パンのみではなく炊き出し部代表 竹谷 基
名古屋における野宿している人たちへの炊き出しは、1975年に始まって今年で20年目になりました。この間、カトリック教会他多くの人々の努力によって、週2回(月・木)、400人分の炊き出しが出来るまでになりました。これは、普段暖かい食事を摂ることの困難な労働者の体力回復とともに精神的な回復の一助になってきたと思います。 しかし、その炊き出しは野宿に追込まれた人々の現状維持になりはすれ、本来の目的である「炊き出しをしなくてもすむ社会・野宿する者がいなくなる社会を作り出す。」状況にはなっていません。もちろん、そんなことが、わずか20年の活動でなるわけがありませんが、週2回の炊き出しだけ(炊き出しだけで精一杯と常に反論される)に止まって、それ以上に、踏み出せない私達にもその責任があると思います。そこで、炊き出し20年目の節目にあたって、「炊き出しを、食物の提供のみではなく、野宿している人たちへの生全体へのサービス」に転換できたらと望んでいます。 まず、炊き出しの目的を暫定的に次のようにしおます。「炊き出しはなくならないし、野宿する人もいなくならないから、いかにして、その状況下で彼らと共生して行くかを模索する」にします。なぜなら、現在、野宿している人達の多くは中高年齢者のため、働く意欲があって景気が回復し日雇い仕事が増えても、雇ってもらえないし、肉体的にも野宿しながらではつらく仕事が続きません。あるいは、就職したくても住所不定のためできません。生活保護も現状では住居なしではもらえません。また、彼らの中には、日本的競争主義的管理社会に合わず、別の生き方を選んだ人もいます。私の短いつきあいですが、彼らの金銭や物、食べ物にこだわらずタバコと酒が少々飲めればいいという欲のなさには敬服させられています。従って、単に労働組合の主張する「仕事をよこせ」だけでは、野宿する人はいなくならないと思います。 従って、これまでのように炊き出しを、職を失って食べ物に窮した「野宿を強いられた」人々に少しでも体力の回復をはかっていただくための緊急避難的活動と見なすだけでは足りないと思います。 緊急避難的だから、場所や内容もさほど気を使うことはないといった炊き出しに5年、10年と食べに来ている人たちにはどうでしゅうか。先にも述べたように、中高年齢者の野宿している人には自力でその生活から抜け出られることは至極困難であります。彼らにとって、野宿は病気になるか衰弱するまではそこで生きるしかない場所になっているものと思われます。そうであるならば、彼らにとっての炊き出しは臨時的なものではなく、日常的生活の一駒であるといっても差し支えないのではないでしょうか。例えば、私たちが家庭でも職場でも、時間になれば食堂に行って食事を取ると同じように、彼らは炊き出しにその日の食事を食べに来るということであります。 私たちが食事する場合、緊急を要さない時には雰囲気とか清潔さとかにこだわったり、家族や仲間との交わり、休息、憩いをそこに求めるのではないでしょうか。よく言われるように、「一人で食べる食事はうまくない、みんなで楽しく食べるとどんなものでもおいしく食べれる」と。野宿している人たちにとっても食事はそういうものではないでしょうか。しかし、地下道路や公園での炊き出しにはそれを望めません。ただ、空腹を満たすだけではないでしょうか。 「炊き出しをしなくてもいい社会、野宿する人のいない社会」がしばらく来ない間、私たちは、彼らに人間の営みとしての「食事」を提供する義務があるのではないのでしょうか。具体的には、ここに来れば、肉体的にも精神的にも満たされる、というような炊き出しの場所〈会館〉を設けることが急務であると思います。 次に野宿をするということはお金や食べ物、寝る所に不自由するということだけでなく、自分の居場所がないということ、しいて言えば役に立てるところがない、ということであります。昼間、彼らの多くは、公園等で無限の時間をジーッと過ごすしかありません。