「立秋に想う」

名古屋ダルク後援会代表 竹谷 基


  日本一の暑さを競う?私の住む岐阜県多治見市では、七月末から35℃以上の酷暑が続いた。八月上旬のある朝、蝉の声が中庭から聞こえて来た。耳を澄ますと、それは「ツク、ツク」との声、夏の盛りに「あれ」と思ったが、咄嗟に、今日は「立秋」であったことに気づいた。「蝉はよく知っているなぁ、移りゆく季節を敏感に感じとるなぁ、」と感心した。蝉たちはそうして命を継承していることをあらためて学んだ。翻って、ホモ・サピエンス、理性的動物と言われる人間はどうなのか。日本の現政権が進めている「戦争法案」、「原発再稼働」「雇用制度改革」、等は、現政権の言う「国民の生命、財産、幸福追求権」を守るのであろうか。現政権の言う「国民」とは一握りの富裕層を指すのではないか。彼らのためにそれ以外の国民は血を流せと言っているのではないか。時代の流れを見きわめ、命を継承して行く知恵を持つことを、蝉から教えられた。?

 今から、2000年前、人間の命を継承するために当時の支配階級とは違う生き方を目指した人がいた。ナザレのイエスと言われる人で、彼からその知恵を学びたい。?

1、イエスと「神の国」?
 イエスの使命は神の国の到来、開始を告げることであった。「時は満ちた、神の国は近づいた。」(マルコ1・15)そして、彼は病人を癒し、悪霊を追放し、パンを分けた。ルカ福音書には彼の働きを次のように要約している。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4・18−19)?

 それでは、何故、イエスが貧しい人たち(生きるにあたって困難を抱えた人たちの総称)に関わられたのか。前回触れたように、イエスの生きたガリラヤ地方にはその豊かさにも拘わらず貧しくさせられた人たちがごまんといた。彼はその現状を次のように嘆いたと言われる。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐み、いろいろと教え始められた。」(マルコ6・34)「憐み」と訳されているのは、元々、腸が捻じれるほどの痛み、という語からきている。つまり、イエスは、現実を目の当たりにして心が痛んだ、エルサレムでは贅沢に満腹している一握りの人がいる一方で、ここガリラヤでは無数の飢え、裸で病気の人々が彷徨っている様に心が震えた、何とかしなければと共苦共感したのであった。?

2、「神の国」とは?
 イエスはユダヤ人として神が提示される人間の生き方、社会の在り方の指針(つまり、それを神の言葉、掟、律法と言う。)に従う約束を神と交わしていた。神との約束を守ることは、人を理想の社会に導き、幸いと命を与える。?

 これは、あなたたちの神、主があなたたちに教えよと命じられた戒めと掟と法であり 、あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの。あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。(申命記6・1−3)しかし、約束に背くならば、災いと死、理想社会からの追放となる。?

 もしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる。…あなたたちも、あなたの神、主の御声に聴き従わないがゆえに、滅び去る。(同8・19、20)?

 理想社会とは「乳と蜜の流れる土地」と言われる、つまり「神の国」であり、「誰もが平等、自由、独自性」の人権思想が貫徹される状態、神の支配するところのこと。決して、あの世のことではない。その水平社会(エジプトやメソポタミアの大国のようなピラミッド型のヒエラルキー社会を否定する)を維持するには人間の不断の努力が必要(今日の平和憲法も同様。)、つまり、神からの指針を守り続けること。さて、その指針の一つに、貧しい者への関わりがある。?

 あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。(申命記10・17−19)?イエスはこの神のことばに応えようとした。しかし、如何せん一介の大工でしかない。己の限界をつとに知っている。まず、天の父に祈った。その現状を変えることを人、就中、国の指導者層には期待できなかった、彼らは己の安泰の為、ローマの顔を窺うばかりだから。神の介入を願うしかない混沌の世界だったのだ。しかし、彼は祈るだけで座視することはなかった。できる限りの行動をした、手当てをし、パンを分け、誰もが平等に扱われるように、「罪人」と呼ばれて差別される人々と会食した。彼の働きに加わる者たちも来た。イエスと弟子たちは合言葉を繰り返し口にし、自分らの目指すものが何であるか確認した。「神の国が到来しますように」?

 主はあなたの働きをすべて祝福してくださる。この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたがたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。(申命記15・10b−11)?

 このイエスに従うキリスト者は、知恵を尽くし、現政権の目指す「富者優先、弱者犠牲」の流れを阻止し、誰もが尊重される社会、命を継承して行く流れへと進路変更しなければならない。ダルク、薬物依存者への理解と協力はその流れの一つとなる。?
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特定非営利活動法人 名古屋ダルク 理事 柴 真也


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