教区「聖書講座」受講者の炊き出し現場研修参加者の感想

H・M (竹谷 基が編集、文責)


 到着すると、小さな公園に、すでに長蛇の列ができていた。炊き出し現場に行く前から、人数を聞いて面食らった。集まる路上生活者の人数は、毎回三百人前後。内、女性も五〜六人。当日は、女性は一人しか目につかなかった。

 公園に、炊き出しの弁当を待つ人々の群れに、いかにも路上生活者というなりの人は少ない。おそらく、駅や街ですれちがったら分からない。(略)生活保護受給者が二百万人を超えたと報道されるが、受給者になれる人々の数はそれ以上いるはずだ。

 炊き出しには、NPOの皆さんのほかに、医療版も加わる。歯科医や精神科医もいるそうだ。この日は、』大学生のボランティアも参加。大学生と私たち聖研のメンバーを前にして、竹谷神父から説明があった。「お弁当は粗末です。炊き出しは、一度の満腹のためのものではなく、今後の付き合いのためのものです。」

 炊き出しをする中で、病気であれば病院へ行くことができるよう、スタッフが役所へ同行する。彼らが病院へかかるには、役所で手続きが必要になるが、門前払いになることも多いそうだ。申請書類の内容をきちんと書くことができない人もいる。だが、スタッフが同行すると、スムーズにことが運ぶ。さらに、医師の紹介状があればなおさらだ。

 路上生活者の中には、知的・精神的障がい者のボーダーにある人が多いそうだ。仕事に就くことができても、続かなかったり問題を起こしたりすることが多い。仕事をするにしても、健康を保つにしても、他人のケアとサポートを必要としている。長い関わりとなる。

 かって、中卒者が「金の卵」ともてはやされた時代があった。だが、当時から、こうした路上生活者の問題は脈々と引き継がれてきたという。中卒で就職したものの、不安定な職場で長続きせず、転々と変わったあげく、野宿に至らざるを得ない人々がいた。ここでは、その多くの人々をサポートし、時には看取ってきた。歴史の表舞台には登場しない事実だった。

 女性の路上生活者は、また、別の問題を抱える。多くはDVから逃れている人だという。こういう人たちは、相手に居場所を知られないために、生活保護を受けることは難しいそうだ。

 まだ、夕闇には程遠い夏の夕暮れ、お弁当を配る前にレクレーションをする。これにも驚かされた。スマートボールというゲーム、囲碁、カラオケなど。ボランティアの人たちは参加者といっしょに楽しんでいる。こうした中、NPOや医療チームの皆さんは、公園の中に散っていき、それぞれの目指す仕事を行う。ひとしきりゲームに興じたあと、夜の闇が色濃くなった公園で、お弁当の配布。

 今回参加した大学生の一組は、早い時間から手伝ったのだろう。「少し休ませて」「まだこき使われるの!」他もろもろ。聞けば大学3年、21才のはずだが…。神父たちは炊き出しのほかに、良くわかっていない私たちや学生ボランティアの世話まで。苦労を思った。

 炊き出しは、路上生活者が一人でも多く、そこから脱して、「健康で文化的」生活を送れるように手伝うための一環である。のみならず、手伝いする側もまた自己と社会への視点を変えられ、関わりを新たにされる機会であると思った。(後略)

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