《家族の体験談》

私のトライアンドエラー そして回復へ
 先日は「家族の話し」をということで メッセージの機会を与えていただき ドキドキしながら話しをさせて頂きました。知っている顔もチラホラ。仲間に見守られながら どうにか終える事ができました。

 そして今回は 体験談を書くという機会も与えられ 感謝するとともに「トライアンドエラー そして回復へ」というテーマを改めて考えてみました。

 私がある自助グループにつながったのは 今から9年前。子どもがクスリに依存するようになって4ヶ月後ことでした。カウンセラーから「自助グループに行くことを奨めます」と言われ その日の夜やっていたミーティング会場に飛びこんだのでした。
私は「子どものクスリの問題で困っています」 「子どものクスリの問題を解決をしてほしいのです」 「やれる事があれば何でもします。お金も時間も惜しみません」と。今思えば 反対の「助ける」という思いで一杯でした。依存症本人の問題が解決しない限り 私の幸せはあり得ないと 悲愴な覚悟をしていました。

 カウンセラーに依存し 夫は何もしてくれないと恨み 私が一生けん命に本人を回復させてあげなくてはいけないと走りまわっていました。

 振り返ると よくもまあ……と思う程の異常なエネルギーでした。

 家の中では暴力を受け おびえ 相手の謝罪にホッとし お金をせびられては「これで最後よ」と渡し続け 本人が「病院に行って治療をする」と言えば 舞い上がり 強制退院ときけば落胆し 夜寝る時は いつでも外に出られるように寝巻きを着ることもなくエプロンをかけ 仮眠する状態の日々を送っていました。生活の実感はなく 朝と夜をただやり過ごすだけでした。生きていくことがどうにもならなくっていたのに なかなか「愛情を持って手を放す」ことはできませんでした。実は手を離すことで子どもに嫌われたらどうしようと 自分が不安だったのかもしれません。トライアンドエラーのくり返しの日々でした。

 そんな私でしたが ミーティングには通い続けました。プログラムがあることを知り 自分が変ることが大切と聞かされ 少しずつ自分の回復に専念する事の必要性を意識するようになってゆきました。“自分の無力を認め 自分を越えた力を信じ委ねること”……。そんな事ができるのだろうか……。

 子どもがいろいろな狂気の行動をしてくれ カウンセラーに相談した私に「あなたの家族のことはわからないわ!」とのカウンセラーの言葉。その時はショックでしたが 私はお陰で 自助グループの仲間の話が真剣に聞けるようになりました。

 「暴力を受けるのは 相手を刺激するからだ」と聞いていましたが ある日の子どもの様子に「私の存在そのものが刺激なのだ」と確信させられた私は 気づいたら家を出ていました。

 「私がしてあげる事は何もない。私の存在は本人の回復の邪魔になる」 私の底つきでした。

 家を売り 子どもは回復施設につながり これからやっと夫も一緒に家庭の問題に取り組んでくれると思っていたら 「家を売ることになり 失望だ。こうなったのは キミの責任だ。離婚をしてほしい」と 夫からの思いもよらない申し出。みじめな思いをし プライドが傷つき 調停(不成立)を経験したりしましたが それを超えたら 自立を考え 仕事も与えられている自分がいました。小さいころから求めていた仕事や人生が与えられています。

 一人アパート暮らしをしている中で 大丈夫!の実感をつかんだら 子どもの事も「大丈夫 本人は本人でやっていいける」との信頼し任せられる気持ちが強められました。

 自分の回復に集中できるようになったら スポンサーが与えられ ステップの棚卸を終えたら 父・兄・夫などへの恨みが消えてゆきました。

 たくさんのトライアンドエラーのくり返しのお陰で 自分自身の性格上の問題を知り 自分の回復のために歩けるようになりました。

 信じ委ねることができるようになったら 子どもを愛情を持って手放せるようになりました。

 自分以外の人の問題を手放せるようになったら 自分の考えや行動に責任を持てるようになりました。

 先日 あるイベント会場で 6年ぶりに子どもと会う機会が与えられました。互いの健康を祝福し「またね!」と別れました。嬉しい再開でした。

 私はこれからも自助グループに通いながら 仲間とともに回復のプログラムを歩いてゆきたいと思っています。

 書く機会を与えて頂いた事に改めて感謝します。  (ある家族 アノニマス)
   

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