『借りぐらしのアリエッティ』

ダルク後援会代表 竹谷 基


 残暑お見舞い申しあげます。

 猛暑が続き、心身とも疲れ気味となっている。また、疲れに追い打ちをかけているのは円高や高齢者行方不明問題、幼児虐待、などなど、内外の諸問題だ。何か気分をさっぱりさせるものはないか、と思っていたとき、テレビでアニメ映画の「アリエッティ」を紹介していたのを偶然見た。なにやら面白そうだったので、早速、観に行った。
まあ、画面の美しいこととストーリーの突拍子さに圧倒されて魅入ってしまった。ある病弱の少年が療養のため夏の一時期を祖母の家で過ごしているときに、その家にいた小人の少女「アリエッタ」との出会いと別れを描いたお話であった。面白可笑しく、もの悲しい物語の展開は、いろいろなことを暗示していて考えさせられた。その中で、アリエッティが少年に語ったこと、「自分たち小人は生きるために『借りぐらし』をしていて、人間に見つかったら滅ぼされてしまうので、借りぐらしの場所を探して、転々としている。」が印象に残った。

 そして、人間や地球上のすべての生物は、地球に借りぐらしをしていることに気づかされた。つまり、人間は地球を借家としていること、であれば、地球を得手勝手に使い放題、汚し放題、ゴミ屋敷にしてはならないし、同じく、借家人である他の生物と仲良く暮らして行かねばならないのだ。しかし、人間や私は地球や自分の住んでいる所を何故か「おれの物」と勘違いして、他の人の侵入、越境を許さず、力ずくで排除している、だから、他の人間を含め、生物はどんどん減少し、地球は温暖化の悲鳴を上げているのではないか、と考えさせられた。

 『借りぐらし』とは、言い換えれば、『生かされている』との謙虚さではないだろうか。人間始め生物はそれだけでは生きては行けない、他者、しかも、多様な生物との共存共栄によって『生かされている』。そうであれば、傷つき病んでいる他者がいるならば、すすんで、声を掛け、手を伸ばすことが必要だ。何となれば、自分も声を掛けられ、手を伸ばしてもらっているから。

 私たちは「生かされて」いる。ダルクのメンバーからも、薬物の恐ろしさを教えて頂いている。どうか、みなさま、ご一緒にダルクのメンバーを応援しませんか。

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