巻頭言

典礼による学び(8)

神言神学院 院長 市瀬 英昭


 典礼祭儀では、ことばと同じく「もの」(シンボル)が大切にされます。 このことばとものとの関係を少しみてみましょう。ことばには大きく分けて二つの 種類があると言われています。第一は、情報を伝える種類の言葉、第二は、「こと」 を起こすような言葉です。
 実際にはこの二つは混ざりあっていることもありますが、 一応こう分けることができます。情報をもらうことあるいは説明をしてもらうこと で私たちのあり方が変化を受けることもあります。天気予報を聞いたので傘を持って 出かけたとか、私たちの日常生活にこの種の言葉は欠かせません。しかし、私たち は第二の別の種類の言葉も必要とします。それがなければ私たちの生活は非常に味 けないものになってしまうような言葉です。それは約束や誓いや宣言あるいは命令 などという種類の言葉です。約束するという行為は実際にその効果、結果をもたら します。この種類の言葉が発せられるときそこに「世界が生まれる」のだと言える でしょう。この種の言葉は単なる「もの」でありながら「単なるものでないもの」にする力 があります。例えば、結婚指輪は「この指輪は愛と忠実のしるしです」という誓い の言葉が発せられる前と後ではまったく違うものになるのではないでしょうか。化 学変化が起こる訳ではありません。しかし、初めは単に多くの中のひとつに過ぎな かったものがその誓いと約束の言葉が加わることによって、かけがえのない素晴ら しいしるしとなるという事態が起きるとは言えるでしょう。ささやかなものが、多 くものの中の一つのものが「いのちと喜び」を運ぶ「嬉し鋳物」となるのです。も し、その誓いと約束の言葉を信じるならば。そしてそこに本当のコミニケーション が成立します。
 アウグスティヌスは「ことばがものに加わって秘跡になる」と言っていますが、 上と同じような理解をしてもよいでしょう。イエス・キリストが根源秘蹟、教会は 原秘跡そして具体的な七つの秘跡。これはすべてつながっています。見えるもの、 人、聞こえる言葉、触れられるもの、それらによって見えない神の配慮を私たちは 感じることができる。それが典礼祭儀の大切な意味でしょう。イエスという一人の 人物に「これは私の愛する子、これに聴け」という言葉が加わって、彼は神から人 間への「贈り物」となりました。そう信じて彼に聴くとき私たちのうちに何が起き るでしょうか。「あなたたちは父なる神に愛されている」というイエスの止むこと のない語りかけはわたしたちのうちにいったい何を「起こしている」のでしょうか。


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