解放の神学講座「戦後50年における女性の解放」

島しづ子


 よくいらっしゃいました。島しづ子と申します。
 いつも竹谷神父が私のテーマを決めてくれまして、あそうか、こういう事が求められているのかなっていう風にいって。
 私は47歳ですから、戦後50年はまだ生きておりません。しかし、戦前からの教育を受けて来た母たちやその母、祖母とかの教育を、影響を物凄く自分が受けてるなあ、という事を感じています。そこから自分が、抜け出して解放されて行くっていうのが、私が物心付いてからの運動、闘いだったなって気がするんですね。
 その事を象徴的に示していますのが、聖書の中で、イエスが活動始めた時に、イエスの母と兄弟たちが、イエスを取り抑えに来たというでき事があります。そうすると、弟子たちが、あなたのお母さんと兄弟たちが来てますよという風に言ったら、私の兄弟とは誰の事か、私の母とは誰の事かという、肉親の絆を断ち切るような事、イエスが言いますよね。で、私の、聖心(みこころ)を行う者こそが、私の母、私の兄弟なんだって言うわけですよね。で、私自身はクリスチャンホームに育ったもんですから、信仰持つという事について、他の方たちが家庭の中で信仰持つっていう時に、家族との闘いを経験されると思うんですが、私が信仰を持つという事については、闘いはなかったんです。じゃあ、クリスチャンになってる両親が、いろんな面で解放されているかというと、そうじゃないんですね。
 私が小さい時に近所に障害を持った子供がいたんです。私と同じ年齢だったんですけども、いつ行っても、駕篭の中に寝ていて、にこにこと笑ってるんですね。かおるちゃんって言うんですけど、彼はどうして歩かないし話さないし、いつも寝てるのかなっていうのは、子供心にずーっと不思議だったもんですから、母に聞いたんですね。どうしてかおるちゃんは、ああやっていつもバスケットみたいなところに寝てるの?って。そしたら、母が言ったのが、あの子の家庭は、今は問題ないけれど、以前はとても悪い事をした、だから、ああいう子が生まれたんだって、そういう説明をしてくれたんです。
 それから長い間、時間がたって私自身が結婚して、そして3番目の子供が重度の障害を持ったわけですね。その時に、母が言った言葉っていうのが私の中にとても大きな影を落としてましたね。そして、その子供、障害持っている子供を車椅子に乗せて、いろんな所に出掛けて行った時に、いろんな言葉を近所の人とか、そこで初めて出会った人たちがかけてくれるわけですけれども、それの、多くの象徴された言葉ですね、宗教的な人ですね、私の所にやって来て、車椅子の娘を指さしながら、あんたも大変だね、こんな子を抱えて、ってね。それから、もう一つは、あんたも前世で悪い事したんだろうから、この子に良い事しておけば、来世で報われるよっていう、その、何か悪い事をしていたから、障害を持った子供が現れたっていう、そういう発想でした。で私の中に、ちっちゃい時、自分が障害児を持たない、ほんとに知らない時に母が、あの子の家庭が以前悪かったから、ああいう障害を持った子供が生まれたんだっていうのは、無意識のうちに私の中に植え込まれてしまったわけですね。そういう考え方が母の中にあったのは、母の周りの人たちがそういう風に教えていた事だと思うんです。
 私はなかなかそういう考え方から解放されなくて、なぜ自分の子供が障害を持ったんだろうか、これは自分に対する、あの事に対する罰かこの事にする罰か、色々考えるわけですね。と多少思い当たる事もあるわけです。ちょうど30ちょっとの頃でしたね、娘が障害を持った時は。ですから、30年間生きて来たら、ま、人傷つけた事もあるし、裏切った事もあるし、神様に申し開きの立たないような事もしてますから、あの事に対してかな、この事に対してかなと考えるわけですね。で、最終的にはですね、もし私が悪い事したんだったらば、私が罰せられればいいんであって、その、子供がこういう風になる必要はないんだ、そういう風に考えて周りの人たちを見ると、障害児の通園施設、障害児の通う養護学校と言う風に子供と一緒に出かけて行くわけですが、そこで、障害児の親子と出会いますね。と、みんな善良そのものだし苦労重ねて来た人たち。ではその人たち一人一人に悪い過去があったのか、あるいは親族がそうだったのか、という事を考えた時に、考えられなかったですね。やっぱり悪い事してる人たちがすいすいすいすい世の中泳いで行ってる。これは、何かに対する罰だとか、裁きだっていう考え方はおかしいっていうように段々考えるようになりました。
 しかし、あの、母が私に植え付けた色々な価値観の、もう今だったら笑ってしまうものっていうようなものは、とっても私の中に大きな影がありまして、旧約聖書の中にアブラハムとサラという夫婦が出て来ますね。そこには2人に子供が生まれなかったために、サラはハガルという奴隷を夫に与えて子供を作らせようとするわけですね。ハガルは妊娠したわけです。なぜサラがそんな事をしてまで自分の手に赤ちゃんを抱きたかったかって言うと、やはり女は子供を産むもんだという価値観の中で、子供を産めない、じゃあ、自分の身代わりに奴隷であるハガルが産んだその子供を、自分の子供として育てるって事がサラの生き甲斐になったわけですね。
 しかし、そのことの道具にされたハガルにとっては、とても耐えられない事だと思うんですね。ハガルが妊娠した時にサラは案の定、自分は妊娠できない、子供を産む事ができない存在だという事に酷く傷つけられて、妊娠した女性っていうのは、みんなこう反っくり返っていくわけです、威張っているわけではないけど、お腹が迫り出して来るから、だんだんこう、後ろの方に反っくり返っていく。そういう姿を見たら、子供を産む事のできない女性っていうのは、やっぱり産もうとしている女性が生意気な存在に見えてしまうと思うんです。自分が計画した事でありながら、サラはハガルがとても生意気に思えて、妊娠中のハガルをいじめて、ハガルを追い出してしまうわけです。
