〔新たな出発〕
高齢者アパート基金により、アパート生活を始めた人を訪ねて

インタビュー 竹谷 基


「はいそれでは一柳さん一柳何と言う名前ですか
一柳 「ひでお重箱の重に英雄の雄ね
「昭和何年生まれですか?」
一柳 「昭和6年7月16日」
「今年で?」
一柳 「65才です
「はい去年のいつでしたかアパートに入ったのは?」
一柳 「11月からです
「11月から6月に近いから約半年」
一柳 「はいそうですね
「どうですか? アパートの生活は
一柳 「まぁ! 初めのうちはまぁなれなかったけれども今どうにかこうにか自分で」
「それでは1日の生活を聞きますけど朝は何時に起きますか?」
一柳 「朝6時です
「はいで! その後?」
一柳 「後は顔を洗ったり」
「はい
一柳 「朝御飯の準備をしたり」
「うん! 朝御飯自分で?」
一柳 「はい自分でやっています
「御飯炊いて」
一柳 「うん!」
「味噌汁か何か作って?」
一柳 「うん!あ!そうそう」
「おかずも作って?」
一柳 「はい
「あー凄いじゃん御飯をたべました
一柳 「はいそれで」
「でー一服して」
一柳 「ほんで一服して1時間か2時間ばか朝テレビを見て」
「はいどんなテレビを見るんですか?」
一柳 「えーやっぱり」
「ワイドショウとかあーいうの?」
一柳 「はい」
「ニュースとか」
一柳 「ニュースとか」
「暴れん坊将軍」
一柳 「暴れん坊将軍」2人の笑い声 「そういうの見て」
「はいだいたいネ洗濯は?」
一柳 「洗濯はあのーコインランドリーでやっています
「毎日?」
一柳 「毎日じゃない一週間にいっぺんずつな」
「いっぺんうん近くにあるんですか?」
一柳 「はいあります
「はいそれでは洗濯したりとかお昼は?」
一柳 「昼はまぁどうしても楽な生活をやってるもんだから」
「弁当ひろってくる?」
一柳 「いやいやそんなことは今はやってません
「はい」
一柳 「ほんだで昼御飯は朝飯の残った分を食べて」
「そりゃ上当だ」
一柳 「ほんで区役所のケースワーカーがたまにひょこんひょこんとくるもんだから」
「月何回来るって言いました?」
一柳 「月に週3回位」
「週に?すごいね」
一柳 「うん結局えーまー65才になって健康なものならいいけれどこういう身体障害者だもんでむこうが心配して日常の生活がどうかいう事を聞きに来たりします
「はいそれではお昼はまぁ御飯食べて役所の人が来たりとか」
一柳 「あそうそう」
「それからはどうですか?」
一柳 「ほんでまぁえー3時から近くに公園があるもんだから公園の所をずっと散歩して」
「はい
一柳 「ほんで帰って」
「夕方ですね夕飯食べて何時頃寝ますか」
一柳 「晩は9時です
「それでは次に役所の方から毎月生活保護をいくらもらっていますか?」
一柳 「アパート代も入れて10万9千なんぼです
「その中から家賃が」
一柳 「その中から3万円入れてあまったお金で生活にあてています
「少し貯金はできましたか?」
一柳 「まぁ自分ではためようと思って今は貯金するところまではいっていません
「どうですか?きびしい?」
一柳 「まぁーえーふろが週に2回位いったりほんで洗濯へ行ったりほんでまぁまずお米を買ったり」
「食費」
一柳 「5kgのお米を二袋買ったり野菜もんを買ったりしてまぁ」
「今そういう生活ですけれども去年の11月前ネアパートに入るまでは野宿をしていたという事ですけど失礼ですけれど何年位してたの?」
一柳 「約20年位」
「20年という事は昭和でいくと40何年だネその野宿する前までは仕事をやってた?」
一柳 「結局こういう体だもんで使うほうとしてもいかんもんだから」
「で!その体の不自由なのは?」
一柳 「これは小さい時に小児マヒをやったもんだから」
「あーそうなんですか?」
一柳 「脳性小児まひネまんだぼくの場合は軽い方ですからネもうひどくなると体がクネクネなったりネおかげさんでぼくの場合は軽い方だからよかったけど」
「でもまぁ昭和の初期でしょう」
一柳 「ちょうど生まれて3年位たってから熱が30度も40度もカッーと出てほんでまぁ早めに手当てをしたもんだから軽くてすんだ
「あーそうですかそうしたら学校とかも不自由したでしょう
