シンポジウム 今、ホームレス問題を考えよう
〜 聴こう、語ろう、分かち合おう人権を 〜
と き/1997年12月6日(日) 午後1時30分〜4時
ところ/東別院会館2F萩の間
名古屋市中区橘2-8-45
参加費/無料
主 催/名古屋炊き出し連絡協議会
カトリック福信館炊き出しの会
日本聖公会中部教区愛岐伝道区
日本福音ルーテル教会尾張岐阜地区宣教委員会
日本基督教団中部教区愛知西地区教会婦人会連合
日本基督教団中部教区愛知西地区社会部
後 援/笹島キリスト教連絡会
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総合司会
これからシンポジウムを始めたいと思います。私は、今日総合司会をさせて頂きます日本キリスト教団広路教会、長田といいます。宜しくお願いします。今日のシンポジウムは、「今、ホームレス問題を考えよう」で、副題が、「聴こう、語ろう、分かち合おう人権を」というテーマで皆さんと一緒にお話し合いをしたいと思います。今日の会の主催は「名古屋炊き出し連絡協議会」と言いまして、主にカトリックとプロテスタント、要するにキリスト教関係の人々で、ホームレスの方々に炊き出しをしておりますけれど、そのメンバーが主催で会を持ちたいと思いますので宜しくお願い致します。
今年の夏、8月の末、27日でしたが、若宮の名古屋高速の下の冒険砦が撤去されたことは、皆さん覚えていらっしゃると思います。冒険砦で子ども達を遊ばせたい、でも何やら人が沢山いる、しかも小屋掛けしていて子ども達も怖いと言うし、遊ばせたくないという多くの人の声を聞くことが多かったですが、実際には撤去されてしまったわけですが、でもそういう風にして、ホームレスの人達で困ったという声をもっともっと真剣に伺いたいと思う。そしてホームレスの問題で困った困っただけでは困る。これをどうしたらいいだろうか。みんなで考えて行きたいと思い、このシンポジウムを持ちました。
今日はパネラーの方2人お願いして出席して頂いております。1人はボランティア代表で竹谷神父で、もう1人は市民のお声を聞くために橋爪さんにお願い致しました。このお二方の話を聞いて、皆さんも、そうだ、こんなこと困っている、こんなことがあった、あるいはこうしたらいいんじゃないか、という声を皆さんと一緒にお話を聞きながら語り合いたいと思います。心の中に溜めておかないで是非一言でも二言でも話して頂けたら有り難いと思います。それでは司会の野村にお任せします。
野 村
それでは、いまから「ホームレス問題を考える」というテーマで行います。私司会を致します日本聖公会の中部教区で牧師をやっております野村と申します。シンポジウムですから基本的には今ここにいらっしゃるお2人の方に、まず話の切り口を提供して頂いて、その後ここにご出席の方々とざっくばらんに、今日は何言ってもいいと、そういった会にしたいと思いますので、皆さんからの忌憚のない御意見を頂きながらホームレスのことについて考えて行きたいと思います。世の中ほんとうに不況で、随分、失業者の方々が増えている中でホームレスあるいは炊き出しにくる人達の数も激増しているという状況があります。ですからそれは必ずしも他人事ではなくて、我々自身の身に降りかかってくる問題でもあるところで、話し合いを進めていきたいと思います。時間は一応は4時までで、途中一度うまくブレイクをつけたいと思いますが、今日は4時までずっとそういう話を続けるというつもりでどうぞご出席下さい。では最初に、橋爪雅子さんの方からお伝えをして頂きたいのですが、彼女は多分御自分で話すと思いますが、職安の傍のビルに勤務されています。ですから、いろんな意味で日常的に日雇いの人達を見たり聞いたりして、そういう中からご発言頂けたらと思います。
橋 爪
橋爪でございます。あの今日なんか訳分からずここに来たというのが正直です。私はキリスト教会に通っている者でもありませんし、ホームレス問題を深く思ったこともない者であります。ただ私は、今御紹介頂きましたように、笹島にあります職安のすぐ横にあるビルに勤務しております。毎日いろんなことが目につくわけで、何か危害を加えられたとかそういうことではないんですが、日常あそこの道を歩く、目につく、我々、それが非常に、思わず目を覆ってしまうこともかなり多いわけで、そこを少しお話させて頂きたいと思うのですが。
一時期この冬寒い時期になりますと、今年はまだないんですが、去年あたり、あの職安のところに私のビルの傍に沢山自転車があるんです。そこかどうか私は分かりません。その方達がホームレスかどうかも私には分からないんですが、何十台という自転車を山積みにして、それを燃やすわけですね。そうするとその傍を通ると、もう臭いなんてもんじゃなくて、ゴムが燃えるわけですし、それからそこを燃やしているためにアスファルトにポコンと穴が開くわけです。でそこへ、あと紙を燃やしたりいろんなことをやる。暖をとるためにするわけなんですね。そうすると雨が降ったり風が強い日になると、その灰が道を歩くともう、ものすごい勢いで舞ってくるわけなんです。我々は仕事していてスーツ着て、その傍を歩こうと思うと、思わずその道を避けて通らなければいけないというような状況であったり、非常にその臭いがいつまでも臭って、去年あたりは本当に迷惑な思いをしてるわけなんです。
それと朝の11時頃までが一番のピークでして、あそこに毎日職を探しにいらっしゃると思うのですが、その、残られた方かどんな方か分からないんですが、殆ど毎日のように、あそこにお酒を並べ、朝から宴会をされてるわけなんですね。そこで酔っぱらって、はっきり言っておしっこですとか道でされると、あの道を歩くだけで、非常にくさい臭いがするわけなんですね。あの一応トイレでして頂ければいいかなと正直な気持ち思うわけで、そこの道を通るということが、我々が日常通る道であるんですが、そこを避けて通らなければいけないという状況がやはり一市民として、その道を通れば近いのに、わざわざ遠回りして行かなければならないとか。まず、車は通れない状況なんですね。11時頃になると、ばっと人が立ちはだかって、もう通れない状況なんですよ。仕事に出ようと思ってもあそこの道が通れない。毎日それは迷惑をしてるわけなんですね。
今なくなりましたけど、あそこに一時期、駐車場がつくってあったんですよ。で、その駐車場に月極めで入れている人が、かれらが座り込んでいるので、バックしようと思っても出来ない状況が2,3回あったんです。それでどいて下さいと一時期すったもんだしたことがありまして、お金を払って借りている駐車場なのに、出るに出れないということがあったりとか。私は深くは分からないんですが、日常そういうことで、どうかなと思うことがあります。
それと、私、若宮大通りを走って、毎日、冒険砦が今撤去されたせいで、どんどん小屋がこちらに移ってきているのですね。あそこの信号で止めるんですが、あそこ良い景観の公園だったと思うんです。犬の散歩したりとか、いろいろ散歩するのにブリッジがあって、非常に歩くのに素敵な公園だったと思うんですが、今見事にあそこに小屋が立ち並んで、あそこを歩く気にはならないと思うわけで、市民の憩いの場として作った公園であるのに、じゃ何処へ住むのかという問題もあるかと思うんです。そういう深い問題は分かりませんが、そういうものを彼達がいるのがいいのかどうか。という問題を感じるわけで、みんなのものであるということね、忘れてはならないと思うわけで。
