「憲法9条と人間のわざとしての戦争」

猪瀬俊雄


 今日、お話ししようと思っているのは、主に3点です。1つめは、ポツダム宣言に始まる憲法9条の成立のいきさつ等を具体的に検討して9条が集団的自衛権を許す余地のない規定であることを明らかにすること、これは、同時に「押しつけられた憲法論」がいかにためにする言いがかりかを明らかにすると思います。2つめは、安倍政権が憲法の明文に逆らい基本的人権、民主主義、平和主義に反する不遜な言動を重ねてきた考え方の基盤についてです。安倍政権の実体は何かということです。3つめは、私たちはどう対応していけばよいかについてです。私が所属するカトリック高蔵寺教会で「大人の日曜学校」と名付けて勉強し話し合ってきたことを踏まえてのものです。

 なお、タイトルは、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の有名な広島・平和アピール「戦争は人間のしわざです。人間の命の破壊です。死です。過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。…」から借用しました。

1 日本国憲法成立の経緯
 (1) 昭和20年8月14日受諾のポツダム宣言は、第6項「吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるをもって日本国民を欺瞞して之をして世界制服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず。」

   第7項「右の如き新秩序が建設せられかつ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確認あるに至るまで連合国が日本領域内の画地を占領する。」

   第10項「日本国政府は日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし。」

   第12項「日本国民の自由に表明せる意見に従い、平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし。」

 (2) 昭和20年7月27日、連合国は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏を勧告し、同年8月10日、我が政府は、「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す。」と申し入れた。

   連合国は、同月11日付で「降伏のときより天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のため必要と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれること」、「最終的の日本国の政治の形態は、ポツダム宣言に随い、日本国民の自由に表明する意思により決定せらるべきこと」を言明した。

 (3) 昭和20年10月、占領軍総司令部(GHQ)が自由で民主的な新憲法の制定を促したことを受け、幣原内閣の国務大臣松本烝治を主任とする憲法問題調査委員会の憲法改正方針に関する松本国務大臣の同年12月の国会答弁では、次の4原則を明示。@天皇が統治権を総覧し給うとする大原則には何らの変更を加えないこと。A協賛、承諾等議会の議決を要する事項を拡充すること。B国務大臣の輔弼責任は国務の全般に亘るとともに、国務大臣は議会に対して責任を負うものとすること。C人民の権利・自由に対する保護・確保を強化するとともに、人民の権利・自由に対する侵害についてはいかなる場合にも救済を十分ならしめること。

 (4) この情勢を受け、民間からも次々と、進歩的な憲法改正要綱や改正案が発表され、特に天皇制をめぐる議論が高まっていった。

 (5) 昭和21年2月1日、松本委員会の「憲法改正の要旨」及び「政府起草の憲法改正に対する一般的説明」の2文書が非公式に最高司令官に提出されたが、最高司令官は、「日本における民政の機構について」調査研究を担当する民政局の局長に一旦は拒否回答と同時に詳細な理由を付すことを命じたが、その命令を変更し「改正憲法作成の新たな努力における指針として」の草案作りを命じた。その際、最高司令官は、民政局に完全な自由裁量を認めながらも,草案に次の重要な3点を入れたいと伝えた。1点は、「天皇は国家の元首の地位にある。天皇の義務及び権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対して責任を負う。」、第2点は、「国の主権の発動として行う戦争は禁止する。日本は、国家の紛争を解決する手段としての戦争、及び自己の安全を保持するための手段としてのそれをも、放棄する。」、第3点は、「日本の封建制度は廃止される」。そして、民政局が作成した草案は、2月13日、吉田茂外務大臣、松本国務大臣等に手交され、民政局担当官と数次の交渉の結果、上記コの方針に従って改正草案を準備中であるとの予測を裏切り、昭和21年3月、先の方針を変更しわずかな修正を加えて政府案として発表したのが「憲法改正草案要綱」です。

 (6) 民政局案を土台に修正を加えた政府作成の草案要綱は、マスコミ、世論調査等で圧倒的支持(自由党は、「天皇は統治権の総覧者なり。」との案であったのに、原則一致しているとして賛成している。)。枢密院の承認を得た上、同年4月の衆議院普通選挙で選出された議員で構成された衆議院の議決を経て貴族院の審議、可決。枢密院の承認を得て成立。審議期間3ヶ月半。二院制、生存権規定、前文の国民主権の明言、後記9条1,2項の文言の修正などが重要な修正点です。

 (7) ところで、政府案が突然に一変したのはどうしてだろうか。これを解く鍵が幣原・マッカーサー会談とこれと歩調を合わせた天皇の人間宣言です。

@ 昭和21年1月1日、昭和天皇の新日本建設に関する詔勅(天皇の人間宣言)「明治天皇明治ノ初国是トシテ下シ給ヘリ」に始まり,続いて「1 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」云々の五箇条の御誓文へと続くものであり、人間宣言は文末近くの三行のみである。…海外からの天皇の戦争責任追及に対応するものといわれています。