一柳 「学校は1年おくれてほんで小学校ぼくの場合は国民学校だもんでほんで毎日防空帽を縫ったりかぶたりネほんで勉強中でもちゃんと空襲にそなえて防空頭巾せおってネやってたもんだから」
「ろくに勉強してないわネ」
一柳 「ええ」
「ほとんどネ」
一柳 「ええそのできるひまがないもんだでネまぁ勉強という勉強はあまりやっていません
「親とか両親は?」
一柳 「親は親父の方はまぁぼくの4つかそこらにあんまり酒をのみすぎて肝硬変になって亡くなりました
「お父さんが亡くなった後お母さん一人で?」
一柳 「お母さんがずっと昭和31年まで子供の面倒みて」
「生活の方はきびしかった?」
一柳 「もう毎日たんぽぽネ」
「たんぽぽネー」
一柳 「お湯でゆがして醤油かけて」
「それを食べた?」
一柳 「はい食べました
「お米なんか食べれた?」
一柳 「お米なんかあのえーあの当時はまだ」
「配給だとか?」
一柳 「配給だもんでえーまぁ1日1合か2合しか与えられんかったもんで毎日雑炊を作ったり」
「あの頃から雑炊たべとった」     (二人の笑い)
「兄弟はいますか?」
一柳 「兄弟は姉が瑞穂区におって僕のしたに弟が中川でやっぱりアパートを借りてまぁ仕事何やっとる知らんけどアパート借りてまぁ行ったことはないけれど
「連絡とかないの?」
一柳 「連絡とかはまぁ取れんわなぁー」
「お姉さんの方も?」
一柳 「うん」
「まぁ居ることは解っている
一柳 「うん」 「そうかじゃあ3人兄弟でお母さんも大変だったネあなたはそう体も不自由だし又もとにもどってえー学校卒業して2〜3年ぶらぶらしたとその後は?」
一柳 「その後は今の笹島でネ笹島の安定所で失業対策手帳をもらって」
「あ失業対策の手帳?」
一柳 「はいどうにかこうにかまぁ仕事っていっても一台のリヤカーに3人ついて今の名大ネ名古屋大学今の本山にある所あそこであの大学造るのに泥をほってえー穴をつくるでしょうそれをリヤカーで積んで3人でリヤカーいっぱいで朝の8時から晩の3時30分頃までやって1カ月1一人で7000円位」
「毎日トラックの変わりに土を運んで」
一柳 「ほんでひくい方へ土を運んで」
「グランドにねグランドを造るのねほんとそんな事やってた昭和何年位ですか?」
一柳 「昭和33年位です」
「よく覚えているねあの当時のあの辺何にもなっかったでしょう?本山ね」
一柳 「もうどっちむいても山ばっかだったからね」
「あーほんとにまだ道路もなかったでしょうそうかまあ失業対策の仕事をやっていてそれからはどうですか?」
一柳 「それからまあ」
「それからまあ家があったの?」
一柳 「寮たかば寮があったもんで」
「どこですか」
一柳 「あれ駅裏にあったもんだで一日300円出せばそこでとまれた」
「それは名古屋市かなんかやってるの?」
一柳 「ええ」
「名古屋市の経営ね今の笹島寮みたいなものね」
一柳 「うん!そうそうそう」
「そうですか駅裏ネそれは何年位やってたんですかあ?」
一柳 「13年位」
「あーほんとじゃあ13年やってて40年になるからその後だネこういう野宿生活に入ったんはまぁそこの仕事はどうしてやめたの?」
一柳 「名古屋市が色々と手帳をなくすようにもってたもんだからほんで手帳をあの当時で10万円で名古屋市が買ってやっぱネ仲間どうしがもうちょっと辛抱しろよって安定所の方がくれくれと言ってまだ高くなるほんで123万になる時に期限が切れそうになったもんで13万で売りました
「でも仕事はなくなって」
一柳 「それからずっと今まで」
「お金もなくなるわネ」
一柳 「お金もなくなるもんだから」
「で!どうですか長い20年ばかりの野宿してて」
一柳 「あーもう今思うと苦しい生活でしたネ」
「また元にもどるけれどもだからそれはいくつの時かなぁ?」
一柳 「ええ」
「40年代でネまだ働き盛りだネまぁ体は不自由だけど」
一柳 「ほんでまぁたまにまぁ安定所へ立ってネ当時はまだそんな軽い仕事ネあの1日1万円位の仕事だけど使う方は丈夫な人間を使うもんだからこんな体のワシは誰も雇ってくれないほんだから今ローソンとかサークルKがあるでしょうお金のない時に何も食うもんがないもんだかで期限切れた弁当がようけ出るもんだからあの当時は仲間があまり少ないもんだからいまみたいに百人もいない昔はえーあおかんすうる仲間はあまりみかけんかったけどもほんだであの当時はもう毎日弁当も出るもんだからそれみんなで交代して取りに行ってあの自分でよう取りに行けん仲間もおるもんだから」
