「発光ダイオード」


名古屋ダルク代表 柴 真也


  ハロウィーンが終わり、イルミネーションが街を彩り始めていますね。クリスマスツリーにもブルーの発光ダイオードがひと際目立ち幻想的な雰囲気を出しています。20年間世界中の研究者が必死に作ろうとして作れなかった青色LEDが日本人によって作られたのは有名な話。青色LEDが発明されたことで白色も作れるようになったそうですね。

 さて、私たち名古屋ダルクでは依存症で苦しんでいた人が人間らしい生活と尊厳、健康を取り戻し、社会に戻るための手助けをしてきました。依存症からの回復は簡単ではなく、成功や挫折もあります。ダルクでは回復初期の1〜2年のサポートがベーシックですが、その後も人生は続きます。リハビリの後の[続き]を少し紹介します。
 社会に戻り結婚し出産、子育て奮闘してる仲間やそろそろ孫が生まれそうな人もいるようです。

 ダルクや依存症回復支援施設で働く仲間、昼間働き自助グループで何十年も自身の回復と仲間をサポートし、依存症者の居場所である施設を作っている仲間、世界中を飛び回って依存症者の手助けしてる仲間、音楽活躍再開した仲間、プロボクサーになった仲間、平均寿命くらいまで生きた仲間[素敵な軌跡]健康的に趣味を楽しむ仲間、会社経営してる仲間、バーベル100Kgあげる仲間、国会や学会で話す仲間、親孝行する仲間、依存症なのにシラフな仲間、キリがないのでこのくらいにしますね。

 私のイメージですが、例えれば真っ赤で危険な状態だった赤いLEDだった依存症者が青色や白に変わり社会に広がっていく。皆様は知らない話だと思いますが、依存症には弱い感染力があるのです。使っていれば使う人を増やす場合があり、回復し続けてれば止める仲間を増やし続ける。これからも回復したい仲間を増殖させようと思いますので、ご支援よろしくお願いします。その第一弾として、名古屋ダルク公式ホームページを作成中です。時代に会った相談窓口として、携帯スマホからもアクセスしやすくします。

 私ごとですが、最近たまーに、ライブハウス等で歌を歌っています。興味のある方はご一報くださいね。
 皆様、よいクリスマスを。


「感謝」

 名古屋ダルク職員 村瀬 光幸
 名古屋ダルクに繋がって4年8か月になります。当時、名古屋ダルク入寮をしてた時は、42歳で仲間たちは若くて、ちょうど25歳〜30歳前後の人たちですごくイヤでした。その時自分は40歳過ぎてのダルクに入寮をして若い人たちから見たらおじさんで、何をやっても体力が続かないし、居てもよいのかと思いながらダルクに居ました。一番嫌いだったのは1日3回のミーティングでした。なかなか正直に話ができなかったです。当時の職員に言われたのは、朝のミーティング司会をやれと言われて緊張をしながらミーティングの司会をしました。その時に思ったのが、言葉は詰まり、漢字も読めなかったって。読めない漢字はごまかして読んでいました。入寮生活は2年半くらいでした。今は名古屋ダルクの職員を2年くらいやっています。いまだに学校講演や刑務所、拘置所メッセージに行く時もすごく緊張をしながらやっています。最近、ダルクに繋がってなかったら今頃は刑務所に行っていたかもしれない。自分が一番感謝をしていることはダルクと仲間達です。

 


「一年を振り返って」

名古屋ダルク職員 ポン吉こと 鈴木 正勝

昨年の10月から名古屋ダルクで働かせて頂いてますが、今年一年はあっという間に過ぎてしまった印象があります。年末年始にかけて行われた中部と関西地方の多くの仲間との集いに参加したことから始まり、7月には博多でも全国規模のイベントが行われ、普段あまり会うことのできない仲間と回復の喜びを分かち合うことができました。仕事上でも仲間以外の多くの方々との出会いがあり、私自身が昨年まで一人暮らしをしながら別の仕事を行っていた中で出会った人たちと比べると、今年は比べようがないほど自分の今後の展望に思い悩む1年でもありました。その為か、最近では日々の様々なことにも何か急き立てられているというような感じが抜けません。ただ単に私の無気力なんでしょうか。それとも年のせいなんでしょうか、いずれにしても過去に薬物で洗いざらいを捨て、一度ダメにした人生、残された今後のおまけの人生を神様にゆだねながら焦らず来年からは歩いて行きたい。



戻る