「一年」

ジュウジン



 名古屋ダルクに来て1年2ヶ月が経ちました。現在はスタッフを始めました。去年の今頃は、まだここにいるなんて思ってもいなかったです。入寮当初は6カ月で出ると決め、とにかくプログラムを進めて、薬物とギャンブルを止めて、認めてもらって、元の生活に戻るつもりでした・・・。まだ現実を受け入れていませんでした。

 仕事を辞め、入寮して元の生活と切り離された僕は1ヶ月でなんとなく元気になり、良くなっていると思い、施設を飛び出し、会いたい人に会いに行きました。そこには自分が招いた現実がありました。1カ月足らずでは自分がしてきてしまったことの大きさを理解していなく、相手の反応を受け入れることも、認めることもできず、自分の感情すらまともにコントロールできませんでした。怒って、泣き、悔しがって、恨む、僕は現実に対しそんな態度を示すことしかできなかったです。相手をさらに傷つけて、状況を悪化させただけでした。施設に戻されると、スタッフが待っていてくれました。ものすごい力で抱きよせて“好きなだけ泣け!!”と言ってくれました。自分でやったことなのに、悔しくて、悲しかったです。しばらく落ち込んで、消えてしまいたいと思っていましたが、仲間たちは見守ってくれました。その中で次第に、本当に自分が依存症で、変わりたいと思うようになりました。

 僕はアディクションの虜になり、周りを見ることを止め、人を巻き込んで、時間、金、信頼を奪ってきました。更に自分を正当化しては人を傷つける行動ばかりとりました。これが現実で、こんなことをしてきた自分が悲しいと思っています。認めていいのかわからなかった感情が溢れ出した時、仲間と大きな力の中に許されている感覚を覚えました。

 自分の過去を振り返り、仲間の話にも耳を傾けていくうちに、感情に蓋をして生きてきたこと、更にそれをアディクションでごまかして生きてしまっているということを気づかされました。長い年月繰り返してきた狂った生きかたを変えるために、同じような経験をした仲間たちと分かち合う時間と、都合の悪いことをごまかして生きて来た“生き癖”に向き合いながら自分の行動を変えていくことをしています。

 スタッフの手伝いからスタッフになる中、自由も増えてきました。休みをいただくようになり、スマホを持ちました。しかし一人の時間、自分の無力を忘れ、なんとなく戻れるのかと感じてしまう瞬間もあります。見るなと止められているSNSを覗き、僕はまた“現実”を受け入れられず、パチンコ店に向かいました。自分のとった行動をすぐ仲間達に話すことはできましたが、相変わらずの自分の逃げ癖に情けない思いでいっぱいでした。今回のことを仲間は“学び”だと言ってくれました。仲間の中に戻り、“今日だけ”を取り戻して、やっていきます。

 スタッフ研修中に祖母が危篤となり、長野に会いに行くことができました。大好きな祖母で、少しの間、意識を戻し目でアイコンタクトし、僕が話しかけると頷いてくれました。祖母の生命力と愛を感じました。祖母が頑張って生きてくれたことに深い尊敬と感謝を覚えました。祖母が亡くなり、その時に会えた母親に自分が今まで傷つけてきたことを伝えました。母は許してくれました。僕はこれからたくさんの埋め合わせが必要です。祈りと感謝の気持ちを持ち、生きていきたいです。