「体が不自由だとか」
「取りに行ける人は取りに行ってた訳だ」
一柳 「助け合ってネやってましたョ
「寝床なんかはどんな所で寝ていましたか?」
一柳 「寝る所はやっぱり高速の下に大きなダンボールにシーツをかぶせてねほんで3人位」
「今野宿する人が増えてきたから寝る場所もなかなか見っからないのでは?」
一柳 「ほんでもう青カンじゃなくアパートをえー入る23年位前から長者町ネ」
「長者町ネ
一柳 「長者町に問屋があったもんだから問屋の近くに地下鉄の通路があるもんだからその通路の階段の下でそこで6年かそこらそこで青カンやったそこで寝ると上から階段の上からしょんべんを上からこえてひどい奴は階段の下まで来てしょんべんこいたり」
「下まで来てわざわざ」
一柳 「そう!わざわざそんでタバコの投げ捨てを吸い殻のままのまだ火のついてるのを投げたりするもんだからMがお前はこういう生活足を洗った方がいいよと言われてほんでまぁいちようMの所へしばらくえー同居生活が始まってほんでそうゆうアパートでの生活はやってできると言われたもんだからまぁ自信あるかっていったもんでほんでもうアパートへ入った以上は自分でやるっていう決心をしてなければいかんもんだからほんでまぁ一応あのMの所のアパートへ3ヶ月位お世話になったもんだからほんでまぁMと一緒に中村区役所行ってあの住所はMの所のアパートにしてほんで自分の本当のアパートが見つかるまでまぁMの所の住所を貸してもらってほんで」
「生活保護がね取れたわけね」
一柳 「生活保護を取ったもんだからほんで一応まぁ高齢者アパート基金から借りた」
「限定ないよ無期限だから」
一柳 「お世話になってようやくアパートを入れるようになったもんだから」
「はーい」
一柳 「まぁ今の健康を悪くせんようにまぁこれからもアパート生活をやっていこうと思います」
「はいもうちょっと聞いていいかなぁ?」
一柳 「はいいいですよ」
「えーその野宿生活の中で一番辛いって言うか一番嫌な事は何ですか?」
一柳 「一番辛かったのは寒い時が一番もう夏はどこにおっても何処に寝ててもいいけれども冬はもう本当に辛かったです」
「あと僕ら思うには昼間行く場所がないでしょうそんな時はどうやって過ごしました?」
一柳 「えーと図書館へ行ったりそれからまぁなるべくあったかい所選んで」
「そうだねきついわね」
一柳 「NHK行ったり暖房のきいた所で一日あのガードマンもこっちがあんまり一般のお客さんに迷惑をかけない以上はやっぱ出てけとは言わんもんだからねまぁいいんだけども他の人間はもう酒飲んでガードマンにくってかかるからやっとってね」
「それじゃ今度はアパートに入って一番良かった事は何ですか」
一柳 「一番良かった事はまぁ安心して寝る事が一番えー」
「いつでも寝れるしね」
一柳 「いつでも自分の寝たいときに寝て飯を食べる時に自分で炊いて食べたりもうそりゃ贅沢はできんけどもまぁ一応食べる位が一番安心してねまぁ食事がとれてまぁ」
「自分のいる場所があるって事はいいねいままでは」
一柳 「今まではこうあっちで寝たりこっちで寝たりえー安心して寝れるじゃまされずに寝れるそんだから」
「裸で寝てもいいんだからね」
一柳 「はい裸で寝てもね」
「そうですか部屋があるでしょうまぁ食事もできる寝れると何かもう一つ欲を出したら何が欲しいですか必要かなぁ」
一柳 「えー友達関係ねまぁどうしても一人でアパートにおるとえー話し相手がないもんだからまぁおかげさんでまぁ一応今KさんねKさんがたまにアパートへ」
「あーほんと」
一柳 「はい心配してねどうだって来るもんだからたまにまぁたまにOさんも心配してくるからねえーまぁ一応話をしたりやってます」
「後ね体がね続く限りアパート」
一柳 「うんそうそうまぁ今のアパートまぁ一応大事にしてね今まで青カンしとった事を思い出してもう今のアパートにずっと体の続く限りはまぁやっていこうと思っています」
「はい今日はねありがとうございました」
一柳 「ありがとうございました」

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