それと、よく喧嘩をしてるんですね、酔っぱらって。一時期私があそこのビルの下の駐車場に車を入れるのですが、入口のところで、まさに朝、5分前で急いで入れようと思ったところで、目の前で3人、その人がホームレスの方なのかどうか私分からないんですが、あそこで喧嘩をして、一人の人に自転車を投げつけて、私の目の前で顔面が割れて血が吹き出ているという状況を見たら、そこへ入れようと思っても、目の前でやられてるもんですから、何とも言えない思いがあります。そういう問題が日常起きているわけで、そういう問題を感じています。
野 村
有り難うございました。皆さんに後程、議論の中でコメント頂きたいと思います。次に福信館炊き出しの会で、長いこと働いていらっしゃる竹谷神父さんにお願いします。
竹 谷
竹谷といいます。今、カトリックの福信館というところで炊き出しの世話係をやっています。私の話は、私が何故炊き出しに関わっているかということをお話したいと思います。まず、炊き出しに関わったのは一九八一年、今から約15,6年前の時期です。その前はやはり偏見を持つていまして、ホームレス、街で出会いますと、どうしてこんな人がいるんだろうか、どうしてこんに汚い格好して街を歩いているんだろう、せめて我々の目から、どっかへ行ってくれないだろうか、あるいは私の目の前から居なくなって欲しいと、そんな考えをずっと抱いていました。しかし一九八一年炊き出しに関わるようになってから、何故このような人達が今いるんだろうか、あるいはこの人達はどういう生活をしていたんだろうか、あるいはどうして今ホームレスをしなければいけないのだろうか、ということをいろんな人から聞いたり、自分で勉強したりして、学びました。
で結局は、ホーレスムという方々が、結局は、日本の今の経済とか産業の仕組みの中で、必然的に生み出されて来る人々、例えば山一証券がこの間潰れましたが、あの中の何人かが再就職できなくて、ひょっとしたら家も手放して、あるいは家族とも離れて、野宿するかも分からないですね。今の日本の産業は、必ずそういうホームレスを生んで行くだろうと。さて、そして私とホームレスはどういう関係があるのだろうか、ということです。
大昔の本ですが、かつて、吉野源三郎という方が「君たちはどう生きるか」という本を書きました。その中に、主人公のコペル君というのが出てきます。コペル君というのは、地球は回っているコペルニクスですね。それをもじったわけです。なぜコペル君という名前が付いたかというと、彼は学生の頃、人間は自分一人で生きているんだ、と考えていたんですね。自分の力で人間は生きている、と考えていた。ところがある時それが思い違いだった、考え違いだった、ということが分かったんですね。それで彼は当時の丸の内のビルから地上を見た時に多くの人々が走り回っている、動き回っている、出前持ちとか郵便配達人であるとか、あるいはサラリーマンとか、沢山の人が動いているわけですね。彼ははっと気がついたわけです。自分が生きているというのは、人々の中で生きている。つまり、我々の社会というのは、網の目のように人々が関わり合っている。その関わりの中で、初めて自分は生きられる。ということを発見したわけですね。今まで自分一人で、自分の力で生きていたと思っていたことが、実は人から生かされているのだ、自分が生きているんじゃなくて、自分が今ここにあるのは、多くの人々がいて、多くの人々がいろいろな活動をして、それがずっと繋がっていて、その中で初めて自分が生きている。つまり人々から生かされている。だからコペルニクス的転換というのですね。自分が生きているんじゃなくて、実は自分が生かされていたんだ。ということに気が付いたんですね。
私もやはり同じでした。それまで人間は自分の力で一人で生きているんだと考えていたんですが、ところがそれは大間違い。多くの人々が網の目のように隣同士互いに協力し合って、初めて自分は生きて来られる。まあ皆さんもそう思いますね。ここに今何故自分はいるんだろう。何故、自分は今まで生きて来られたんだろう、と考えた時に、決して自分一人では生きていなかったと思うんですね。多くの人々、親をはじめ兄弟あるいは友人、知人、はたまた南米の農民、あるいは太平洋で魚をとっている漁師とか、石油を掘ってる人々、そういった多くの人々との関わりの中で生きている、ということに気が付いた。
ということは実はホームレスの人も、私の生きている中でやはり彼らもいた。彼らもいるわけですね。かつては日本の産業、経済を支えてきた労働者。つまり日本の社会を支え作ってきた人々が、今や、家が無い、職業が無い、金銭に困っている、そしてホームレスをしなくてはならない。だからホームレスをしている人と私は、今まで生きてきた中でずっと関わってきたということに気がついたんですね。彼らがいなければ私の生活など成り立たないんだ。だから網の目の様に互いに協力し合って生きているわけですから、その中で私は生活に恵まれているわけです。一方ではホームレスの方は、家が無い、失業とか病気、高齢化という、失業してホームレスしなければならない。悲惨な生活送っているわけですね。私と彼は繋がっている筈なのに、お互いに生かし合ってもらったにもかかわらず、私は恵まれた生活をしている。一方は不自由な生活をしている。これはおかしいのではないか。今まで、私は彼らのお陰で生きてきた、恵まれてきたんですね。私はホームレスの方々のボランティアをしようと言ったのは、自分が生きてゆく上で自分と繋がっている人々が不自由な生活をしている。それは耐えられなかった。自分の中で。自分が生きて行く上で人が、自分が今まで彼らのお陰で生きてきたにもかかわらず、彼らが今困っているわけですね。不自由な生活を強いられている。じゃ、自分が恵まれた分を、彼らの本当に人間らしい生活ができるように協力しなければ、私が今まで受けてきた恩を無駄にしてしまうんではないか、と考えたのですね。だから、本来はお互いに網の目のように、網も一ヶ所破れればその網が使いものにならないわけで、私が生きていくといった時に、いつもこの人々の協力で初めて生きられる。だから網の一部分が破れれば、そこは繋がなければならないということですね。一言で言えば、ホームレスの方に対して、今まで自分が恵まれた分をお返ししたいということでしています。あと、皆さんの意見を聞きたいと思います。
野 村
有り難うございました。言ってみればずっと炊き出しに関わってきた竹谷神父と、ホームレスの日常の現状を垣間見てきたお二人の対照的な感じ方をみなさんに話されたと思うんですね。どっちが正しいとか間違っているとかではなくて、今日はむしろ、ざっくばらんに正直なところと言いますか、今日は何言ってもいいということですので、それぞれいつも感じていることを披瀝して頂ければいいと思うんですが。
まずその前に、今お二方からお話頂きましたので、そのお話の中でもう少しクリアにしたいこと、分からなかったことがあればご質問頂ければと思います。
A 氏
後から来たのですみません。冒険砦が撤去された後の生活はどうなっているか。
野 村
まだ、そこまでいってませんが。いろんなことについて共通理解を持ちながら話をしていった方がいいと思いますので、冒険砦が撤去された後、そこにいた人達がどうなったか、そのあたりに詳しい方。
松 本
名古屋市の方から冒険砦の撤去、高速道路の橋脚補強工事、その二つがセットされて出てきたわけです。3か月の赤ちゃんと若い夫婦と赤ん坊のおばあさん、そういうファミリーの人がいます。七十歳前後の方が二人、身体障害者の方が二、三人、知的障害と言われている人々、それからいわゆる土木建築の仕事があればその仕事をするが、無いために、そういう人達を含めて三五から四十名いましたが、特に私たち、その問題が起きて相談を受けたときに、私が一番感動したのは、その仲間たちが先ほど御紹介した乳飲み子を抱えたフアミリーのことをなんとかやってくれということですね。2番目には、高齢とか病弱とかハンディキャップを持った人達をやってくれ、おれらはいい、という感じで相談を受けて対応したんです。
