巻頭言

野宿者に聴き、学び、考える

「聴く会」実行委員長 柴田謙治


 どこの国や社会、時代でも、貧困が皆無だったことはないかもしれない。しかし貧しかった戦後期よりも、多少は豊かさが残っている今日のほうが失業率が高く、高い失業率を背景として野宿する人が増えているとしたら、やはり大変な問題である。NPOささしま共生会は炊き出しに加えて、これからどのような事業をおこなえば野宿している人たちの役に立てるかを模索しているが、やはり野宿している人自身にその答えを教えていただくのが一番だと言う結論に達した。そして「なぜ野宿しなければならなくなったのか」がわからなければ、「どうすればよいのか」も見えてこないため、 「なぜ野宿しなければならなくなったのか」についても、野宿している人たちにうかがってみようということになった。
 実は「なぜ貧乏になるか」という問いについては、これまでも学者が「社会が日雇い労働などの仕事に就く人を求めており、そのような仕事に就いた人は、収入や雇用が不安定になリ、貧乏にさせられる」ことを、調査などによって示してきた。ただ私は、野宿する人に対して「どのような仕事を何年間やったから、何人が貧困になった」という統計を示して「社会が野宿者を生み出す」と説明しても、「そのとおりだ」とうなずいていただける自信がない。野宿している人それぞれに上のような統計だけでは説明しきれないような微妙な事情があり、それらをていねいに積み重ねることによって、 「社会が野宿者を生み出す」と言う主張が、 野宿している人たちや家のある人たちに対して説得力を持つようになるような気がするのである。
 私も6月から数人の方にお話しを伺ったのだが、それぞれの方の「なぜ野宿しなければならなくなったのか」という事情は独自であり、 そしてそれぞれが「社会の問題」であった。たとえば十年間まじめに会社勤めをしていたがリストラにあい、日雇い労働をするようになったAさん。Aさんがリストラにあった時期は災害の復興のために日雇いの仕事があったが、復興が終わると日雇いの仕事が減ってしまった。これもまた、個人よりも社会の問題であろう。六十を過ぎるまで飯場で働いていたBさん。Bさんはかって会社で一生懸命働いていたが、家族と接する時間が徐々に減っていき、 人生の転機を迎えた。Bさんは「ただまじめに働いた」だけであり、一生懸命働くこと自体は非難されるべきことではない。それでは一体どこで、歯車がかみあわなくなってしまったのだろうか。
 私たちは毎週木曜日に炊き出し前の7時から8時の間に、「野宿者に聴く」という名前で上のような場を設けている。どの方もおどろくほど協力的にそれぞれの方の人生を語ってくださり、毎週「このような事情で野宿にいたることがあるのか」という事実が積み重なっている。 「野宿者に聴く」はどこからもお金をもらわずにおこなっているが、最大のボランティアはお話しをしてくださる方々である。これからも皆様のご協力をお願いいたします。

金城学院大学教員


戻る