 ハガルは砂漠に逃れて行って、何もない所ですから、彼女はそこで死ぬしかないわけですけれども、神様に出会って、もう一度サラのもとに帰って子供を産む。それがイシュマエルっていう子供が生まれるわけですね。これでハガルの奴隷としての立場も、お世継ぎの、生母って立場でうまく行くかなって思えたと思うんですが、イシュマエルが12歳になった時に、正妻であるサラにイサクが生まれたわけです。そうしますと、血の継がっている、自分の血の継がっているイサクの方を、アブラハムの後継者にサラはしたくなったんですね。そうすると、先に生まれていた12歳になっていたイシュマエルは邪魔になって来たわけですね。そして、夫のアブラハムを説得してハガルとイシュマエル親子を追い出しなさいっていうわけですね。アブラハムは悩みましたけれど、結局ハガルとイシュマエルは追放されたわけです。
 この話を長い間、私たちは聖書の物語として読んできたわけですけれども、その時にサラを中心に考えて、サラがした事は多少は良かったけれども、ハガルは生意気な女だったんだし、奴隷のくせにね、正妻の位置に座ろうとした生意気な女なんだというそういう風に、私たちは読んで来ちゃったんですね。しかし、今一人の女性としてハガルを見、サラを見るときに、どちらが悪いと言うんじゃなくて、むしろ、女は子供を産むのが当たり前なんだという形の価値観が、サラも、ハガルも、非常に生きにくい状態にしていたんではないか、という事が考えられると思うんですね。
 もう一つはですね、男がいて、そして、正妻がいて、そして、まあお妾さんがいてって時に、女としての一人一人の価値は変わらないはずです。そして、その子供として生まれたイサクもイシュマエルも対等なはず、しかし正妻、一夫一婦制の中で、夫と妻がいて、妻に生まれた子供の方が価値があって、そうでない使い女あるいは奴隷あるいはお妾さん、それに生まれた子には、2番目の価値だって形ですね。だから、先に生まれていた子供であろうと、正妻に生まれた子供の方が価値があるからという形で、ハガルとイシュマエルが追放されても、私たちは何にも感じない、当たり前な事として、読んで来ちゃう。そういう価値観が私たちの中にある、これも私が母から教えられた事でした。
 私は高校卒業する時に、神学校に行って勉強したいと思って、神学校に行きたいって父と母に言いましたら、父が反対しまして、結婚するなら、将来結婚するなら許すっていう、まあ、今の内に結婚すると言っておけば、そのうち反故になるだろうと思って、じゃあ、結婚するからって、入ったわけですね、神学校に。その時に、もう父と母の頭の中には、女は結婚しないと一人前になれないという価値観があったわけです。で、私自身はそんなこと意識しないでいたわけですけど、たまたま、島っていう人と神学校時代に出会って結婚して、名古屋に20年前に来ました。そん時私は、妻としての立場で生活していくようになるんですけども、どうも生きにくいんですね。それまで一人の時には自分の判断で、自分の力で生きて来た。ところが、パートナーと結婚したら、パートナーの仕事がし易いように、そして、教会の牧師だったもんですから、彼と、私は妻としてそこにいたわけですけれども、対等に意見を言ったりしようと思うと、夫はそういう事あまり抵抗感じなかったのですが、教会員とかその周辺の人たちが、奥さんが出しゃ張り過ぎるとか、先生の立場がないじゃないかとか言うわけですね。そうすると、私はどういう風に振る舞って良いのか分からない、本当の自分はオブラートに包んで、他の人たちが私に要求してくる姿、要求してくるような言動をとらざるを得なくなって行って、本当に不自由な思いをいたしました。
 で、4年で夫が亡くなったもんですから、彼の代わりにと思って、牧師として、付属園の園長として歩き出したんですけども、実は、本当に申しわけないと思うんですけれど、解放感がありましたね。自分の意思でやっていける、彼の面子をどうのこうのなんて考えなくていいっていう、非常に解放感がありました。で、その時に私は結婚制度というものについて、少し問題を感じ始めたのは、本来、お互いを生かし合うためのパートナーであるべきなのに、自分を後退させたり、オブラートに包むような形の結婚制度って何だろうなっていう、私は彼のことを愛してたと思うし、彼も愛してくれていたと思うんですね。ですから、こういう結婚制度の中に入っていくならばもう、愛し合うという関係がなかったら、とても耐えられないなっていう。だから、若い人たちに、ただでさえ結婚なんて大変なんだから、愛してもいない人となんか結婚する必要ないよって言った記憶があるんです。それが私にとっての結婚というものでしたね。
