「必要な分だけ」

名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基


  2月18日、名古屋ダルク創設者の外山憲二さんの訃報が届きました。謹んでご冥福をお祈りします。外山憲二さんは通称ケンさんと呼ばれていました。ケンさんと私の出会いは1989年でした。その風貌は、キリリとしたダンディーな二枚目でした。顔は私の慕っているイエス・キリストかと思うようでした。というのは巷に出回っているイエスの肖像画、そっくりだったからです。
ケンさんはほとんど無一文で名古屋ダルクを始められました。そして、仲間を増やし、三重、岐阜、三河、トルコ、と各地にダルクを作っていかれ、数知れない多くの「薬中」の回復を支えて来ました。私はその姿をイエスと重ね、あらためて、ケンさんを偲びたいと思います。

2,イエスとは
 今から約2000年前パレスティナのガリラヤ地方で生きられたナザレのイエスはユダヤ教徒でした。ユダヤ教とはユダヤ的生き方、生活のあり方を言います。イエスはユダヤ教徒として神の言葉、即ち、律法(人生の方向指示、歩き方の意味)に忠実に生きました。その結果、イエスはユダヤ教に新しい生き方を提示実践したのです。その新しさの魅力に惹かれた者たちが集まり、イエスをリーダーとした運動に加わりました。したがって、ローマ国教となる前のキリスト教とは、イエスに従い、イエスを模範としてイエス運動に連なって生きることだったのです。

 さて、それでは、クリスチャンが従い倣うところのナザレのイエスは一体何者であり、その運動は何を目指したのか。イエスの思想の背景である旧約聖書から見てみましょう。
旧約聖書を残した人々の先祖はヘブライと呼ばれる社会の最底辺の人々だした。山羊や羊を飼う遊牧民や逃亡奴隷など雑多な移動し続ける人々の群れでした。そのヘブライが紀元前1300年頃から、現在のパレスティナの中央山地に侵入、定住し始めました。やがて、外敵からの防御のため彼らは部族連合を結集しました。連合体の求心力をヤーウエ神との契約共同体としました。その契約とは「神の前では、人間は平等・自由・独自な存在」と言う人権思想の実現する社会を造るために神が人間に示された方向指示、歩き方の言葉、掟(律法と言われる)を守ること。彼らは「すべての人が平等である」社会を造るために集まったのです。それは、彼らの周りの他のオリエント諸国の王を頂点としたヒエラルキー社会(95%は奴隷)の対極の理想社会であった。ここから、旧約聖書の出発点は「すべての人の平等社会」を目指したと言えるでしょう。それから、1000年後、イエスが登場したのです。

3、ガリラヤのイエス
 イエスはパレスティナのガリラヤ地方で活動しました。ガリラヤは古代オリエント世界で唯一雨の降る食糧生産地であり、東西交易ルート、地中海貿易の中継地でした。それゆえ、5000年前から大国による争奪戦の地域でした。(今日の中東紛争に繋がる)。イエスの時代はローマ帝国の植民地となり、重税により莫大な借金を負わされ大多数の農民は自立のための畑を手放し、農奴、ホームレス、流民となるしかなかったのです。更に、ユダヤ教からは複雑・膨大な律法を負わされ、極貧ゆえ守れないから「罪人」と呼ばれ差別されていました。イエスはそのガリラヤの極貧層(裸で飢え病気、囚われの人たち)を前に育ったのです。税金、賦役、律法の重荷に押し潰されていた貧しい人たちは、神の直接的介入、メシアを待望し、政治・経済的抑圧からの解放を望んでいました。イエスは自分の運動を次のように表現している。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)。イエスと弟子たちは自分たちの運動が何をすべきかを「主の祈り」として唱えた、と言われます。他方、所謂、イエスの「荒野の試み」物語は、何をしないかを語っています。即ち、当時、人々の期待したメシア像、例えば、パンを与え、奇跡を行い、崇拝を求めることを拒否し、新しいあり方を追求しました。

4、「主の祈り」
 天の御父
 御名が聖であるように
 神の国が到来するように
 神の意志が行われるように
 必要な糧が日毎にあるように
 負債が免除されるように
 試みに遭わせないでください
 悪い者から救ってください

 (太田道子訳)

 祈りの中心は、「必要な糧が日毎にあるように 負債が免除されるように」です。イエスと仲間たちはこれを自分たちの運動の合言葉、スローガンとして口ずさんだのです。ガリラヤの重荷に喘ぐ人々の切実な願いに応えようとしたのでしょう。何故なら、イエスは神の言葉に忠実であろうとした。即ち、「すべての人は平等である」はずにもかかわらず、ガリラヤの現状には目を被いたくなるのでした。イエスは心痛め、ガリラヤの人々が人として大切にされるように働いたのでした。そのために、石をパンに変えるという華々しい奇跡を行うのではなく、地道に出会う飢えた人に手持ちのパンを分け、病者に手を伸ばして立ち上がらせ、徴税人や遊女の「罪人」と飯を食ったのです。そのイエスの姿に惹かれて、自然と、飢え貧しく病む人々は集まって来ました。しかし、その貧しき者たちを貧困に陥れ飢えさせる政治・社会構造、貧しい人々と差別し排除する宗教の上にあぐらをかいている支配者層には社会秩序を破壊する者と映ったのです。イエスはローマを恐れたユダヤ支配者層から告発されて十字架刑死とされたのでした。

 イエス運動は「人は誰もが平等である。」と言う聖書の人権思想をガリラヤに実現することでした。そのためには、まず第一に、生存に必要なパンが毎日与えられることです。ある人は飢え、路上で死んで行き、ある者はたらふく食べて、暖かい服を着て、高級なベッドに横たわって夜を過ごすこと、そんな不平等をイエスは見過ごせなかったのです。だから、まずは、食べられるように。そのためには、借金を帳消しにするよう社会を支配している金持ちたちに訴えたのです。申命記15章には次の神の方向指示が述べられている。「七年目ごとに負債を免除しなさい。免除のしかたは次のとおりである。だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである。」(申命記15・1,2)イエスはこの言葉を幼少から学んできました。

5、「必要な分だけ」
 さて、イエスの平等運動を支えた旧約聖書の思想があります。それは、出エジプト記の「マナの話し」と言われます。その中心は、「その日の必要な分だけを集めなさい」(出エ16・16)との神からの指示です。人が必要以上に集めると足らなくなり、力あり多く集めた者と、少し、もしくは、力なく全く集められなかった者に分かれることとなります。だから、不平等にならないよう「それぞれ必要な分だけを集めろ」と神は人に命じるのです。それは、上記の申命記の負債免除に繋がる考え方です。次の言葉からわかります。「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸与えなさい」(申命記15・7,8)つまり、必要以上に持っている人は持っていない人に分け与えなさい、なぜなら、それらを与えたのは神だからと言うのです。まさに、現代世界の紛争の原因は著しい格差があることでしょう。必要以上に集めて留める先進諸国、日本と、取られて貧しくなる国アフリカやアジアの諸国に分裂していることから紛争が起きるのでしょう。イエスは派手なパフォーマンスではなく必要以上に持たず「必要な分だけ」で地道に働きました。ここに、私はいつもギリギリでダルクの活動をして来たケンさんの姿を見るのです。

あの世で、また、会いましょう。

(参照:太田道子著『ことばは光2』、『新しい創造』)


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特定非営利活動法人 名古屋ダルク 理事 柴 真也


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