A 昭和21年1月24日、幣原・マッカーサーの3時間に及ぶ通訳も交えない二人だけの会談において、現行憲法に直接つながる内容の戦争放棄条項が幣原総理から提案された。この会談を裏付ける史料は次のとおりです。

 @)幣原首相側近の元衆議院議員平野三郎氏が幣原氏急逝(昭和26年3月1日)の10日余り前にその間の事情を幣原氏から聴取したメモ(国会図書館内の憲法調査会資料):僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第9条のようなことを日本側から言い出すようなことはできるものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つが密接に絡み合っていた。…幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちを持っていた。本国からもその線の命令があった。…所が豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示していた。これらの国は、日本が再軍備したら大変であると日本を極度に恐れていた。彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分ともいうべき関係であった。これらの国のソ連への同調によって、対日理事会の表決ではアメリカは孤立する恐れがあった。この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

  この構想は天皇制を存続すると共に第9条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが。…元来天皇は権力の座になかったのであり、…世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。…日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、…この考えは僕だけのものではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることはできなかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳である。…そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心した。…僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まったわけだ。

A)同様の経緯が幣原首相が首相辞任の直前に学生時代からの友人枢密顧問官大平駒槌に語った内容を大平の娘羽室三千子が記録していた「羽室メモ」にも記されている(青山法学論集40ク、45−118,1998.07)。:「世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争は起こさないということをはっきりと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道ではなかろうかというようなことを話して、二人で多いに共鳴した。」

B)1951(昭和26)5月5日、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会におけるマッカーサーの証言記録:「戦争放棄は日本人の発案である」と主張し、「日本人は、世界中のどこの国民にもまして原子戦争がどんなものだか諒解しています。…彼らは自分の意見でその憲法の中に戦争放棄の条項を書き込みました。首相が私のところにきて『私は長い間考えた末、信じるに至りました』といいました。彼は極めて賢明な老人でした。…『この問題に対する唯一の解決策は戦争をなくすることだと信じます。』といったのです。さらにこういいました。『軍人としてのあなたはこれを受け入れないと思います。しかし、私は今我々が起草中の憲法にこのような条項を挿入するように努力したいと思います。』そこで、私は立ち上がってこの老人と握手し、彼に向かい、それこそはおそらく講じうる最も偉大な建設的措置の一つだと考えると言わないではいられませんでした。」

C)マッカーサー大戦回顧録(中央公論新社・2003):(幣原首相が「米国の本当の敵はロシアでも共産主義でもなく、彼らの敵も米国でも資本主義でもありません。世界の共通の敵は戦争それ自体です。」と日本が自主的に戦争放棄をすべき理由を説いたのに対し)『私(マッカーサー)は腰が抜けるほど驚いた。息も止まらんばかりだった。戦争を国際間の紛争解決の手段として時代遅れとして廃止することは、私が長年情熱を傾けてきた夢だったからである。』

 (8) 米国は、国民の自由意思に基づくべきとの原則を定めていたのに、本国に無断で民政局案が提示されたとの情報に接して驚き、トルーマン大統領は、急遽政治学者ケネス・コールグローブを派遣した。その報告書ではかなりの水準の案であり、これを基礎として進めることも合理的と考えるとの意見でした(日本国憲法誕生・岩波現代文庫)。

 (9) 現行憲法の公布(昭和21年11月3日)の翌年昭和22年1月3日、マッカーサーは、その上位機関として置かれた極東委員会の命を受けて、総理大臣吉田茂に対して連合国の決定に基づき次のような書簡を送付。「昨年1年間の日本における政治的発展を考慮に入れ、新憲法の現実の運用から得た経験に照らして、日本人民がそれに再検討を加え、審査し、必要と考えるならば改正する、全面的にして永続的な自由を保障するために、施行後の初年(1948年)と第二年度(1949年)の間で、憲法は日本の人民並びに国会の正式な審査に再度付されるべきであることを決定した。」その理由としては、「連合国は憲法が日本人民の自由にして熟慮された意思の表明であることに将来疑念が持たれてはならないと考える。」からとしています。

 これに対し、吉田首相は、期限の年1949年の4月末の国会答弁で「政府においては、憲法改正の意思は目下のところ持っておりません。」と答弁している。 吉田茂や幣原喜重郎には、押しつけ憲法との主張は全くなく、この主張が初めて登場したのは昭和29年、自由党の憲法調査会(委員長岸信介)においてです。