 段々、色々な問題がそんな風でごちゃごちゃと私の中に整理されて行くわけですけども、私が生まれてから育った時に、私の家庭はとても貧しかったんです。だから、貧しいって事のために随分馬鹿にされまして、豊かになればみんなが認めてくれるかなって風に思ったんですね。ですから、あの、私の家庭っていうのは、普通っていう価値観があって、普通以上の人がいて普通以下の人がいて、私の家庭は普通以下だったの。ですから、勉強して普通以上になりたいなっていう風に一生懸命頑張って勉強して、まあ、島と言う人と結婚して、まあ普通になったと思ったんですね。ところが、彼が死んじゃったら、未亡人という立場になって、その時子供が3人いたわけですけどもいろんな人たちがいろんなアドヴァイスしてくれるんですね。未亡人って大変ですよ、お子さんが大きくなって就職する時に、非常に母子家庭って難しいですよって教えて下さって。親切のつもりでしょうけども、その言葉に酷く傷つくわけですね。で、ま、仕事があるからいいですけど仕事がなかったら惨めですよ、と。そうすると、私は、じゃ、子供を立派に育てていい仕事して、普通以上になりたいとか、認められるようにしたいってすごく考えました。神学校にいた時は、男の牧師たちが女の牧師なんか嫌いだから、学校なんて辞めろと言うわけですね。そうすると、女の牧師っていうのは社会で受け入れられないんだなと思う。そこで私はじゃあ男のようになれば、認めてくれるんだなと悲しくも考えたわけです。ですから、牧師として園長として、夫の後を嗣ぐようになった時の私の意識の中には、男のように働くあるいは、男以上に働く、それから子供たちを立派に育てる、業績を上げるというのが目標になったわけです。そして、ま1年ぐらいは順調にうまく行って、私もまあまあ皆さん見て下さい、私も立派なもんでしょう?って。そんな時に、3番目の娘が、息子が2人で、3番目が娘だったんですけども、百日咳という病気で重度の障害を持ったわけです。で、自分では歩く事も話す事も、寝たきりの状態で回復して来たっていう、その子供を抱えて生きて行くようになった時に、私の、また、普通・普通以上・普通以下っていう価値観がとても私を傷つけたわけですね。
 私は障害を持った人たちを差別しているって事は全然思っていなかったんです。ところが、あの、障害を持った人たちを見た時、私はですね、小さい時に、かおるちゃんっていう子供に会って、あ、気の毒だな、何かしてあげたいなあ、って思った気持ちからずっと持ち続けていて、そして、幼稚園に障害持った人たちが来たいって言うとですね、ああ気の毒だなあと思って、もう、あの、躊躇する職員たちを説得して、障害持った人たちを受け入れて来たんですね。ですから、私の中に障害者を差別する気持ちがあるとは思っていなかったんですね。
 そういう私が、寝たっきりの娘を抱えて、さて、どこがこの子の教育を引き受けてくれるだろうかと思って、あちこち、こう回ったわけですね。そうしたら、大府市にある愛光園というところが娘を受け入れてくれる事になりました。そん時に愛光園に行きましたら、あの、私の娘はこうやって抱っこするしかない、その辺に置いておいたら、その辺に寝たまんまでいるっていう状態なんです。ただ寝たままでいるっていうそういう状態なんですけども、愛光園にもおんなじ子供たちがいたわけです。その時、たまたま、あの、絨毯の上にみんなこう、ごろごろごろって言う風にね、25人ぐらいだったかな、横たわっていたわけです。で、それぞれ、自分の力では車椅子に座る事ができないから、横たわっていたわけですね。そういう姿を見た時に私は、ショックでしたね。で、娘と同じ仲間がいるっていう、そして、娘の教育を引き受けるところがあったという気持ちともう一つは、ここまで落ちてしまったという気持ちが、私から取り払われたんですね。それは私の中にある差別意識ですね。普通・普通以下、障害を持っている人たちは普通以下だっていう価値観、そして、それも障害が重くなるに従って、こう下がって行くっていう価値観が私の中にあったんだろう、そして、未亡人として、もっと上がりたいと思って努力していたにもかかわらず、自分の娘が障害を持ったためにここまで落ちてしまった、っていう、そういう価値観。
 で、そういう価値観から私が解放されるまで、10年ぐらい(かかった)気がするわけです。そういう状態になった時も、この子の障害を軽くして、なんとか訓練で良くして、こう引きずり上げて人並にして行きたいというのが私の闘いになったわけです。それはとってもしんどいですよね。で、養護学校に行ってとても良い体験したんですけども、養護学校のお母さんたちがみんな色々な悩みを持ちながら、障害児を抱えながら、いろんな話をするわけですけどもそういう時に、ぽっぽって飛び出して来る言葉がですね。知的な障害を持った子供のお母さんですね、うちの子は頭あんまり良くないけど、あのトイレも自分で行けるし、自分でご飯も食べるし、身辺の事はできるから、車椅子の子よりはいいわって言うんですね。重度の身体障害を持っている子どものお母さんは、家の子どもは身体障害は重いけれども頭は良いし、……に許可できるからいいわって言ってるんですね。それぞれが自分の子供より劣ると思っている子供たちを見て安心してる。で、私の子どもは知的にも、ああ私自身は知的には感性はとても素晴らしい子だと思っていましたけども、別に勉強できるわけではないからね、知的なこと誇ることもできない、それから、体がああいうことができるって誇ることもできない、そういう立場で、いはばこの世の価値観から言えば一番下のところにいたわけなんです。で、そういう立場で良かったなと思うんです。というのはそういう下のところで、上のところにいて、ああでもないこうでもないって、下の人たちを見て自己満足をしている、それが、とても愚かな事だっていうことが分かりましたからね。でも、世の中ってこういう価値観でみんな自分を保って生きているんだなっていうことは、そういう事は感じられました。