炊き出しは、確かに野宿する人たちの肉体の維持にはとても必要なことではありますが、その肉体を活かすところがなけれが、彼らを生きる喜び楽しみのない生ける屍とならせてしまいます。 去年4月から、彼らと一緒に畑仕事をしています。そこでは、実に彼らは生き生きとなります。週一度の畑に行く日を楽しみに待っています。昨夏の水不足と炎天下では汗びっしょりになっても(私一人まいっていましたが)、彼らは前の晩から泊まり込み、朝早くから(私は寝ていましたが)畑に飛び出していきました。それは、自分たちの作った作物を炊き出しでみんなに食べてもらおうという目的があったからだと思いますが、それ以上に、一日の居場所があり役に立てられるという喜びがあったからではないかとも思います。夏の暑い畑仕事の後、ある時には川でメダカ採りに興じました。みんな、パンツ一枚になってキャッキャッと冷たい水をかけあっていました。この時の童心に戻った彼らの姿に人間性の回復を見ました。畑仕事以外でも、声を掛けると福信館のバザーや荷物の整理などに喜んで手伝いに来ます。これも、同じことが言えるのではないかと思います。 私たちに畑を貸してくださっている方からは、植木のせん定とか塀の修理を頼まれました。それは、彼らの畑仕事ぶりが評価されたからと嬉しくなりました。また一つ、張り合いがうまれました。こういうことから、野宿している人たちを活かす、たとえば、簡単な家の修理、修繕、片付け、引っ越しなどの仕事を受けて、彼らに回すようなヘルパーのネットワーク化を進めて行けるのではないかと思いました。 しかし、それらのように仕事を作って野宿している人たちが時間を有効に使うにしても、まず、彼らの住居を確保する必要があります。去年の暮れから正月3が日の約1週間ばかり、その畑の所有者の離れを貸していただき彼らの3人が過ごしました。その間、食事なんかは質素でご飯と畑の野菜だけですませたり、タバコも拾ったりと本当に慎ましやかに生活しました。それでも、十分、野宿より良かったと申しております。 昨年の暮れ、ある信者さんがお金を寄付しますから高齢で野宿している人にアパートを世話して欲しいと頼まれました。そこで、早速、アパートを探していたところ、運良く二人分の部屋を借りられて1月から野宿していた73才の女性と63才の男性に貸すことが出来ました。住居が確保出来れば生活保護がおりて、その家賃を払えるし、礼金敷金も分割で返済出来るようになります。その返済されたお金を基に、新たな部屋を借りて希望する野宿している人たちに貸すことが出来るようになります。また、そんなに立派でなくても、雨露をしのぐことのできる建物で共同生活出来る場所もあったらいいと思います。 記述したように、現行の生活保護では、住居がないと適用されないので、このようにみんなからの浄財を基に一時金を立て替えるとか、共同住宅を作るとかで野宿している人々がそれらを得られるようにすることが必要なのではないでしょうか。野宿している人々の高齢者(最後をどこで迎えるか)のことを視野にいれたらますます緊要だと思います。 従来の炊き出しでは、どうしても野宿している人を200人、300人というマスを対象にしますので、出会い・交わりは困難であります。しかし、彼らに仕事や住居を提供するには、互いの信頼が不可欠となります。彼らの一人一人との関係をつくり、大事にしていくというところでも、上の働きは、炊き出しの新しい役割になるのではないかと考えています。 これまで、20年間の炊き出しでは、名古屋市の「住所不定者年末年始対策」以外、見るべき成果はなく、現在、名古屋市との関係は悪化しこれ以上の行政の施策は望むべくもありません。従って、これからの炊き出しは、名古屋市が何かしてくれるのを待つばかりでなく、野宿している人たちに対し食事をはじめ衣・住・職・生きがい・夢希望とトータルな援助の出来る場にすべきだと思います。 「ももちゃん便り」目次に戻る |