いわゆる制度、今の日本の生活保護法の中で、名古屋市の福祉行政、こういうところに行って、こういう申請をすれば、こういう対応ができる、あなたはこういうことがと申請の方法を教える。ああそうだったのか、私は知らなかった。知らないために馬鹿を見ちゃう。知らない為に無駄な努力をしている。最初にフアミリーが解決出来ました。生活保護を受けることが出来て、勿論お父さん再就職出来て。高齢障害の方では、やはり名古屋市を通して施設に入ったのです。あとはいつか自分たちもそうやってやれるかもしれないけれど、当面冒険砦のような形で強制的に追い出されることはないから。
最後に例の新聞・テレビで報じられたように、強制的に引きずり出された六名の方、自分たちは本当にゴミのようにああいうことされるのはたまらない。ということでせめて、出されるにしても黙って、この問題の何たるかを社会に訴えることもなく出ていくことについては、うちらはかなわん。最後は出されるかもしれないが、自分たち言いたいことだけは言うということで残っていた人達なんです。それが約五名くらいですね。その方たちは、あくまで市長さんをはじめ話し合いでどうして解決できないだろうか、話し合えば解決出来るはずだと。自分たちは何でもかんでも子ども達の遊び場、市民の憩いの場を占拠して、そこがおれたちの住むところだと権利を主張しているんじゃない。自分たちは出来れば野宿しなくても済む名古屋市になればいいと思っている。市民の人達も自分らがこうしていることに対して迷惑なことは充分承知している。主張ばかりでなく、その中には申し訳ない、皆さんの憩いの場に止むを得ず居座ったりしてご免なさい、本当に申し訳ない。しかし、自分たちはここにいなくなっても、公園とか何処か、必ず公のところで野宿せざるを得ないから、Aという所からBという所へ移ったところで、Aの所は解決しても、また新しくBという所で市民に迷惑かける、結果としては。そういう構造があるわけですから根本的な解決にはならない。こういうことが繰り返されるのは自分たちはもう厭だ。その都度自分たちがゴミのように見られるのはイヤだ。だから今回この問題に対して、そこにある根本的な問題は何だろうかということを訴えていたんですね。
結論は先ほど言ったように排除されましたが、五名の方も当然仲間達が一緒に暮らしています。ほとんど冒険広場の東西に移動して今でもそこで住んでいます。
野 村
有り難うございます。ということですが宜しいですか。
K 氏
今の説明の中でよく分からないんですよね。解決できるのか。彼らの意志でもってそういう生活をやってるのかどうか。その辺私もよく分からないもので、教えて頂きたいと思います。
野 村
最初のご質問が、その冒険砦から追い出された人達が、Sさんのお話では生活保護を受けた人、施設に入った人、それ以外の人達が居住の場所をどういう風に与えられたのか。多分、与えられていないと思いますが。二番目が例えば社会保障、等々で彼らの生活というものが本当に守られるのか。彼らのある意味で自由意志、というものがあるのではないか。というふうに伺ってよろしいでしょうか。
K 氏
それと、そういった状況の中でそういう雰囲気的なものが、そのような具体的な弱さの確認の中で、・・・。
野 村
そうしますと、居住の場所がどういうふうに与えられたのか。あるいは与えられなかったのかについて補足して頂ければと思いますが。二番目の、生き方にか関わってくるので、それについて竹谷さんの方から。
松 本
冒険広場に関して当初から関わってきた者として、現場見ていて知ってる範囲で言いますと、先ほど言ったように、名古屋市が出てくる以前にそういったニュースが報道されて、労働者の仲間内で、その中でさらに弱い人たちから何とか自主的に解決してやって欲しいというので対応したわけですね。ですから最初はそういう、私たちが生活保護法の制度、特に、乳飲み子がいた場合の母子家庭とか母子寮への制度とか。ですから仲間内のそういったアドバイスがあり、我々が知っている社会保障制度特に福祉制度を教えて、こういうふうに申請すれば出来る、ということを教えていって、できたのです。それから一人の人は姉と野宿している中で病弱になっていて、これは医療扶助を申請すれば出来るだろうということで、その人は入院したわけですね。生活保護法の一つの医療扶助、全部で七つの扶助があるんですが、その一つの医療扶助を受けて入院することができた。それは名古屋市が関わっているわけです。それ以外の人達はみんな仲間達が新しい居住の場を、協力し合って移動したわけですね。ですから今も自主居住、ホームレスを続けているわけです。制度に関してはそういうことです。
野 村
有り難うございます。では神父さん。
竹 谷
私の短い経験の中で出会ったホームレスの方について話をしたいと思います。もちろん現在、大半はホームレスをせざるを得ない人たち、大半は日雇い労働者ということで。日雇い労働者になる経過はいろいろと、会社の倒産等ありますが、日雇い労働者そのものは非常に不安定な仕事と生活を強いられるわけですね。もう一つ私の経験した中で、三五歳の若さなんですね。見た感じは丸々太って結構元気そうな青年なんですね。私、彼と顔を合わせるようになって聞いたんですね。「どうしてあなた、そんなに元気で若いのにどうして野宿してるの。気があれば就職してもいいんじゃないか」と言ったんですが、彼、野宿始めて七、八年になると言うんですね。どうして野宿始めたんだ。実は会社に勤めていた頃、スキーに行ったところ、初心者の方が自分より上のほうから滑ってきて自分にぶつかった。自分はそのせいで谷に転落して両足骨折しちゃった。約2年近く病院で治療して退院したのですが、その後、見た目には足は何ともないんですが、寒い時とか梅雨の時、足が痛くて立っていられなくなる。その中で、働きに行くんですが、なかなか長く勤まらないということを繰り返している内に野宿をするようになった。足が悪いということで生活保護出来ないかと言うと、見た目が何ともないですからね。神経痛ということですから、障害の認定も得られないし、また若いですから生活保護も得られないで、勿論、市役所に行けば仕事探しに行けという話ですから。彼は結局障害者のほうも認められないし、生活保護も得られない。今何をしているかというと、夜、街を歩いて拾い、拾ってはそれを現金に替えてやっと生活している。この方は現行の日本の生活福祉の対象にならないですよね。彼は拾い屋をして月幾ら位もらうかというと、五、六千円と言うんですね。五、六千円で食べて野宿して、食べ物も拾ったりして、それで生活している。そういう方が多分、もっともっといると思うんですね。それは表に出ない。彼らはひっそりと痛みとか苦しみを出さなくて生きている人も多いんじゃないかな、と僕は思っています。
野 村
有り難うございました。ほかに何か。
B 氏
お父さんがあるにはあるんですが、そういうところに入ると無理や自由がきかないから厭で、勝手にホームレスしてるという風に。
野 村
ホームレスの人たちが居住出来る、そういうものが行政サイドであるかどうかということですね。
関 谷