 で、8年前に、娘を引きずって人並に見せようとしていく闘いに疲れて、教会を辞めたんですけれども、その時に私が考えた一つのことは、神様が与えて下さった命を持っている娘、どんなに障害が重くったってこの子は生きていく権利があるはずだ。なのに私はこの子の命を守っていくために働くということはできないでいるって、人間は働くっていう事は外にいってお金を稼いで来るという事、それも大事だけれども、こういう命を守っていくという事も、重要な働くっていう事じゃないかな。それで神様、この子は大事な子です、あなたが助けて下さった。この子を守っていくという事と私が働きたいという事が、両立する道を示して下さいって。まあそんなことは不可能じゃないか、そんな気持ちで専属の教会牧師としての(仕事)辞めて、野に出たわけですね。
 その時くたくたに疲れていたんですけども、非常にいい出会いをしまして、それはジャン・バニエという人に出会った事なんですが、ジャン・バニエは今フランスに住んでいるカナダ人ですけれども、三十年前に知的な障害をもつ青年たちと共同生活を始めたんです。それは、ガガールとフィリップという2人の青年なんですが、2人は精神病院から追い出されたんです。精神病院から追い出されたと言えば、皆さん察しが付くと思うんですね。共同生活ができない、非常に暴れて、暴力を振るって病院から追い出されたんです。バニエさんと暮らすようになってからも、彼らはそういう問題行動を起こしたわけですね。でも、バニエさんは2人を追い出すことはできない。そういう中でバニエさんが発見したのは、これは彼らの叫びなんだ、訴えなんだって、どういう叫びかっていうと、俺だって人間だぞ、馬鹿にするな。彼らが生まれてから家庭で、病院で、あるいは施設で扱われて来たものっていうのは暴力と言葉の暴力ですね。何度言ったら分かるんですか、言うこと聞かないんならこうしますよという形で、有形無形の言葉と力の暴力を加えられて来た。そして我慢している、しかし我慢しきれなくなって、俺だって人間なんだ馬鹿にするな、っていう人間としての尊厳を侵された事に対する彼らの怒りですよね。それをバニエさんは聞きとって、一人一人が大事にされるためには大勢の人たちが収容されているような施設でなくて、少人数のグループホームでなくてはいけないという事で、彼はダルシュホームという運動を始めたわけです。そこは障害を持っている人たち5,6人とお世話をする人たち5,6人、10人前後のダルシュというのはノアの箱舟からとった箱舟、フランス語で箱舟という意味だそうですけれども、そういう運動を始めて、全世界で100ヶ所位、そういうグループホームが始まっているわけです。
 その精神的な修道者としてバニエさんは8年前に日本に来て、私はその時くたくたになって、地震のあった神戸の六甲でバニエさんの黙想会がありまして、車椅子の娘を連れて参加したんですね。そこに行った時に、バニエさんの話にとても惹かれながらも、バニエさんの所に行って私の問題を相談するという力は私になかったんです。というのは、私は何が問題で私の解決してほしいことは何かということが、もう私は分からなかったんですね。娘が、一生懸命生きている娘を自慢にしたい気持ちと、しかし娘と一緒に歩いているために周りの人たちが私をあまり大事にしてくれないという気持ちの中で、ごちゃごちゃしてしまって、私の問題は何かって分からなかった。休憩時間になるとバニエさんの所にみんな飛んでいって、手を引っ張るようにして私の問題聞いて下さいって相談してるんですが、私と娘はもう遠く離れていました。
 そんな時に黙想会の終わり頃に主催者が私と娘の所にきてヨウコちゃんに仕事してもらいたいって、どういうことですかって言ったら、集まっているみんなからバニエさんにお礼のプレゼントを渡したいから、それを渡す役目をヨウコちゃんにしてもらいたいって、そんならできるかなと思って引き受けたわけです。その晩はみんなで歌を歌ったり、ゲームをしたりして丸くなってたんですね。プレゼントを渡す時になって、バニエさんは真ん中に出て来て、私は娘の膝にプレゼントを置いて、娘の車椅子を押していったら、バニエさんとっても背の高い人で膝を屈めて自分で娘の膝からプレゼントを取って、もう一つの手で娘の手を握ってニコニコと笑ったんですね。バニエさんの顔を見て娘もまたニコニコと笑ったんです。周りの人たちはそれまで植物患者特有の無表情だった娘がバニエさんと握手をして笑っているのを見て奇跡が起こったって言っていましたけど。奇跡ではないですが私は感動しました。それはバニエさんの姿がこういう風に聞こえたんですね。彼はフランス語と英語しか話さないし、娘は日本語もろくろく話せないから、2人は話しているわけじゃないんですけど、バニエさんの話はこういう風に聞こえたんです。それは「ヨウコちゃん一生懸命生きて来たね、僕は君のこと尊敬してるよ、神様も君のこと大事に思っているんだよ」そういう風に聞こえたんです。
 その時に私は誰も私たちのことを、特に娘のことを理解してくれないと思って、こう自分の心を隠し、沢山の鎧を着てきた鎧がぱっと取れたんですね。自分が求めて来たものが与えられたっていう、それは尊敬されるためには、普通以上になって上がってかなきゃいけないっていう価値観。だから一番下の所にいたら、誰も尊敬してくれないし、誰も大事にしてくれないその私たちを、そのまんまの私たちをバニエさんは、君の事、尊敬してるよって、神様も君の事大事に思ってんだよって言った時に、私の中に生まれた時から育っていた、人間には下に行く程価値が低くって、上に行けば行く程、価値が有って尊敬に値するんだって言われて来た価値観が、いかにおかしな価値観だったかという事が、がらがらがらっと崩れて行ったわけですね。で私は、あの、元気になりました。娘の障害軽くなったわけじゃないし、私の生きにくい状況変わったわけじゃないけれどもとても楽になったわけですね。そん時から、女であるって言う事、障害児の母親であるって言う事、それはハンディじゃ無くなったんですね。一人の女として、娘が障害を持っていて、そんな事は全然ハンディじゃない。むしろ、私に与えられている豊かな賜物のような感じになって来たんですね。
