名古屋ダルクの仲間たち


 薬物依存症のトンボです。16才になりました。中学二年生の夏、初めてシンナーというものを吸いました。最初は友達や先輩から勧められて「一回ぐらいならいいか」という軽い気持ちからでした。そのうちだんだんシンナーの恐ろしい深みにはまっていってしまいました。ですが、こんな僕にも心配してくれる人がいました。僕は、そんな人たちのためにもシンナーをやめようと思いましたが……なかなかやめられるようなものではありません。当時、僕は中学生でしたから……精神科の病院に入院ということはありませんでしたが、シンナーをやめるということは、とてもつらいものでした。

 自力でシンナーをやめ、一年ぐらいがたちます。高校を中退して、ダルクに通所して1ヶ月たちました。こんな僕に場所を与えてくれた皆様に感謝しています。そして皆様の愛情に、お礼を伝えたいです。

ダルク・トンボ


 薬物依存症のボーダーです。初めてシンナーという友達に出会ったのが15才の時でした。シンナーを吸えば、もっとカッコいい不良になれるという狂ったあこがれからでした。現在26才、8年間で15回の精神科の病院の入退院をくり返しました。

 入院中も素行は悪く、脱走 ・・ そして金物屋に走りシンナーを買い、吸引、そしいてボンドだらけで病院に替えるくり返しでした。友人、大切な彼女、両親より、僕が一番大切だったものはシンナーでした。シンナー以外は何も考えられないという生活でした。

 15回目の入院生活にピリオドをうち、再びダルクにきました。次の日から妄想と幻聴と不眠に苦しめられました。ダルクに入寮してから1週間目で再びシンナーを吸ってしまった。

 そして、また…そしてまた…ダルクの近所のペンキ屋に忍び込んでシンナーを盗み、吸っていたところを警察に捕まり取り調べを受け、両親が迎えにきた。

 何も昔と変わってないじゃないかとシンナーがまわった頭で、ぼんやり考えていた。その事件以来シンナーが止まっています。今日で8日になります。たった8日かと思われるでしょうが、僕にとっては貴重な“8日”です。

 こんな僕に居場所を与えてくれて感謝しております。

 そしてみなさんの愛情にありがとうを伝えます。

ダルク・ボーダー


 Nicoです。ダルクに来て早7ヶ月がたちました。近頃やっと朝10時にここにこれる様になりました。今迄は昼過ぎやひどい時は夕方にきていました。それが10時に来て、掃除やお茶作りなどが出来る様になりました。

 あたりまえのことなのですが、こうしたあたりまえの事が薬を使っていた頃は全然できませんでした。始めは何で私がこんな事しなければいけないのだろうと、ぶつぶつ文句を言いながらやっていましたが最近はよろこびを感じる様になりました。ダルクがきれいになって行くと心が浮き浮きします。特に氷を割り、つめたい冷茶を作るのは会館です。何も出来ずどうしようもなかった私が、けっこう役に立っていると思います。本当は私のためにやっているのですが……ダルクに集まってくる人達が私の愛のコーヒーやお茶を飲んでいる時に最高の喜びを感じています。これからも今日だけを続けていきたいと思います。

 皆様よろしくお願いします。

ダルク・Nico


 わたしの夫は、薬物を使い苦しんでいた。わたしは、回復施設があるという事を知った。

 結婚後、始めて彼を突き放した。そう、それは新幹線のホーム。当時、名古屋には施設は無く、彼を助けてくれる仲間は名古屋には居なかった。不安と恐れと、そして微やかな期待とがわたしの心を過った。「神様、これでよかったんですよネ。わたしには彼を助けてはあげられない。」

 彼の病気を理解はしていたが、わたしより仲間の方が彼をより理解できるということをわたしは気が付いていた。愛しているが故に、彼をわたしの一部としていたいと思う。だから、彼を仲間の手に預けたのだ。彼の為にも……私自身の為にも。

 彼は仲間の中で、わたしはわたし自身の生活の中で、徐々に健康的で穏やかになっていった。離れてクラス日々、私たちはそれぞれの生きる方法を学んだ。

 主人に、彼自身の人生を歩く自由と自身を与え、そして私自身に気付かせてくれたのは施設での彼の仲間たちだった。薬を使わない時が来た時すべてが終るのではなく、始まりだった。生活も私たち夫婦の在り方も、生き方すべてを神様にお任せして、「勇気とは、おそれつつも祈ること」を知った。今年の11月で、彼は薬なしの人生を8年間歩んだことになる。生まれ変わって8年目のバースデー。11月、あの日のプラットホームでの無言の祈りを今も忘れていない。涙と笑いの10年の結婚生活で、あの日は私たちへの神様からのメッセージだと思う。……「今まだ苦しむ仲間と家族にこの愛を届けよう」……

 3年前の名古屋ダルクはまさに皆様からのあたたかな愛でスタートした。仲間たちは床を掃き、カーテンを吊した。わたしにとって、名古屋ダルクの仲間たちは、8年前の主人だ。そして無事を祈る家族は、8年前の私自身。

 わたしにできることは、祈り見守ること。そして愛すること。そして、援助してくださっている多くの方々に心からの感謝の言葉を贈ります。

 「暖かい愛をいつも届けてくださり、ありがとうございます。皆様に与えていただいた力で、いま私たちは生きています。本当にありがとうございます。」

 最後に、「あなた、8年目のバースデー。おめでとう。そしていつも勇気をありがとう。」

あなたの妻より


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