笹島診療所と言いまして、野宿していた日雇い労働者の方の生活支援団体の職員の関谷と申します。いわゆるホームレスの人達を診療して保護できる施設、厚生施設があるんですが、これは名古屋市の植田寮という所があります。だったらそこに入ればいいじゃないかと、誰しも思うと思うんですが、確か植田寮の定員は百人でしたよね。単純に考えて頂いて、今名駅・栄周辺で六百人くらいの方が野宿してるわけですから絶対数が足りない。私もよく笹島診療所の方で相談を受けますと、植田寮に入りたいという希望があるんですね。ところが定員が百で絶対数が足りてないわけですから、そういう方が希望しても入れないわけですよ。福祉事務所の職員は、いやあそこは体の悪い人が入るんだよと断るんですよ。もとからの精神からすればそんなことはないと思うんです。現に第二次世界大戦が終わった後、実は厚生施設は植田寮だけでなく、名古屋市に数か所あったようなんですね。そこに例えば失業していて仕事がない家がない、入りたいと言うと、ほぼ入れたというんです。門戸は広かった。ところが時代の中でそういう施設がどんどん少なくなって、市内では植田寮一か所だけになってしまった。そういうわけで今たとえ希望しても入れない。名古屋市の名誉のために言うと、慌てて五十人分増員をして増築してますけど。百五十では足りないわけですね。また、厚生施設植田寮も五人から六人一部屋なんですね。すごく住み心地がいいかというと?マークがつく。また、入りたい人が殺到という中で、施設も早く出てゆけという感じなんですね。勿論そこから定職に就くとか、住まいが出来て出て行くのはいいんですが、せかされる。言葉で言わなくともせかす雰囲気が伝わって来る中で、まあいいわ、何とかなるわと出て行く、また野宿に戻るのが多いみたいなんですね。現に私が一年くらい前に相談受けて、ずっと入っていた人も、そういう雰囲気が伝わってきて出ざるを得なくなった。で今野宿してるんですが。そういう問題があります。
野 村
絶対数が足りないということと、いわゆる人間が最低限居住出来るような環境にもないというところじゃないかと思います。この際ですからホームレスを取り巻く、名古屋あるいは日本の状況どうなっているのか、というような質問でも結構ですから。
C 氏
名古屋市というより青島都知事にも失望しちゃったんですけど、基本的にはあれが現実なんですね。名古屋も同じことなんですね。少しは冒険砦を撤去するときの状態に対して、今人権週間ですが、考える気持ちというか余地をもっているんでしょうか。答えにくいかもしれませんが。
D 氏
多分この間、ずっと名古屋で行政と折衝してきている人達がこの中にいると思うんですね。それから、もう一つは山谷、釜が崎についてある程度知っていらっしゃる方がいらっしゃると思うので。名古屋市、あるいは愛知県の行政の姿勢は、ホームレスに対して、よそと比べて果たしてどうなのか。その辺、どなたかお答え下さいませんか。
竹 谷
名古屋市との関係では、私たちは名古屋炊き出し連絡協議会では今まで二回、名古屋市議会に対し請願書を出したんですね。いずれも不採択ということで、理由としては、私が請願したのは、一つは緊急宿泊所、特に野宿している方で高齢者とか病弱な方を一時保護する施設を緊急に作って欲しいと請願しましたが、結局、名古屋市はやってるというんですね。現行の生活保護法においてやってる。今年も請願書をもう一度出そうと言うことで検討したんですが、民生局から電話がありまして、お前たちそんな事しても無駄だと言われたんですね。頭へ来たんですが。民生局と話をするんだが、一方的なんですね。そういう状態です。
野 村
名古屋市の施設としてはいわゆる門前払いに近い状況があるという事だと思います。
松 本
名古屋市の本音みたいなものはそういうところあるんですが、少なくとも、名古屋市との関わりが二十数年あるんですが、名古屋市、愛知県に対しても要求書を出し、そういった二十数年の歴史の中で、愛知県というのはどういう考えでホームレスに対しているか。それはそれなりに歴史的背景、名古屋ならではの特殊な状況がある。
釜が崎は、朝行っても昼行っても夜行っても、本当に日雇い労働者の町です。もちろん路上でベニヤ剥がして寝ちゃっている人もいれば、同時にホームレスの人が日雇い労働に従事して不安定な収入だけど、それでも一日五百円とか七百円、千円とか千二百円のドヤ街がある。さらにその労働者たちを、住民として理解した上での商店街があるわけです。作業着を売っているとか、地下足袋を売っている。あるいは朝早くから開いている店屋がある。食堂がある。そういう労働者を住民として、あるいはお客として、消費者としてちゃんと理解している。町がそうなっているわけです。
ところが名古屋は先ほど仰ったように、朝だけなんですよ。そういう寄せ場に労働者が仕事を求めてやってきて、冬は寒いから焚き火やっちゃう、またそこで出来上がって寝ころがっちゃったり、病気で倒れていたり、朝だけなんですよ。それで大体七時か七時半になるともうあぶれたら、今日は仕事につけないなと分かると、本当に潮が引いたようにさあっと散っちゃう。そしていわゆるオフィス街になっちゃう。昼も夜もそこは静かになる。だから朝四時半から七時半くらいまでしかない。
それで行政は、愛知県はあなた達が何を言おうが、私たちは他都市と同じようにやる気はありません。わかりますね、理由は。つまり地区としての構成・・・各区にある福祉事務所というのは、民生局の出先機関、福祉は名古屋市。労働は愛知県、こういう縦割りになっています。それで名古屋市に行って仕事がないので生活に困ると言うと、いや仕事の問題はうちに来てもらっても困る。どうぞ愛知県に行って下さい。愛知県に行って仕事がなくて病気になって困る、今すぐ何とかしてもらわないと困るというと、ああ、それは名古屋市です。そういう縦割り行政です。
他都市では少なくとも、そういった問題に関して責任転嫁しません。たらい回ししない。つまり総合対策としてのセンターを持っているのです。東京都というと足立区、台東区と、東京都が出資金を出して城北福祉センターというのを出している。病気であろうが、失業であろうが、賃金不払いであろうが、運びやで正当な賃金受けて、親方にどつかれた暴行事件だろうが、みんな行けばぱっぱとやるわけ。神奈川県、横浜もそうです。横浜市と神奈川県が出資して作っています。釜が崎もそうですね。府と大阪市が。名古屋だけがそうしてない。そういった意味では、他の都市は良いなというわけではないのですが、残念ですけど、相対的には日雇い労働者を棄民化政策をしている。棄民化政策の最たる例ですね。あとは使い捨て自由な労働力としてしか対象化されていない。当然私もそうなんですが、市民は欲しくない対象として見ている。私は変わっただけなんですが。全体としてはやはりそうですから、必ず行政が言うことは市民の理解が得られるようになってきます。これは圧倒的に、例えばホームレスの問題に対して、まだまだいろんな意味で努力もお金も足りない訳ですが、そういう中でやはり彼らを、彼らの人権の問題よりも、彼らが居なくなることを望んでいる圧倒的な市民社会があるわけです。これを指して行政は市民の理解という。だから今ホームレスの人の無料宿泊所、じゃ作りましょう、あるいは急病人の緊急宿泊所作りましょう、あるいは野宿しなくても済むような施策を等々をやりましょう、というと私たちの税金をそういう怠け者の為に使うなと猛烈な反発があるわけですね。そういう意味で、今理解を得られないからやらないというのが本音、と私は見ています。
野 村
有り難うございました。一番の違いは五つの都市が現実から出発してるのと、名古屋市は現実を、無ければいいなというところから考えている。つまり保護・手当を厚くすると結局そこに居住してしまう、その辺の恐れを名古屋市のいろんな話の端々に感じます。
飯 田