 それから、私が生きて行く、あるいは、仕事して行く時に、被差別部落出身の人とか、在日の方とか、障害を持っている人たちとか、いわゆる差別されている人たちと出会って、で、その時でも、私の中にあった運動の理論って言うものはですね、この、下に位置づけられている人たちを普通以上にして行く、そして普通以上の人たちを引きづり下ろして、みんなが普通になるんだっていう、それが私の運動の理論みたいなものだったと思うんですね。で、私が夫を亡くし、それからあの、障害を持った娘を抱えていた時に、神学校時代からの友人たちは、自分の、ま、生まれて来た家庭とかいろんな事話してくれるようになったんですね。それまで、なぜ黙っていたんだろうか?って、それが私にとってショックでしたね。ある友人は、あの、自分のお姉さんも障害を持ってた、しかし、お姉さんは、彼女私と同じ年代ですから、障害者に対して理解のある社会じゃなかったから、家で隠すようにして育てた、ところが、時々は出て来てしまって近所の子供たちにはやし立てられていた、で自分も、その家に生まれて育ったという事で、お姉さんがいるために非常に馬鹿にされた。だから、お姉さんがいるって事は、歓迎すべき事じゃなかった。だから、お姉さんに対して、良い扱いができなかった。そういう事を私に話してくれたわけですね。で、私はその話しを聞きながら、隠されたお姉さんも辛かったけど、隠して育てるしかなかった家族も非常に辛かったなあ、しかも、お姉さんが亡くなった後も、その、十分に世話ができなかったという影をずーっと追い続けている家族って非常に気の毒だなあと思ったわけです。
それから、もう一人はですね、アイヌ出身の先輩が居ました。彼は、今、自分が4分の1、クオーターだっていう事を宣言して解放されたと思うんですが、しかし、ずーっと隠してたわけですね。で、それも、私の娘が障害持った時に、実はねって話してくれたわけですね。それを公にしたのは、あの、2年程前ですから、公にするには非常に彼も勇気が要ったし、その事で他の家族にも累が及ぶという事を彼は恐れていたわけですね。なぜ彼等が隠さなきゃいけなかったのか?それ、みなさん良く分かっていらっしゃいますよね。隠さなかったならば、一人前に扱われない、馬鹿にされる、この世で生きて行く事が非常に生きにくくなる、だから、隠さざるを得なかったんですね。で、私はですね、みんなおかしいじゃないですか、差別されてる人をこう、引き上げましょうよ、って。それから、普通以上の人を引きずり下ろして、みんな普通になろうじゃないかって、それが私の運動理論です。
ところが、私が、こうやって講演活動なんかしていた時に、講演が終わった後とか、そんなに、手紙とか、そのなに、みなさん私が普通以上に見えてた人たちが、吃驚するような、びっくりでもないですけども、あそうだったのかと思うような家庭の事、自分自身の事、話してくれるようになったんですね。隠していたならば、普通以上に思えていた人たちが、そうじゃなかった。そして非常に苦しんでいる、つまり、私の娘は隠しようのない障害だったから、隠しようもなく生きて来た、多くの障害者は隠しようもなく生きています。しかし、隠す事のできる障害とか、病気とか家庭の問題ってのはみんな隠している。隠しているという事がどんなに大変な事か、何時ばれるだろうか。それ、もの凄いエネルギーを必要とするという事に、私は気が付かされて、そして、一番問題なのは、人間の社会、私たちの日本社会の中に、普通の人がいて普通以上の人がいて、普通以下の人がいるっていう、普通以下の人っていうのは出身が違うとか国籍が違うとか、他の人とは違う生き方してるとか、そういう人たちが普通以下だって言う風に言われているこの価値観、この価値観こそが変わらなくては、誰も解放される事はできないんだっていう、その事に気が付かされたわけです。で、そんな風に考えて行って、私は娘と一緒に、まあ、世の中の人が最低辺だと位置づけるならば、どうぞ。私たちは平気です。なぜならば、この私たちも神様が大事にしてくれているし、その、ここに位置づけられるって事で私たちは何の引け目も感じる必要はないんだ、っていう事をバニエさんとの出会いによって知らされたわけなんですね。で、それが福音じゃないかなって思うんですね。
 バニエさんが、彼はカトリック教徒なんですけども、眼差しで私たちに語り掛けてくれた、そのまんまの私たちに、あなたの事尊敬してるよ、神様もあなたの事大事に思っているんだって言ってくれた、その事、旧約聖書の中に、あなたは私の目にたつ、といっている言葉があります。それから、イエス・キリストの福音って、何だろうか?マルコによる福音書の最初のところに、悔い改めて福音を信じなさい、って書いてあるんですね。悔い改めって私たちは、まあ、今まで、多少悪い事してたから、ちょっと神様の方向いて、あの、悪い事しないように生きて行くっていうような、そんな風な悔い改めって考えて来ましたね。でも、あの本田哲郎、てつおですか、本田(多?)哲郎神父が、あの、本の中で書いていたり、お話されてますけども、そのメタノイアっていうのが悔い改めという言葉のギリシャ語なんですけども、メタノイアって、あの、基準を変えるってこと、今まで持って来た価値基準を変える、それは、私たちが間違って持って来た価値観ですね。人間にはランクがあって、下に行けば行く程低くって、上に登れば登る程値が高くなるという、この価値観を変える。じゃ、どういう価値観を持つか、っていうと、イエス・キリストの生涯が私たちにはっきりと示してくれていると思うんですね。私は、まあ、あの、障害を持っている娘と一緒に生きて行こうという風に性根を据えた時から、聖書を読み返してみて、イエス・キリストの貧しさ、イエス・キリストのみすぼらしさって事に注目させられました。
