「夢」

名古屋ダルク後援会 代表 竹谷 基


 車は若狭の海を取り囲むかのような海岸道路を走った。目の前に拡がる海はこの地の人々に古来からどれほど豊かな恩恵を与えてきたかを示していた。曇った空ではあったが、紅葉の山々と合わせ水彩画のようであった。そして何とも言いようのない静謐さに包まれていた。波一つ立たず、行き交う車も人もほとんどなく静まりかえっていた。行き止まりの道路を降りると、現在日本で唯一稼働中の大飯原子力発電所が微かに見えた。双眼鏡を取って覗くと二基の原子炉がはっきり確認できた。案内の小浜市議会議長池尾正彦さんから説明していただいた。ここから大飯原発まで4qしか離れていない。もし事故が起きれば、放射能は拡散し、20q圏内の小浜市民全員の3万5,000人が被爆する。避難するにも、今来た道路一本しかない、逃げられません。諦めるしかないです。フクシマ原発事故で未だ20万人が故郷に帰られず、失意の中に暮らし、避難できなかった人は被爆を強いられているにも関わらず、政府は夏場の電力不足を補うからと、大飯原子力発電所を再稼働した。しかし、電力は余り、しかも関西電力は火力発電所を止めていたと言う。何のための再稼働かと呆れるほどだ。更に、断層の発見にも関わらず停止しない。そのために、小浜市民は事故に怯えた生活を余儀なくされ、原発から日常的に出される放射能に曝されている。また、作業員の被爆、廃棄物の処理など、人間にも地球にも害毒を流し続けている。この長閑な海辺の地域を死が浸食しつつあると思うと胸が痛い。大都会に暮らす私は、原発からの電力を使い、便利快適な生活をエンジョイしてきた。しかし、その影での、原発立地地域の人々の犠牲には目が行かない自己の身勝手さに嘆かざるをえない。

 市役所では、市議会が「脱原発を政府に求める意見書」を全員一致で可決したことの話しを窺った。フクシマでの事故前までは小浜市でも原発問題はタブーであった。しかし、あれほどの事故を目の当たりにして、他人事ではないと思った。原発に隣接する市民の命を守ることが議会の責任であると意見書を出した。商工会議所からの非難があったけれど「経済も雇用も命あってのもの」と議会の意思をはっきり示した、ことなど池尾さんが話された。話しを聞いて隣の敦賀市議会や福井県が「生活優先」と原発推進を続けるなかでの「脱原発」はとても強い信念と勇気が無ければ出来ないことと思い、あらためて、小浜市議会の英断に敬意を表する。

 この国では、原発はじめ国策が進められて行くとき、必ず、弱い立場の人々に犠牲を強いる。富国強兵策での女工哀史、徴兵・徴用、満蒙開拓団、ブラジル移民、石炭から石油へのエネルギー転換、水俣病、沖縄の基地、等々。他者の苦しみには身に迫るまでは無関心となっている。人の生き方としてそれでよいのだろうか。

 ダルクは、私に「薬中」との出会いを与えてくれた。そして、薬物に依存してしか生きられない人々を生み出すこの社会の犠牲者であることを教えてくれた。「薬中」、犠牲者を出さない、誰もが安心して生きられる社会になることを私は願うようになった。

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