
はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
9:42
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。
9:47
もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。
9:48
地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

 子供を受け入れなさいとイエスは私たちを招かれています
子供に仕えることは無にならなければなりませんなぜなら子供は変幻自在つかみ所がないからそれに対応するには融通無碍でなければならないからです仕える側があるものに頼るときそれによって子供をしばりコントロールしてっしまうのです弟子たちが自分たちこそ正当だと主張するなら同じく人々を縛り支配してしまうことになるのです
 人を躓かせるとはユダヤ教指導者たちのように人を律法遵守の業績主義で評価しようとすることですまさに人をコントロールすることはイエスの弟子にはふさわしくないのです
 私たちはイエスをとおして神の偏りのない愛を受けましたその愛に突き動かされて私たちは子どもに仕えられるよう心を柔軟にして行きましょう


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