「まだ、頑張る。」

福信館炊き出し代表 竹谷 基


 天白川の河川敷で野宿生活を余儀なくされた方を訪問するようになって、はや6年過ぎた。はじめ25人を数えたが、12年8月現在、9人となった。その間、生活保護受給により14人が「脱野宿」された。それは、いろいろな方々とのネットワークにより出来た。炊き出しをはじめ、自立支援センターへの入居、生活保護申請の手伝い、生活健康相談、アパートへの転宅、その後の各種相談・支援、等々。一人の野宿生活者が「脱野宿」し、憲法25条で保障されている当たり前の生活の開始、維持には多くのボランティアが関わっている。

 さて、「まだ、野宿を頑張る」と言う方もいられる。Jさん、60才を越えているが、鍋などアルミ製品を集めて換金している。傷ついた鳩を面倒見てから、鳩と暮らしている方だ。初めは、その鳩小屋に起居していることに驚愕したが、訪問する度、いろいろ話しを聞かせてもらう。もう三日も食べていなくて、あなたたちの来るのを待っていた、米を頂けるのがとても助かる。頂いた着替えを取って残している、というのはアパートに入ったとき使えると思って。野菜ができたから持って行ってほしい等、有り難いことを言われる。また、「大雨のとき、急に水が上がって来て寝具類がだめになった。少年たちが石や花火を投げつけてくる。よく付近で自殺者を見かけるよ、先日も近くの橋の下で首つり自殺者がいた、30才半ばだったけれど、自分たちはとても自殺は出来ない。」との不安な生活についても聞かせてくださる。

 私たちは会う度に、アパートに入らないかと声を掛ける。「その気になったけれど、隣のおじいさん、70才後半、を置いては行けない。今までずっと一緒だったから。おじいさんが行くなら、同じ所へ自分も行く」とのこと。そのおじいさんにもその都度、「アパートは」と声を掛けているが、「まだ、頑張る」との繰り返し。

 それこそ、一日一食に不自由し、襲撃・水害なども心配する不自由不安定な生活にもかかわらず、国会中継をラジオで聴き、ますます、野宿生活者が増えるだろうと政治社会情勢にも通じている。また、自分より年老いた隣人のことまで配慮している、等々にあらためて感心することばかり。恵まれた私たちの自己安定のみに捕らわれ、社会に流され他者を顧みる余裕さえない醜い姿に気付かされたのであった。

 旧約聖書のエゼキエル書には次のように書かれている。「お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、過酷に群れを支配した。…お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。」(34章)無論、これらの言葉は、イスラエルの指導者たちに向けられたものである、彼らは神と約束したにもかかわらず、破ったために裁かれている。キリスト者もイエス・キリストと約束したのではないか。

 私たちの周りにいる野宿を強いられている人々のように、困難にある人たちに目を向け手を差し伸べることは、私たち恵まれたキリスト者の責任ではないだろうか。

 皆様の野宿生活者へのご理解とご協力をお願いいたします。


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