ワールド・コンベンションに参加することは

津山 智樹



 ワールドコンベンションをいう言葉を初めて聞いたのは15年以上前のことになります。「トモキ、パリでやるから一緒にいこう、いいぞ」と先を行くメンバーに伝えられましたが、当時は止める気もなかったし、そんな所行って何になるの?と拒絶していました。時を経て兄弟よりボルチモアでの話を長々と聞かせてもらいました。「何万人と集まる、街中がネームタグを首から下げた薬中だらけになる、ホテルや店も看板をかかげ、街全体がアディクトを受け入れてくれる」等、想像もつかず、信じられない感じでした。ただ、その話をしている兄弟は、本気で感動し、熱くなっていた事を今でも憶えています。その後、参加する機会はあっても行く事はありませんでした。名古屋に来てから半年位の時に50周年のコンベンションに参加することになりました。本当でした!まずその規模の大きさにド胆を抜かれ、人の多さに圧倒されました。街路灯には大きなタレ幕があり、店の軒先にはウェルカムボードがありました!“すげえなぁ”と驚きの連続でした。

 沢山の事に驚きましたが、中でも大型シャトルバスが街中の主要ホテルと会場を一日中結んでいる事や、メンバーがオープンであると感じた事、社会的にアディクトが認知され受け入れられている事に希望がありました。そこで一人のメンバーに会い写真を撮りました、第一印象は“やばそうな奴だな”でした、尖った感じが漂っていた。二年後のハワイのコンベンションで再会した時、感動した。しかも名前をおぼえていた、写真を壁に張ってあると云っていた、写真を再び撮り別れた。気づいた事はあんなに尖っていたのに表情が丸くなっている事に驚いた。

 そして、いよいよ今回のテキサスでのコンベンション。都合三回目、今回もアレックスに会った!!前回よりも表情も全体の雰囲気も更にやわらかくなっていた。プログラムは効くんだなと実感しました。何万人といる中で友人と会える事に何か不思議な力を感じました。信じる力が少し増えた。

 昔、名古屋を出る時に云われた事、同じ位のクリーンタイムのメンバーと一人でいいから友人になる事。

 最初はあんなに拒絶していたのに今は二年後のバルセロナが待ち遠しい。先行くメンバー達が云う様に希望にあふれたコンベンション、いく度にそう感じられる度合が強くなっていく不思議さを実感しました。

 テキサスの会場に入ると会場正面の舞台を見て鳥肌が立ちました、“私達のメッセージは希望、私達は自由を約束する”でした。なんと心強い事だと感じました。そして世界中に同じプログラムを信じている人達がこんなにもいる事。一人のスピーカーが云っていましたが「この会場に来れない数多くのメンバー達にメッセージを運んでください」僕が沢山のメンバーに伝えたれた様に。

 まだまだ古い習慣は根強いですが、一つずつ自分の問題と向き合い続けるには同じ問題を抱えた仲間の経験が必要です。一日一日古い自分から遠ざかる事を願って今日も仲間の中に居ます。

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