ダルクの仲間達


マサト

 ダルクに来て18か月が過ぎました。今はコンビニでバイトをやり始めて3か月が経ちました。コンビニまで自転車で通っています。今のバイトをやり始めて思った事は16歳のころに言われたことを28歳になっても同じことを言われているので何も成長していません。薬が止まってよかったことは、さぼりが今のところないことです。皆さんありがとうございます。
ゆうや

  ダルクに来て5か月が過ぎた頃、「帰ります」と言ってダルクを出ました。ダルクを出て1か月半生活してどうにもならなくなり、またダルクに戻ってきました。前回のニューズレターで「毎日続けることが大切だ」と書いたのに続けることができませんでした。今は職員からの提案をただ聞いて、ただ行動するということに挑戦しています。こんな僕でもダルクの仲間は受け入れようとしてくれます。感謝します。
 
ミツ

  ダルクに来て4か月半が過ぎました。今は一日3回のミーティングと運動と新しい仲間のサポートをしています。特に今は、1時間の走る目標を毎日やっています。後は施設に犬が来て自分が施設で寝泊まりしながら犬の世話をしています。今は、施設の職員から自分に与えられたことをこなしながら、新しい仲間のサポートをして自分の事をしています。
 
なつこ

 繋がって2か月も経ちました。最初は名城公園を歩くだけで精いっぱいでしたが、今は3週走ることができるようになりました。今自分は大きな壁にぶち当たっています。「なぜダルクに来たのか」という一番重要な目的を忘れかけていました。過去からの嫌なパターンを引きずっていることに気が付いてとても苦しいです。丸投げしたくなりました。でも今逃げ出すわけにもいかないから、辛くても毎日通い続けます。先日、真也さんに「もう一度リハビリをやらせてください。」とお願いしました。だから、しっかり自分と向き合ってしっかり運動して、ちょっとでも自分の事が好きになれるように頑張ります。
 
ヒデ

  初めまして、薬物依存症のヒデです。今回は初めてのニューズレターです。僕が初めて薬物に手を出したのは17歳の時の大麻でした。そして10年止まりませんでした。大麻からエスカレートして最後には覚せい剤の注射にどっぷりつかってました。最初に使ったときは絶対やめれるだろうと思ったのですが、毎日注射を使い覚せい剤にたよってました。名古屋ダルクにめぐり合い仲間とともに回復してみようと思いました。
 
しんたろう

  ダルクに来て10ヶ月が過ぎました。クリーンタイムも10か月です。前回のニューズレターから今日まですごく大変な問題ばかりありました。1つ目はクリーンが8か月のころ、フラッシュバックを経験しました。僕が思っていたよりも辛いものでした。薬を使ってもいないのにキレ目のような感覚で、イライラして仲間にあたったり、ダルクでの生活が嫌になったりと大変でした。2つ目は、盲腸になり入院、手術をしました。その日は朝からすごくお腹が痛くて、何か変だと思い、病院へ行かせてもらいました。色々と検査をしてもらい盲腸だとわかりました。全身麻酔で手術と言われ、正直すごくビビりましたが、何とか手術を終え目を覚ますと、仲間がそばに居てくれました。5日間入院しましたが、毎日仲間がお見舞いに来てくれました。それだけで元気が出ました。

 退院後、沖縄にNAのギャザリングにいきました。沖縄ではダイビングをしたり、海で泳いだり、たくさんの同じ問題を抱えた仲間達と出会えることも出来ました。本当にいい思い出になりました。

 10月には家族の支援もあってトルコのNAイベントに行かせてもらいます。初めての海外なのですごく楽しみです。

 あと僕は、金銭管理がうまくできません。少し前から10日分の生活費をまとめてもらっていますが、無駄遣いばかりしていつも苦しんでいます。最近になって薬につながる3つのことを棚上げしました。1つ目は女性の問題、2つ目はギャンブル、3つ目は自分では思いつかず、職員の提案を守るということになりました。

 1年のバースデーまであと2か月をきりました。これからも、今日一日、ベストを尽くしてがんばります。(^−^)