今ホームレスがどんな気持ちでいるか、それが一番知って欲しいんですね。兄弟からも疎外され、友達からも競争心理の現実。初め、何処で寝たらいいか分からない。片隅でちょっと休んでみたり、はじめて安堵して足伸ばせる公園にみんな集まっているんだ。寝れるんだ、こんならいいや。本当にその場所より無いんです。だから明日の夢も全然持てない。金もない、仕事もない、友達もない、本当に信頼できる友達もない。何もない中で、何かただ本当に死にたくないだけ。生きたいということね。どう生きれるか僕ら分かんないですよ。いろんな人からいろんな視線を浴びます。返ってくるものは何かというと冷たい眼差し。差別の尊厳じゃないけど、本当に悔しい思いばっかり。だけどその中にも生きる尊厳、僕ら生きているんだ、生きて行くんだ、自分は自殺はしまいと、どこまでも生きるんだというよりないですね。どういう気持ちか、僕の立場で言うならば、自分のこれからの、時に良い出会い、仲間の出会い、それから昼の皆さんとの出会い、それを大切にしよう。いかに育てていくか。僕らみんな横の繋がりが本当に欲しいんです。教えて欲しいんです。先ほど、伊藤さんでもそうだが、聞きたいことが何であるか。生活保護もらって、自分でアパートに入って、一人で生活できるか。そうじゃないと思うんですね。どういう保護を出来るかが俺は問題だと思うんですね。これからの現実の皆さんの、事を起こせば事が起きるでね。本当に名古屋市の状況なんか悔しい思いばっかりなんですね。裁判になるならしたいというか。違法的な、今回の清掃の場合でも、そのような違法だと書いてある。何が違法なのか教えて欲しいんです。確かに野宿しているほうは悪いんです。公の地所を場所を、そこで寝ること悪いんです。だけどそこより無いんです、生きて行かれないです。本当にそれを分かって欲しいんです。
野 村
有り難うございます。
竹 谷
私の出会った中で、一人の今、六四歳になる女性の方、彼女は二年ばかり野宿をしていまして、年齢的な事もあり、また女性ですからね、なかなか野宿を続けられないということで、もう一つは何とか就職したいということだったんですね。今の状況では就職するためには住所が、住居が必要なんですね。野宿してては、いくら就職したい、就職先探すといってもまず無理なんですね。その方、可成り強い意志で働きたいというのがありましたので、じゃこちらでアパートを用意します、アパートに入って就職先を見付けて頂いて、仕事があれば給料貰えるようになれば、その中から少しづつ返して欲しいということで、うまくアパートに入った途端、職安に行きましたですね。すぐ仕事が見付かったのね。今、正社員になって、私より給料が多くて手取り十四万くらい。で今、毎日通っています。年齢的なこともあります。でも彼女もアパートがあって就職あって、それでいいかというと、彼女の生活をずっと支えていくというか、いつも見ていないと、パチンコが好きなんですね。あっという間にこちらの知らない間に、給料もなくなってしまう。そういうこと含めて生活を応援して行く。そういうことも必要じゃないかと思います。
野 村
有り難うございます。
飯 田
以前、清掃のことについてあったお知らせと冒険砦以後、お知らせに文言が増えまして、「公園の一定の場所の長期間独り占めをして使うようなことは違法ですので止めて下さい。」という文言が加わって公園に貼ってあるわけです。それが名古屋市の対応が少し変わって来た感じじゃないかということで、違法ですというところが、皆さんにも私自身も分かりませんが、ご存じの方があれば詳しく説明して欲しいということと、横の繋がりですね、確かに支援の人たちの繋がりはキリスト者の方たちの中にあると思いますが、実際の労働者自身の繋がりというものが非常に薄くなってきたというか、以前は少しあったように私眺めていたんですが、変わってきたんじゃないかということを思います。永年支援されている方はその辺どう感じていらっしゃるか。違法の根拠と労働者の横の繋がりをどうみてみえるか。
野 村
有り難うございました。その辺の、公園に一定の場所長時間独り占めして使うのは違法なんだということの法的根拠はどこにあるのか。どなたか法律に詳しい方
松 本
都市公園法です。冒険砦以後しっかりと示してある。公園法というのは条例ですから、労働者は・・・、刑法二五条。条例の法を犯すことは出来ない。これは法の原則ですのでね。二五条があっても無いに等しいのが日本の後進国といわれる所以だと思いますね。自分の人権を考えるなら、同時にホームレスの人の人権の成熟しないと、この事態は変わらないと思います。都市公園法六条。
野 村
それからもう一つ、労働者同士の横の繋がりの状況が変わってきたのではないか、というご指摘なんですが、その辺について。
山 田
真宗の僧侶の山田という者です。私も少しお手伝いさせて頂いているのですが、私もまだ事情が分からずに、少しづつ学ばせていただいている現状なんですが、西柳公園ですね、そこに手伝いに行った後に、一人の労働者が公園の片隅で亡くなられたという時なんですね。花が置いてあって、その場所のすぐ前に労働者の仲間と思われる方が、二人くらいそこで合掌してたんですね。私も気になって見てたんですね。そうしたら俺達どんな目で見られてるか、お前には分からんだろう、俺達人間じゃないとお前ら思っているだろう。長くいろいろ言われました。こうやって路上で亡くなっていくんだと。他のアンコ共は全然協力しないんだと言うんですね。例えばそこで亡くなって、花が活けてありますね。せめて現場に行って手くらい合わせりゃいいじゃないかと。みんな飯を食うことばかり必死で、ここに並んでる連中いたけど、と炊き出しのほうを指さすわけですね。確かにかなり大勢の方が食事のために並んでるわけです。全然近寄らないですね、全然。その場で私感じたことは、少なくとも統一して何か日雇労働者としての意見を出してゆくとか、そういうことが殆ど行われていないのではないか。私は聞いただけの話なんですが、笹島の労働組合員は現在三人しかいないと聞いたんです。だから労働者同士の横の連帯というんですが、私が体験した限りだと、殆ど連帯はなされていないのではないかと思うのですが。詳しい方に伺いたいんですが。
野 村
越冬の度に連帯が言われていますね。実際その辺りがどうなんだろうかというご指摘だと思いますが。
関 谷
こっちは幾つか。まず一点、昨日、月曜日、木曜日炊き出しして下さって、名駅と栄の二か所でやってるわけですね。私笹島診療所の方はよく労働者の方から、なぜ名駅でしかやってくれないの、栄にも来てよと言われるんですが、力量的にそこまで人数割けるような状態でないので、名駅の方だけでやっています。名駅の炊き出しというのは、冬の間、地下通路でやっているんです。なので傍を仕事帰りのビジネスマンとかどんどん通って行くんですが、食べるだけ食べてさっさと帰らざるを得ないんですね。やはり人目に晒されて食べるのはイヤだというのもあるので、名駅の炊き出しは殆ど同じ釜の飯を食うという言葉もありますが、食べた人同士話をするということが出来ないんですね。昨日たまたま機会があって聞いてみたんですね。炊き出しした時、他の人と喋るの?と聞いて見たんですが、いや、別に。一緒に何かやってる者でないのが、食べに来たからといって、いきなりなんか喋らないとおっしゃってるんですね。一つは、同じ野宿をしている境遇にあるといっても、一緒に何かをやるということはないから、だから横の繋がりにちょっと無理があるのではと感じます。それは先ほどの松本さんのお話じゃないですが、名古屋には日雇労働者の町というものがない。常に固まって住んでるという条件がないとおっしゃいました。
また、これも聞きかじりの話なんですが、日雇労働者の方がどういう所に友達、仲間が出来るかということを釜が崎で聞き取り調査したそうです。その答えは、仕事の場所だというのですね。日雇いの仕事に行った場所で仲間が出来る、友達が出来る、繋がりが出来ると答えたそうなんですね。