 イエス・キリストが生まれたのは馬小屋だった、旅の途中ですよね。そして、もう、生まれたばっかりかりの赤ちゃんが、そこに置かれるような環境じゃないところにイエスは置かれたわけですよね。誰もマリアとヨゼフとイエスのことは歓迎しなかった。歓迎されざる者としてイエスは誕生した。で、私たちはそういうところに生まれれば生まれる程、同じような立場に生まれた人たちは、踏み台にして、ここからのし上がっていく。このような人たちと一緒にいない、のし上がって行くんだ、それが私たち、私の生き方です。しかし、イエスはそういう中に生まれ、そのような人たちと一緒に生きて行くわけですね。今まで、イエス・キリスト語る時に、イエスは上から下がって来たってね、まるで底辺の人のところに行ったって言う風に言いました。私は、彼は底辺に生まれ、底辺の人と居続けた、そういう人だっていう風に思うわけですね。で、最後には、死刑囚と並んで死ぬわけですけども。死刑囚っていうのは、人間の最後の権利っていうものは命だと思うんですね、その権利を奪われる人。その死刑囚とイエスが並んで処刑される。で、彼は最後の時に、十字架に架かって、通りかかってる人たちが、3様の人たちがいますよね、十字架に架かっているイエスを見て、通りかかった人たちが、あんなに人を救ったじゃないか、あんなに人を救う力があったんだから、あの力を以て降りて来い、と。しかし、イエスは下りてかない。そして、敵対者である宗教家たちが、他人は救ったが自分は救えない、まあ、他人を救ったって自分も救えないような予言者じゃ、どうしようもないじゃないか、っていう事ですね。その嘲り、それから一緒に並んでいる死刑囚の一人も、俺たちを救って見せろ、そしたら信じる、って。しかし、イエスは、他人は救ったが自分は救えない、みすぼらしいメシアとして十字架に架かって死んで行くわけですね。まあ、私たちの信じる、私の信じる教祖が、こんなみすぼらしい教祖だ、死刑囚として死んで行く、って。ちょっと、格好悪いじゃないかなっていう風に思うのね。
 ところが、このみすぼらしい姿の中にこそ、イエスを通して神が私たちに示したかったものがある。この、上から下まで、人間には値段が付いていて、下に行けば行く程価値がない、というこの価値観の中で生きている私たちに、イエスは最低辺のところにいるメシアとして、生き、死なれたわけですね。ここのところにいると、私の友人たちが養護学校の子供たちの母親としてですね、あの子よりはいいわ、この子よりはいいわ、しかし、上を見て、ああ、あんな風になれないな、なんとかしてのし上がって行きたいな、っていう風に思っていた。あるいは、みなさんが、あの、無意識のうちに持たされていた価値観、そういうものを神様は、そうじゃないんだよ、人間はみんな同じ価値持っているんだよ、どんなところに位置づけられようと、死刑囚であろうと、みんな一緒なんだっていう事、みんな一緒に尊いんだという事を神様はイエスを通して私たちに分からせるために、イエスの生涯は、あのように定められたんじゃないか、そういう事に気付かされたわけですね。だから、メタノイヤ、悔い改めるっていうのは、私たちが持っている、人間のランクづけを止めるっていう事。で、それぞれが、対等になるっていう事ですね。
 私は、あの、母として、生きたっていう時に本当に、あの、自分が滑稽だったなあって思うのはですね。付属品によってですね、自分が上がったり下がったりする、っていうのね。私は夫がいた時は普通だと思ったわけですね。でも、夫がいなくなっちゃったら、夫という付属物がいなくなちゃったら、下がったと感じた。これを、じゃ、今度は、だったら息子たちを立派に育てて、ま、娘は障害持ってるから余り期待できないから、その、息子を立派に育てて、自分も息子につられて、こう、登って行きたいと思ったんですね。ところが、よくしたもんでですね、あたしの息子たちはそういうレールには乗って呉なくって、まあ、普通、世の中の人たちが普通以下とランクづけるところにいてくれたわけですね。で、私は上がれなくなっちゃったわけですね。
 で、ああ、私はなんて生き方をして来たんだろう、私に付属する物で、上がったり下りたり、逆に言えば、娘という付属物が、重い障害を持っているという事で下がったように感じる、で、立派な息子をもって上がろうとする、あるいは私がこれで再婚なんかして、立派な人だったりすると、また、あがったように感じる、って。本来だったら、人間はたった一人の人間として、尊ばれていいのに、でも世の中の人たちが私に所属する物で、こう、立派に見たり、扱ったりするという事から、解放されないために、私に付属する物立派にしようとか、あの、ちゃんとしたもの持って来ようとする。で、そんな風に生きてきた事がいかに滑稽だったか、っていう風に考えるようになって、一人の人間として生きて行きたいなあ、という風に考えるようになりました。でも、女であるっていう事、また、未亡人であるという事、いろんな時にみなさんが無意識のうちに、こう、侮るんですね、馬鹿にする。そん時に本当に怒りが湧いて来ます。で、怒りが湧いて来ても、その怒りを、あの、おこっちゃいけない。人間穏やかでなきゃいけない。クリスチャンは、特に牧師は穏やかでなきゃいけない、ってあるわけですね。怒れない、すると、この中に溜まっちゃうわけですね。
