ダルクの仲間達


マサヒロ

 自分が初めて使い始めたのは20歳の夏ごろでした。インターネットで買ったサルビアという、当時合法ドラッグと呼ばれていたハーブでした。それから程なく大麻と出会いました。

 初めて大麻を使ったときは、全身の緊張がほぐれていく感じがして、とても心地よかったのを覚えています。「大麻がずっとあれば」と思いましたが、見つかれば逮捕という恐怖がブレーキとなって常用することはありませんでした。

 22歳の頃、大学生活に疲れ果て精神科に行き、自分の本命である処方薬と出会いました。自分は小説が好きで好きな小説家の真似をして処方薬の乱用が始まりました。すぐに薬の用法、用量が守れなくなり、2週間分の薬を一晩で使ったり、病院をはしごしたり、ネット上の友達に薬をもらったり問題行動が増えていきました。大学を辞め薬を使うだけの生活になり、引きこもりになりました。ただ薬を使うだけの毎日。昼夜逆転し、自堕落な生活。自ら人との関係を拒みました。病院では「眠れない」とか「不安が強い」とか嘘をついてより多く、より強い薬を出すことに一生懸命になっていました。

 親に病院やカウンセリングの先生、ダルクへ連れていかれましたが、当時の自分にとっては大きなお世話、有難迷惑でした。そんな親の目が気になり、A型事業所へ逃げるように働きだしました。最初はまじめに通っていたのですが、次第にサボるようになりました。遅刻はもちろん、無断欠勤が続きました。それでも自分は「やっていけてる」と言い聞かせていました。

 そんな綱渡りの生活に終止符を打ったのが、去年の1月の著作権法違反でした。そこで親に「ダルクへ行け」と言われ反抗した自分は1週間薬を抜いた結果、離脱症状でてんかん発作を起こし救急車で運ばれました。ダルクに繋がりプログラムを受け、自分の生き方に問題があることを学びました。ただ生き方を変えるのは難しく、今も正直変わったとは思えません。ただ薬を使わない生活は保てています。今は睡眠薬も頓服になり自然な眠りができるようになりました。これからも回復の道を歩んでいけるように頑張ります。

タカヒロ

 私が薬物を始めるきっかけは当時結婚したいほど好きだった彼女と別れて、安定している仕事もお金もあったのに、自分は一体何のために生きているか自暴自棄になって分からなくなりました。

 軽いうつ状態であったことに、弟が心底心配し、当時名古屋のディスコ遊びに飽きていた自分に元気を出してもらいたいと思ったのか、レイヴパーティーという野外の音楽イベントの遊びに一緒に行こうと言われました。最初は怖くて断っていたのですが、何度か行こうと誘われて1回だけなら行ってみようと思い、愛知県の無人島のレイヴパーティーに行きました。そこで初めて薬物を使用しまして、一度の凄まじい快楽と多幸感で別の世界に行ったような気分になり、こんな世界も世の中にあるんだと思いました。

 その後も安定した仕事はしていましたが、週末には色々なパーティーに毎週行くようになり、そんな事を続けていたので完全に薬物依存症になってしまいました。でも私は自分が依存症だと気づけず、約4年近くも続け量もどんどん増えて色々な薬物に手を出しました。友達も地元の友達は離れて行き全国に薬を使用している友達ばかりになってしまいました。

 元々、人付き合いが苦手で精神的に弱いところがあったので、薬物や仕事のストレス、女性との別れ、家族の人間関係等、色々なストレスでうつ病になりました。その後精神病院の入院を何度か繰り返し、今年の6月末に施設に繋がりました。右も左もわからず困惑し、自分の人生の悩みであった人間関係が初めての集団での生活で浮き彫りになりました。自分がいかに自己中心的な性格で、今まで家族にずっと面倒を見てもらっていたのか、実感していきました。プログラムのミーティングでは人前で話すことはとても苦手で緊張してしまう性格です。初めは全然話せませんでしたが、正直に自分の過去と現在の自分を棚卸しをし、自分と真正面から向き合い、仲間の話を聴いている中で、自分と同じことを考えていたんだと共感することが多くなってきました。これからも自分の数々の依存や悩みを仲間やスタッフと協力して克服していきたいと思います。

 

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