このように日雇いの仕事が慢性的に無い状況では、労働の場所で仲間が出来るということがない。そういうことで野宿している人がばらばらにされている、という状況があると思います。また、この路上に住んでいる人たちも、ばらばらの状況が深刻なんですが、もう一つ深刻なポイントがあるんですね。笹島診療所では病院に入院した方たちとかを訪問する活動もしているんですが、実際にあまりにも入院される方が多いので、そんなに回れないんですね。良いことやれてないのが原点にあるんですが、ところが入院すると、路上にいるときには、それでも炊き出しに行けば同じ境遇の人達がいるんだな、少しは話がある。ところが入院するとばらばらにされてしまう。僕がよく知ってた野宿していたおばあちゃんが入院したので、一月に一回くらいしか会えないんですが、何が一番困ると聞くと、入院してても他の人と話が出来ない、境遇が違うというのはないが、一般入院してる人とぎすぎすして、話ができないのがつらいと涙を流されたんですね。結構その人は炊き出しに来てて、周りの人がおばあちゃん、おばあちゃんと言って仲間がいた人なんですが、入院したことによって、仲間との付き合いが無くされてしまった。また、アパートで生活保護受けて暮らしているような人もいます。そういう人たちも地域ばらばらですから付き合いなくなってしまうんですね。
よく福祉事務所の人が愚痴のように言うんですが、なんでせっかくアパートに入れたのに、そこから居なくなってしまう人がいると。やっぱりあの人たちは特別な人たちなんかな、と言ってるんですが、それもいきなり仲間から離されて、いきなり一人で暮らせといっても無理がありますよね。そういったわけで、笹島診療所の方でも入院してる人達全部にはとても出来ないんですが、ある一つの病院では、何とか一年に二回くらい入院してる人が一緒に行けるアパートを作ろうとしてるところです。
野 村
有り難うございました。横の繋がりが薄くなってきた背景には、実際に仲間が居る仕事場が失われているのだという話だったと思います。
岩 木
今の構造的な話とか、皆さんがお答え下さればいいのですが、六百人の人々が、例えば一週間、野宿労働者を一日二食でいいので、二食とお風呂と布団を提供することができるかできないか。これで気持ちの問題なんですが、出来れば顔を下げて目をつぶって、手を上げてください。出来ると思う人。心の中で手を上げて下さってもいいのですが、出来ない、それは不可能だと思われる方。正直に有り難うございました。先ほど松本さんからも市の理解とかがありましたし、日本の政治家が悪いのは国民がそういう政治家を選んでいるんだからというか、名古屋の行政が確かに非常に人権無視とかなにか。その声が行政に反映されて、六百人の人たちが、これは大変だよ、役所の人がもっと頑張ってくれなきゃ困るよみたいになってくると、・・・。一年くらいお風呂に入ってない労働者と話をして、その方と、あくまで仮説ですが、食事して、それを皆さん自身に考えて頂いたら、ここにいる皆さんに質問したいなと。
野 村
有り難うございました。ここまで質疑という形で約一時間やってきました。ここでブレイクをおいて、後半は今までの共通理解の上で、どうしたら良いんだという話をしてみたい。今の岩木さんお話のように、行政にやらせるということもあるだろうし、もっと他に方法があるんじゃなかろうかということも含めて、少し皆さんの御意見を頂きたい。発題いただいたお二方から一言、今までの質疑を聞いたコメントをお願いします。
橋 爪
頭では理解ができるというのが正直な気持ちです。心底申し訳ない。尊厳に問題があるとは決して思っておりません。
竹 谷
今の岩木さんの提起は私も頭痛いんで、先ほど、私と繋がっていると言ったにもかかわらず、一方の人を僕は家に迎えて暮らすかというと、今のところ出来ないという、私自身も矛盾を持っている。だからといってそれ以上に炊き出しなんかでも、もっと飯を呉れとか、もっと食べたいというおじさんたちもいるけれど、その時僕は、それは名古屋市に言ってよ。我々にでなく。そうしか言えないんですよね。僕らに言っても限界があるから。社会全体の問題だと思うんですが。でもそれ待っているとなかなか。今日でも明日でも死んでいく人がいますからね。そういう人一人でも生き残るように、自分が出来ることは何かと、皆さんと一緒に考えたいと思います。
野 村
有り難うございます。(5分間休憩)
H 氏
哀れみの気持ちでやっているならば私は傲慢だと思う。
I 氏
町の中でも片付けて綺麗な所にしては。そんなに汚れることも無いと思うし、地域の方が敵意を持たないで、清掃する事も地域の方が参加されると町も綺麗になるし、それで一遍行ってみて下さい。それで直接今は市では、ずっと前から路上にいらっしゃる方に・・・昔の方と違って今は、普通の気持ちで市民としてこういう場所がありますから、聞いて助けてあげたい。
J 氏
ちょっとすみません。私も炊き出しの会ではカンパもしますし、それからそちらもやっているんですけど、直接やはり毎日の行き帰りに出会う方達に対して、自分が炊き出しの会で、あるいは越冬のところへというものと違って、毎日の日常の中で私は毎日ホームレスの方に出会っているわけです。その方に何かこう関わりも持ちたいし、よくお茶を飲むお店の前に、いつも同じ服を来た方が立ってみえます。行き交う人をご覧になって見えます。その目を見るとやはり自分が何が出来るだろうかと考えてのさっきの発言なんですが。先ほどお寺に見えた方と私は立場が逆で、何か出来ないことが苦しいんです。苦しいといえば言葉が綺麗過ぎますが。どうやって関われるか。関われないんですよ。だからやっぱり冷たい視線になっているんでしょうね。ホームレスの方から見れば。やっぱり蔑んだ冷たい目の一市民にしか見えないんだろうなと思います。
K 氏
私は一度、お金を下さいと言われたことはあります。で、私は貧乏だったからお財布を見せて、私もお金が必要だから、百円玉か五百円玉しかなかったし、欲しいと言われたら、沢山持っていたら上げられれば良いと思うんですが。何も知らないでそこに立つているんであれば、それはそのままでいいんじゃないかと思うんですね。私もそういう思いを何度もします、栄で。炊き出しに出ていた時に、炊き出しで私は皆さんに配っていたもんですから、お顔が分かるわけですね。そうすると昼間私が仕事終わった後で会っても、ぱっと行かれることもあるし、躊躇します。向こうも知らずに歩いているものだから、それはそれでいいんじゃないかと思うんですね。お互いにそのままでいいんじゃないかと思うんですね。で、罪の意識とかそういう思いはなくっても、それはそのまま流していっていいんじゃないかと思うんですね。私がずっと思っていることは、私は取り敢えずはクリスチャンです。このことは教会それぞれの方たちがどう考えていらっしゃるか分からないんですが、教会とかいま此処に初めて参加して、お寺のお坊さんがいらっしゃるということが初めて分かったんですが、大きなお寺があって境内が空いていて、仏間が沢山あるのに、何故ちょっと泊めてあげるということができないのかな、というのが私の思っていることです。それは勿論、信者さんのいろんな事情があると思いますが。名古屋市にいろんなことをしていかなくちゃいけないということを分かっているけれども、そういうことがあって、考えてもいいんじゃないか。
飯 田
皆さん支援団体が本当に付き合ってほしいです。金を与えるより、金の有り難さを教えて欲しい。汚いなら汚い、悪いやつは悪い、それもはっきりしてほしいんですね。遠慮しなくて悪い奴は悪い、良い奴はいい、我々も本当のこと言われると腹立つんですよ。皆さんも同じだと思うんですね。だけどそこに真実と、僕らが良いか悪いか自分たち持ってますし、それを絶対に・・するのが差別のない本道だと思うんですね。