 
ヒロ

 ダルクに来て4か月が経ちました。最初は薬物依存症としてではなく親に頼まれて来ていましたが、処方薬に問題があって週3回+NAになりました。ダルクに通うのはとても楽しかったのですが、その頃の私は夜遊びが大好きでした。夜の間中遊んで、寝ずにダルクに来ることが何度かありました。ミーティングや運動、一日中眠くて大変でした。そんな毎日を送っていた時に、高校のスクーリングがあって、三重県の本校まで友達と行ったのですが、やる気が全く起きず友達の持っていた処方薬を見て沢山飲みました。ブラックアウトを起こして朝までの記憶は無いですが、朝起きたら旅館の部屋の障子はビリビリだし、枕はボロボロだし、机の上には身に覚えのないビール瓶が飲み干された状態で何本かありました。足にもアザができていて、携帯には全く覚えのない写真が沢山あってびっくりしました。何度かブラックアウトは起こしていたので、久しぶりの感覚でもっと薬が飲みたいと思いました。学校に行かずに旅館の浴衣のまま友達と薬局に行って薬を買って酒と大量に飲みました。すぐに先生に名古屋に帰され、電車に乗った時も名古屋についてからも友達と薬を飲み続けました。お金が欲しくて、シラフでは考えられないことも平気だったので、汚い金をかせいで違う薬を買っては友達と遊びほうけて薬使って酒飲んで、またお金が無くなってくると汚い金をかせいでの繰り返しでした。食べないし、寝ないし、精神的にもキツくなって、すごく後悔して涙が止まりませんでした。沢山の人に迷惑をかけてまたダルクに戻った時にも、周りに迷惑をかけました。薬が切れて苛ついて、だるくてうんざりでしたが、ダルクの仲間や周りの人が支えてくれて今は毎日ダルクに来れています。夜遊びもできないしお金も自由に使えないし、朝起きないといけないけど、薬と金と男におぼれていた頃より、仲間と毎日いる今の方が充実し、安定しています。ダルクにつながっていて本当によかったし、これからも毎日頑張ります。

 
 
ジュンヤ(加藤 純矢) 

「addictとして一体何が出来るのか?」

春夏秋冬の中で夏は、太く短くといった様な一刻を毎年感じさせてもらいます。私は今から25年前の中学に入学した頃に人生についてもそんな様な事を思ってました…

 私は中学から新宿区にある進学校にいきました。何かといつも戦っていたように思います。15歳からハードコアバンドを結成してライヴハウスへ出掛けたり、クラブハウスへ行っては朝まで酒を飲み、クラブチームの友人たちと街の中で遊びも覚えていきました。薬物は遊びのつもりで使ってましたが、次第に薬物を使っては友人達とも喧嘩を起こしてました。窃盗、退学、転入等を繰り返してました。その後に何度か薬物を止めてみようといろいろな方法で試してみましたが、19歳には立って歩くことも人と話すことも出来なくなっていました。薬物がなくては生きていけないと人生を諦めていました。精神病院の隔離室に入ろうが警察に捕まろうが家族に匙を投げられても薬物を使ってました。薬物依存症と診断されたのもこの頃でした。何処に行こうが何をしようが薬物は止められないと思ってました。何度とそんな自分を責めていることもありました。そんな時にDARCと自助グループの事を知りました。足を運んで行ってみると自分と同じような経験や自分よりも酷いなと思えるような話をしている人達がそこにいました。可笑しな所だと思いながらも自分の居場所は何だか此処なんじゃないかと感じました。

 今まで誰にも理解してもらえないとか、自分がしてきた事を話すことが出来る訳がないじゃないかとか思ってましたけど、そこに居る人達はそんな話をしていました。それから仲間たちとは十数年関わり続けています。その間にも何度と再発を繰り返しましたが、再びこの場所に戻りました。

 名古屋DARCとの出逢いは6年前になります。3年間プログラム徹底的にやりました。3年前に名古屋DARCの利用も終えて部屋を借り、自活の練習をしていきました。自助グループが終わると仲間達と揃って筋力トレーニングをしました。朝起きる事、仕事に行く事、自助グループへ行く事、お金の管理をする事を誰の目もない所で練習していきました。お金がなくてご飯も食べれない時もありましたが、それだけではなく家族との信頼関係や好きな人も出来ました。彼女とも交際を2年程続け去年結婚しました。今はお腹の中に5か月目の赤ちゃんがいます。仕事と自助グループのサービスと関わり合いながら今日に至ります。数か月前にDARCの仕事の話があり暫く迷いました。これからの人生の中で、アディクトの父親として一体自分に何ができるのか?何か月もそれだけ考えてミーティングに通いました。ミーティング場には色々な仲間が居ました。今日初めて繋がってきた仲間が声を震わせて自分の話をしてました。私は十数年前に人生を諦めてましたが、このプログラムと仲間と関わることで人生が変わり始めました。これからも新しい命と共に前向きな姿で歩んで生きたいと願いました…

 来年度から名古屋DARCの職員として働かせてもらいます。未熟者ですが皆様に色々と教えて頂いて何かのお役にたてれば幸いです。そして皆様の変わらぬご協力に感謝致しております。

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