 で、そういう中で私が、コオカウンセリング、COって書くんですけども、あの、CO−OPのコオ、あの対等なカウンセリングていう意味であって、とてもよかったんですが、あの、今まで、お医者さんにカウンセリングしてもらうっていう時に、お医者さんと患者さんっていう立場で、この立場は逆転する事がないわけですね。でも、コオカウンセリングっていうのは、決められた時間、10分間私がお医者さんしますから、その後の10分間はあなたがお医者さんしましょうっていう、こうお互いにこうやりとりをして行くんですね。で、そん中では、話された事は秘密。それから、どんなに自分の感情を、怒りとか悲しみとか出していいていうルールがあるんですね。その中で私はカウンセリングを受けながら、母親から受けて来た、あの、価値観、それから、私が不当に扱われてきもの、それから夫が死んだ時の悲しみ、娘が障害を持った時の悲しみ、ってなもの、泣いて泣いて、泣いた時にですね、本当に私は、人間は、本当に大事にされなきゃ駄目なんだってって事が分かりました。そして、他の人のカウンセリングを受けながら、お医者さんとしての立場に立って、一人一人の苦しみを聞いて来た時に、馬鹿にされるという事がいかにその人を、あの、悲しみの中に押し込め、そして、色々な事に積極的にできなくささせ、力も封じ込めているかっていう事が分かって来たんですね。で、不当に扱われるっていう事が、お互いを非常に生きにくくさせている。で、昔から、女性のヒステリーっていうのは、歓迎されなかったんですね。ヒステリーが昴じると病院に入れられて、治療の対象とされて来た。で、私たち女性の多くはですね、不当に扱われる事が、男性もあると思いますけど、男性よりも多いんです。で、そのために、溜まったものを爆発させるとヒステリーに成るわけですね。でも、ヒステリーっていう形でしか、発散して私だって、一人の人間として尊ばれるべきなんだっていう事、訴えるすべがないんですね。本当に言いたい事はその事なんですね。でも、その事は本当の叫びとしては見えなくって、ヒステリーという形で、わけが分からない問題行動を起こすという形でしか周りの人たちから受けとめられない。だから、そのヒステリーは抑えなきゃいけないという形で、ヒステリーは抑え込まれて来た。でも、本当は、人間として正当に扱いなさいというのがヒステリーを起こす女性たちの叫びなんですね。正当に扱われるなれば、正当に聞かれるならば、ヒステリーは出さなくていいんですね。
 是非みなさんも、COカウンセリング体験して欲しいですけども、あの、私が不当な扱いを受けて、もうごちゃごちゃになる時にやっぱりCOカウンセリング受けて、その不当な扱いをした人に対して、まあ、例えば、北村さんが私に、あの、馬鹿なこと言ったとしますわね。と、北村さんにお前らなんだっていっちゃたら、北村さんが今度は傷付いちゃうわけですから、それに怒る事はできない。しかし、カウンセラーに、あの、北村さんの役目してもらって、あんたあの時こう言ったでしょう、私はほんとはこういう風に言いたかっただっていう形で、私の怒りを出すんですね。そうすると、北村さんが、ごめんね。北村さんが、そう言わざるを得なかった背景とか、そして、私が本当に何を言いたいのかっていう事叫んでる中で、私の思考がクリアになって来て、ですね。北村さんの立場も分かり、北村さんの言った事も許し、そして、私自身がどうやって対処して行けばいいかって事が分かって来るんですね。
 このカウンセリング私にとってとても、助かったしまあ、多くのメンバーたちがこれによって、随分助けられているんですけど。じゃ、この生き方をですね、世の中に出て行って、そのままやったとしたら、あの人は何時も怒っているとか、あの人いつもヒステリー起こしてるとか、あの人とは話できないという風に私たちはシャットアウトされてしまうもんですから、限られた人間関係の中で、そういうやりとりをして、また、世の中に出て行くって事してるんですけど。で、こういう中で私自身が解放されて行くっていう体験を通して、一番問題だったなあと思うのは、私の母に象徴される日本社会の価値観が私をがんじがらめに縛って来て、それを一つ一つほぐして行く過程にある、というのが今の私の状態です。
 で、障害を持つ人が現れても、それは、前世の因果であるとか、何かに対する罰っていう考え方は当たらない、それから、人間の中にはランクあるんだって事も当たらない、それから、女は損だというのも当たらない、女が損だって言う時には、日本の社会がそういう風に決めつけているから損なんであって、本来、女として生まれた事も歓迎していい事なんだっていう事。それから、妻であったとしても、何も夫に従属する必要はないだって事、そんな事が私の中に芽生えて来ましてね。
 さっき、ハガルの事言いましたけども、私はハガルが大好きになりました。ハガルは一人の女性として、アブラハムとサラっていう夫婦の中の付属するものとして生きて来たわけですけども、サラに追い出されてハガルとイシュマイルは砂漠の民として生きて行くようになったわけですね。で、それは、とても生きにくい事だったけれども、奴隷状態を脱出して自由人として生きる事になったわけです。そして、彼等はアラブ民族の先祖としてとても尊敬されているわけですね。ハガルとイシュマイルは。ここでも、血の関係っていう事が問題になって来るわけですけども、正妻であるサラに生まれたイサクに流れを持つイスラエル民族とそれから、使女(つかえめ)であるハガルとイシュマイルにつながるアラブ民族っていう中で、イスラエル民族の伝統を受け継いでいる旧約聖書、あるいはユダヤ教、そしてキリスト教っていう流れで私たちはアラブ民族を蔑視し、アラブ民族をパレスチナゲリラっていう形で、こう、良く思わないような風土の中で育てられて来たわけですね。しかし、本当にそうだろうか?そうじゃないんですよね。私たちが血族という事に拘って、正統に近ければ近いほど、尊重されて、亜流に行けば行く程価値がないという価値観の中にいるから、こんな価値観を得てしまった。