野 村
有り難うございます。別に、日雇労働者、ホームレスの人が酒飲んで絡んでくる奴は誰だって厭なんで。
M 氏
私、中村区の教会に住んでいる者なんですが、その付近に競輪場がございまして、ひとりふたり、お金なんとかならないかという方がいらっしゃる。そういうこと専業としておられる方、割と多いんですね。そういうことから、なるべくホームレスの問題とは切り離して考えるのがいいと思うんです。前、夜回りやっていたことがあるんですが、名古屋駅中心にやっていて、その顔馴染みになった方で、お金を貸した。一件だけです。ほかは巧妙な寸借詐欺を専業とされているか、他が圧倒的に多いんですね。それをホームレスと結びつけて行くのはおかしい。そこは分けて考えた方が良いかも知れません。
野 村
有り難うございます。
竹 谷
つい一か月前、私インドへ行ってきたんですが、日本とインドと全然違うと思いますが、私が行った時、路上生活者が沢山いました。特に日本と違って、ファミリーですね。乳飲み子がいたりとか、じいちゃん、ばあちゃんがいてる。そういう家族が路上で生活してる方が数え切れないほど居る。その中で物乞いする人沢山居ます。僕も何回か町を歩くと、その度に頂戴、頂戴と来る。乳飲み子を抱いた若いお母さんが赤ちゃんに何かやってくれという。それがしょっちゅうなんですね。僕は旅行者だったから小銭も少しあったので与えていたが、向こうの人はどうするかというと、切りが無いので放っていますね。町中そういう方が沢山いますから、少しのお金を上げても切りが無いし、また、路上生活をしている人は私が泊まった修道院の門前にもいるわけですね。修道院が門前に寝ている人を追い出すかというと、そういうわけでもないし、そこにいても当たり前というか、しょうがないんだ、積極的に何かするかというと、教会なんかは路上生活者の子どもたちの託児所とか、お母さん達にちょっとした技術を教えるとか、そういったことで援助している。気の毒だから与えるということではなかった。日本でも同じだと思うんですね。その場しのぎのことは必要なこともあるんだけれど、根本的に野宿をしなくて、家をもって仕事が得られるとか、休める場所が出来るように応援して行くことが大事じゃないかと思います。
野 村
有り難うございます。さっきの飯田さんの話で悪い奴は悪いし良い奴はいいし、つまり何と言うんですかね、お互い人間だというところに立てば、友達でもそうですが、そういう関わりを持てるか持てないかで、結構付き合いの深さみたいなのが測られる部分があるんじゃないかな。そういう意味で良いことは良い、悪いことは悪い、そういう関わりが作れない。こういう問題が我々の中にもあるんじゃないかという気がしますね。ですから行政に働きかけていく時に、どこか他人事みたいな感じがどうしても拭い去れない。自分の家の中に入って来なければいいやという程度の関わりしか出来ないんじゃないか。我々自身のメンタリティ、気持ちの部分を含めてどないしょうか、これから。このままでいい筈はないんで。多分、失業者どんどん増えてくると思う。恐らく行政が今、ほとんど対応仕切れない。その中で、じゃこのままでいいのか。我々自身は放って置くのか、ということも含めて、これからどうしようかというあたりの話を提案とか、どうでしょうか。
N 氏
最初にお断りしておきます。全然展望のない話をしますので。僕はずっと在日外国人の問題に関わってきて、今日のお話を聞いている中で随分、共通しているところが沢山あるなと聞いていて、やはり、今後どうして行くのかという個人のレベルの問題が一つと、もう一つは行政とどう向き合っていくのか、この二つの側面があると思うんですね。で、取り敢えず行政とどう向き合っていくのかということを考えた場合に、「林訴訟」の行方なんですね。第一審、僕も何回か傍聴に行きましたけれど、県庁の窓口の役人は滅茶苦茶ひどいこと言ってる。それがそのまま罷り通っていて、第一審は取り敢えず勝ったけれど、在日が。外国人問題で多くの場合一審は勝つんだけれど二審は大抵負けちゃう。そういう中で、林訴訟で、現行法どうなんでしょう。それから裁判そのものをどう考えていったらいいか。裁判の見通しとその中で何を考えていったらいいのか。僕も名古屋市といろいろ交渉する事あるんですが、外国人でいいますと名古屋市の場合、総合的な窓口がないんです。個々の部局に行けという。それで対応してますと。これについてはこれがあります、これはここでやってます、ですから名古屋市の対応は充分です。総合的な窓口をつくるということを要求してるんですが、全然どこにもっていかない。で、今日も総合的窓口云々が出たんですが、それについてのここの取り組みとか、展望とか、これは行政との話し合いの中で総合的な窓口つくるのが重要だと僕は思っているんですね。
野 村
先ず、林訴訟についてと、名古屋市の総合窓口の展望ですね。
O 氏
こちらが敗訴した控訴審の判決であってさえも、判決文の中に一言も林さん住所がなかったから、住居がなかったから生活保護が受けれない、それはそれでいいんだとは書いてない。また、失業が理由の生活保護も認められないとも書いてない。だから言うならば、敗訴であってもそういったラインが退いたわけではない。林訴訟の控訴審の敗訴によって、全ての道が閉ざされてしまったのではない、というのが展望だと思うんです。今、最高裁に上告中です。なので今後失業ということを証明するために、どのぐらい仕事が無ければ生活に困窮してるのですねということになるのか。実際診療所の最近のケースでは、一か月間こんをつめて探しまくって無いよということになれば、植田寮で生活保護受けている人がいるんですね。福祉事務所は何らかの他の理由つけてるのかも知れませんが、事実、失業が理由で生活保護受けているわけで。
竹 谷
私いつも請願をするとき、名古屋市は紹介議員というのが必要なんですね。紹介議員も、なかなか、選挙に響くものですから、あまりホームレスのことばかりやっていると、市民から批判されて選挙の時投票されなくなる。そういう恐れがあるので、紹介議員の方もよくやってくれるんだが、なかなか引き受けてくれないので、請願するにも窓口がないと。民政局でもそうです。話し合いをしましょうといっても、今のところしてくれないですね。民政局の言い分は、炊き出しやってる連中は、超過激派だと、極左集団だと、極左暴力集団だとレッテルがすっかり彼らの頭に入っちゃってる。だから彼らと話すと怖いと、一切拒否され続けています。それを何とか打破したいと思うんですが。今のところ手段がない。
P 氏
最近感じるんですが、外国人に対する・・・、そのグループで知恵を出し合いまして、情報公開制度を使って行政の実態を問い糺すことを始めたんです。そうしますとこれは結構ゆさぶりになりまして、彼ら自分の手許にある資料を具体的に指定されると出さざるを得ないわけですね。この情報公開制度をもっと積極的に利用できるのではないか。例えば冒険砦ですが、あれ何百人か警官がやってきたんですが、あの費用はどこから払われているのか、そういう事柄に対して逐一情報を求める。彼らの資料を見ながら行政の在りようについての判断をこちら側がすればいいし、出さないというなら裁判できるわけですし、公の話し合いの場所に引きずり出す。それも一つの方法ではないかと思います。
Q 氏
ところでどうしてお寺がオープンにせんのか。結論だけ言いますと、日本の仏教は九九%死んでいます。この場に何人の僧侶が来てるか。それ見れば分かると思います。極簡単に言いますと、名古屋教区、三河除きました尾張なんですが、真宗大谷派の住職の免許持った僧侶は八百人以上いるんですね。そこから考えても、ほとんど死んでしまっています。
