大災害

ダルク後援会会長 竹谷 基



 生きることは思い通りにはならない。小は今日の昼飯を何するか。コンビニへ弁当を買いに行っても、美味そうなものがない、結局は、同じものを食べることに。また、体も思うようにはならない。目が痒いなと思ったら結膜炎に。鍬を少し振るっただけで、腰に痛みが、等々。けれども、それらのことはまだまだ何とでもなるが、衣食住などの人が生きて行く上での最低な条件さえ整っていなければ、生きることには夢も希望もなくなる。

 たとえば、ビルマや中国での大災害。災害は突然やって来る。しかし、被害は最小限にくい止められたはずなのに、両国の対応や備えは全く不充分だった。被害の多くは人災としか言いようがない。また、両国は、民主化運動を暴力で抑え、数さえ分からないほど犠牲者を出した。国家は災害や政治においても人の命を守らず奪って行くのではないか。

 日本においては最近の後期高齢者医療制度において、高齢者を生き難くしている、ことは明らかだ。それだけではなく、市場原理、規制緩和、等により、ワーキングプアと呼ばれる年収200万円以下の労働者が1000万人もいる現状は、日本の政治経済が如何に人を生かすのではなく、飢え死にさせようとしているかを示しているのではないか。

 日本が追随している米国はもっと大変らしい。サブプライムローンに象徴されるように、貧困者が最貧困者になって行く状況だと言う。「そこでは『弱者』が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権が奪われた挙げ句、使い捨てにされていく。」(堤 未果『ルポ貧困大国アメリカ』岩波新書p.9)

 こんな、弱肉強食の世界で、力のない私たちの人生が豊かになるにはどうしたらいいのでしょうか。
先日、ダルクのナイトケアーの責任者が慌ててやって来ました。今月の家賃が払えなくなった、どうしようと相談に来たのでした。ダルクではよくあることなのですが、よくこんな自転車操業で来年の20周年まで続いていたかと思うと、感謝しかありません。

 しかし、如何せん、私には何も出来ません。教会関係者を紹介し、ほんの少し寄付しただけでした。その後、寄付もあり何とか持ちこたえたようです。

 些細なことの連帯、力のない者はこれが出来るのです。力ある者は他者を利用、価値がなくなれば切り捨てて行くのですが。ないからこそ繋がれるのではないでしょうか。

大きな力に抗して、力がないゆえにダルクは薬物依存者と連帯して生きて来ました。

これからも、繋がって行きます。どうか、みなさま、ダルクと繋がり、互いの人生を豊かにするネットワークを築きましょう。

みなさまのご理解とご協力をお願いいたします。


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