 で、あの、落合恵子さんっていう小説家がいますけども、彼女は、あの、婚外子という、以前は私生児って言ってましたけども、今は結婚以外の子供っていうので婚外子って言われるわけですね。で、彼女は私生児として生まれて育つ中で、いろんな経験をされて来るわけですけども、「あなたの庭では遊ばない」っていう小説の中で、この間の彼女の人間形成を十分良く話しているんですが、まあ、ハガルに例えて言えば、彼女はイシュマイルのような立場で誕生したわけですね。しかし、お母さんは自分が、恵子さんを生む時に、あなたを生みたかったから生んだって形で育てて行くんですね。ですから、彼女はその事について引け目を感じないで、育っていくわけですけども、世の中の人っていうのはやっぱり私生児っていうの、かわいそうだなってって。彼女が一番傷付いたのは、自分の環境ではなくて、かわいそうだなと言われる価値観によって自分は一番傷付いたって言うわけですね。で、子供は正妻の子供であろうと、私生児であろうと、選ぶ事ができない、そうして、子供はどういう環境に生まれようと、みんな大事なんだっていう事彼女は言うんですね。その通りですよね。でも私たちは、私生児は価値がちょっと低くて、正妻の子供が価値が高いっていう価値観を植え付けられていたから、そういう立場に生まれた人たちをちょっと、侮るような見方をする。また、そういう立場に生まれた人も、自分に引け目を感じて出生の謂われを隠そうとする。これが血に拘って来た日本社会あるいは世界の流れの中にもあるかもしれない。
 血っていうのはですね、元素だと思うんです、私は。だって、アラブ民族もですね、アブラハムを先祖だって言うわけです。アブラハムから見ればアラブ民族もイスラエル民族もおんなじ血じゃないですか。でも、イシュマイルとイサクって考えると違う血になっちゃうんですね。だから、前もお話したかもしれませんが、血っていうのは自分のイデオロギーの正当化とかイデオロギーの推進のために用いる手段なんですよね。で、最初に、イエスの母と兄弟たちの関係言いましたけれど、イエスが自分の親族を伝導活動の初期に、切り離したっていうのはすごい事だと思うんですね。それは、血がつながっているから、イエスが伝導活動した時に、あいつは気が狂ったんじゃないか、って言う時に、イエスの母たちが取り押さえに来るわけですね。自分の身内にそんな事する人間がいなくていいと。他の人間ならいいんだけども、自分の身内からそういうのは厭だ。それで、イエスを引き留めて、イエスを、大工仕事を継続して自分たちの経済活動して欲しいっていうのもあったかもしんないしね。
 ところが、イエスは断ち切って言った。私の兄弟とか母というのは、神のみこころを行う者だっていう形で、イエスは新しい家族関係を示唆するわけですね。それは血に依らない、まあ、契約関係というか。私たちが自分の家族だったら、血がつながっていたら、面倒見て助け合うけれども、そうでない人たちとは関係がないとする生き方に対してイエスは、血がつながっている、つながってないじゃないんだと。人間はみんな兄弟姉妹として、助け合う存在としているだ。そういう事をイエスはやはり、活動の初期から終わりまで言いたかったんじゃないか。で、ヨハネによる福音書の中で、十字架の上でイエスはですね、十字架の下にいる母マリアと弟子に対して、家族関係を示しているんですね。それは、あれだけ自分との関係を断ち切ったマリアに対して、婦人よこれがあなたの息子です、そして弟子に対しては、息子よ、これがあなたの母です。血はつながっていないけれども、共に生きて行く家族として生きていきなさい、っていう封に、イエスは示して行くわけですね。ここにキリスト教なりがお互いの事、兄弟姉妹って風に言っていく謂われがあると思うんですが、果たして私たちは、血族関係から解放されているだろうか?もう、本当に本当にしつっこくしつっこく、血族の関係っていうの私たちにしがみついて来ますね。母がクリスチャンになったら、解放されて、日本中クリスチャンになれば、世の中良くなるっていう風に言うんですが、私はとんでもないと思うんですね。この間、娘のお葬式がありまして、当然、私が喪主ですね。夫がいませんから。で、喪主としての務めをして、全てが終わった時に母がですね、あの、私の兄と夫の兄が来てましたので、女のお前だと頼りなく思えるから、それぞれの兄に挨拶してもらったら格好がついたんじゃないかって、言うんですね。クリスチャンの母がそう言いまして。私が喪主なんで、何が足りないところがあるの?私が女だからいけないの?って。いや、そういうわけじゃないけど、やっぱり、お葬式に来た人たちは、ああいう立派なお兄さんがついているっていったら、安心するんじゃないかって。クリスチャンの母がそう言いました。でも、こういうクリスチャンが日本中に一杯になったって私たち解放されないですよね。本当の意味でのイエス・キリストの福音に出会った一人一人になって行くまでには、私自身もまた、みなさんも母も解放されていくって事が必要になってきますね。あとは、みなさんで自由に話し合っていただければと思います。


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