野 村
同じ様なものだな。質問が幾つか来ているので、仕事がある時はどんな仕事をしているのですか。
R 氏
今仕事が有るか無いかは物凄くナンセンスになってるんですね。機械が我々の手許から仕事をできなくした。だから本当にとんでもない仕事やらされてんだ、機械で出来ないと体で動いているんだということね。機械が入れないようなところ必死になって這い上がってガラ出しとか、機械の入れない、それからいろんな種類、土木、保安それから清掃からいろんな種目ありますが、ほとんどが就けなくなっっている。だから人材のいる仕事を何とかして欲しいと思っているんですが。ビル造るにも今あっという間に作っちゃう。我々の仕事が全然無いんです。鉄筋はそういう仕事が全然無いんだ。
野 村
有り難うございました。もう一つ、住所不定、身元も分からないとき、雇用形態とはどういうものですか。
S 氏
皆さん日雇労働者は本当に悪いと思っているんですね。搾取があるから悪いんだ、だから人間的な側面なら一番いいんですね。働く賃金貰えて、やっただけの金貰って、あくせくしなくてもそれで食べていけるなら、僕らの日雇いはベストな仕事だと思うんです。縛り付けられることもなく、ちゃんとした保障があり・・あらゆるものから搾取されているからこの結果があるという事を分かって欲しいんです。
野 村
もう一つ、公園・路上などで、野宿しなくても済むような名古屋市にするにはどうすればいいと思いますか。
松 本
どういう場でもそうだと思うんですが、議論の展開の仕方が対立軸を中心に動いて行く。これが不幸なんですね。ホームレスの問題もそうなのね。あんな怠け者のためになんで私が税金払わないかん、自分が好きでやってんだからええが。ホームレスに無理解な人はみんなそう思ってるという意味じゃない。僕は対立軸を中心に展開させるんじゃなくて、共通軸を求めていく、それが司会者が言ったように、全体で分かち合えるようなテーマ、これに立つべきだ。例えばホームレスの当該者自身、彼らが野宿しているのは多くは公の所・路上であるとか、ビルの谷間・公園、要するに主管は行政。あるいは橋の下だったら建設省。橋爪さんがおっしゃっているように地域住民。ホームレスの周辺は私たち含めて圧倒的に地域住民です。それからその問題に関わっているボランティアの人々。大きく分けてこの四者だとすると、この四者が対立軸を中心になんぼ話しても、これは展望ないと思うんですよ。そうじゃなくて、この四者が共通して立てるテーマ、これを僕は先ほど言ったように、共通のテーブルにつけるテーマではないか。そういった合意を形成していく中で、展望が開けるように思うんです。
先ほど質問のあった総合対策について触れたいと思いますが、東京、神奈川、大阪でその対策やってるというのは、そこの地域住民、労働者の闘いとか、行政の人達が努力してやったんじゃないですね。そういう闘いを確かにやりましたけど、何がきっかけになってああいう総合対策になったかというと、放置していた結果、暴動になった。そして総合対策やらなければ、駄目だという風になった。暴動という形で展望が開ける。できれば一番目に言った、共通項の中で理解していく中でやっていくのが望ましい。
野 村
共通項の理解を得るのが難しい場合は暴動を起こす。歴史の必然ですね。(笑い)ということではないみたいですが。
松 本
暴動を通してしか得ることが出来なかったという今までの歴史がある。だが現実はそうではなくて、地域の人達、自治体の人たちみんなでそういうことを考えていく土俵がいるということではないかと思う。それをどう作っていくかが課題として残された。
T 氏
松本さんの話を聞いて思ったんですが、地域住民は知らないですね。気持ちだとか、ホームレスになってしまっている実態を知らない人ばかりだと言ってもいいくらいだと思う。やはり語り合う場、怠けてこういう状態にあるんじゃないということが分かったら、そこから地域住民がそれでも排斥にはならないと思う。知らなさ過ぎる状態だと思うんです。私、学校の教員なんですけれども、教員は差別の実態を知りません。私は今回の人権週間の講師さんに、学校の中でやるんじゃなくて、外からお呼びして、とにかく実態を知ろうじゃないかということで、今回は子どもの虐待ということで虐待について外部の講師を呼んで知ることから始めようという取り組みをしているんですが、ホームレス問題もやはり知ることが先決だから、地域住民との対話の場を設けるべきではないかと思うんですが。そういう話の出来る町内会はないんでしょうか。ホームレスの人をいっぱい持つている公園の学校なり、町内会に働きかけることは是非すべきだと思います。
竹 谷
実は今回のシンポジウムを企画した時に地域の住民を入れてしようという案があって、大須の商店街に行って会長さんに話をしてこようという段取りだったんですが、私が怠けましてやらなかったんです。でも懸案として地域懇談会のようなものをやっていこうと言うことは考えているところです。
U 氏
私一昨年紹介して頂いて十名ばかり、蟹江町の者ですが、無責任にも十名ばかりに来て頂いたんです。実際一緒にお説教聞いてもらったり、話し合いしたんです。それまでは好きでホームレスしてる、拘束されるのがイヤだから、自由がいいんだからと考えていたのが、それなりに新聞読んだり、冒険砦とか深く見て頂く機会ができたと思って居ます。ほんの数%でしかありませんが、そういう努力が地域で必要だなと思います。それと先ほどの九九%、私が一%とは思って居ませんが、これも飯田さんに頼まれて三、四年前、公園で亡くなった方の供養としてのお経を上げさせて頂いたんですが、その時はある程度ホームレスの仲間も集まって頂いて、お経上げたりして仏教的な形で供養したことが二、三度あるんですが、そういう仲間意識がどうして生まれてこないのか、もう少し知りたいということで皆さんとお付き合いしてるんですが。なかなか見えて来ない。ですから地域と仲間同士の問題にもう少し踏み込んでいきたい。
野 村
教会もお寺も九九%の可能性があると受け止めていかないと。すみません。司会が不行き届きで時間が四時には出なくちゃいけない。ただし最後に一つ展望が出されたと思います。地域の人と話しをしていく場をこれからも作っていこうじゃないか。これは私たち今まである意味では欠けていた面だと思います。これを是非やっていきたいと思いますし、皆さんのご協力も得たいと思いますので。橋爪さん、こういう場で本音を言うのは結構勇気の要ることだと思うんですよ。敢えてそれを受けて頂いたことを特に感謝したい。
関 谷
診療所がさっきの市民の方に知ってもらう機会という形で、年末年始に越冬活動があるんですが、オリエンテーションセミナーということで、指さし真講座6回目になりますが、これ回して下さい。十二月十四日の午後、ノリタケコミュニティセンターでよろしかったら是非いらっしゃって下さい。笹島診療所が入っている笹島労働会館で出しているものです。
総合司会
皆さん、今日は長い間有り難うございました。十二月の土曜日という忙しい時間に、これだけ皆さん集まって熱心に話し合って下さり本当に有り難いと思います。今度の冬で二十三回の越冬活動になります。皆さんの心をカンパという形で表して頂ければ有り難いと思います。第二回があったらいいなと思いますが、皆さん如何ですか。では二回目も準備していきたいと思います。本日は長いこと有り難うございました。
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