 憲法制定議会の審議において、9条について、別紙添付の資料のとおり、日本国憲法政府草案までは大同小異で表現方法の違いといってもよいと思われるが、衆議院での審理において、政府原案の表現は、いかにも日本がやむなく戦争放棄するような自主性に乏しい印象を与えるので、もっと格調高い文章とすべきとの意見が支配し、さまざまな文案が出された。そこで、帝国憲法改正案小委員会の芦田均委員長がこれらの文案を調整してまとめたのが次の試案です。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認することを声明する。

 前項の目的を達するため国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決手段としては、永久にこれを放棄する。」

 この試案について、小委員会で議論した結果を、芦田委員長が調整したのがいわゆる芦田修正案であり、これが現行9条の文言である。この条項については、連合国側にも異論がなかったし、政府においても、実質的に内容を変更する修正とは考えていなかったようです。

 ところが、後日、「前項の目的を達するため」という一文をめぐって解釈上争いが起き、芦田均氏は、この修正は私の提案によるもので、「ここにいう目的とは国策追求の具としての戦争、国際紛争を解決する手段としての戦争を行うという目的をいう。その証拠は、自分の日記に記してあるし、国会に密封して保管してある速記録には全部記録されているはず」と述べ(毎日新聞1951年1月14日)、自衛戦力合憲論の論拠となったが、その後公刊された「芦田均日記」(岩波書店)及び戦後50年を迎えて公開された「秘密議事録」の芦田修正の理由は、彼の主張とは全く異なり「9条1項の『国際平和を希求し』を2項でも繰り返しを避けるためであったことが明らかになった。そうすると、9条2項は、本来、無条件に戦力不保持お交戦権不保持を定めるものであり、正当防衛としての自衛権のみ認められることは明らかです。これは、集団的自衛権どころか自衛隊の規模、機能について、合憲とされる限度を再検討すべき重大な事情でもあります。

 ツ なお、上記民政局案は、鈴木安蔵らの憲法研究会作成の憲法草案要綱を参考に憲法前文の国民主権、手厚い人権規定特に25条2項、象徴天皇制、17条の国家賠償請求権、40条の刑事補償が規定に盛り込まれており、特に生存権と象徴天皇制は憲法研究会の独自案でした。

 テ 上記経緯によれば、松本委員会が作成した「憲法改正草案要綱」がそれまでに公表してきた方針とは根本的に異なる象徴天皇と平和主義を突然に採用したのは、天皇の人間宣言及びこれと軌を一にする幣原・マッカーサー会談の結果によると認めるのが自然です。

 このことは、押しつけられた憲法という主張も否定するものですが、この主張の本音は何でしょうか。押しつけられ、強制されたために受け入れざるを得なかった内容の憲法であり、それ故に改正しなければならない本質的問題があるということでしょう。憲法の三原則といわれているどのか所でしょうか。国民主権か、基本的人権か。平和主義か。基本的人権を謳わない憲法はないでしょうし、基本的人権の不可侵性という考え方は、当然に国民主権も基本原理とするでしょうから、天皇制と平和主義、もっといえば、侵略戦争とその敗戦の結果を否定したいとの思いを秘めたものではないでしょうか。

 前記幣原首相の「世界の信用をなくした日本にとって、二度と戦争は起こさないということをはっきりと世界に声明することが、ただそれだけが敗戦国日本の信用を勝ち得る唯一の堂々の道」であるとして平和主義を提案したこと、芦田試案から修正案への経緯、憲法には戦争においては国際法が要求している宣戦布告に関する規定も戦地において軍の規律維持のために必要な軍事法廷の規定も置いていないこと、70年間、ほぼ3世代に亘り警察の補完組織である警察予備隊、保安隊、その後は専ら正当防衛的な国防を任務とする戦力に至らない実力に止まるとする自衛隊が許される限度一杯とされ(それでも自衛隊の存在が数多くの訴訟で争われてきた。恵庭事件、長沼事件、砂川事件)、軍隊を所持してこなかったことからも日本国及び国民の選択は明らかでしょう。

2 集団的自衛権行使を認める解釈改憲
 ク 安倍内閣は、2014年7月1日、集団的自衛権行使を認めた「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」という閣議決定をしました。この閣議決定は、誰が見ても、憲法9条1,2項の明文に反するものであり、前記憲法制定の経緯等も明らかにそれを裏付けています。したがって、憲法に違反する事実上の解釈改憲であり、立憲主義、法治主義に反して内閣を法、憲法及び国民主権の上に置く行為であり、内閣による一種のクーデターです。

 なお、憲法99条は、国務大臣、国会議員等の公務員の憲法尊重、擁護義務を定めています。内閣は、憲法その下の法規を真面目に忠実に執行すべき行政機関であり、憲法を変えるように提案する権限はありません(内閣法5条)。内閣には三権分立の行政を担当する(憲法その下の法を忠実に執行することを職務とする)役割からして憲法の批判権はありません。安倍内閣の前記行為は明白な憲法尊重・擁護義務違反です。

 ケ 安倍内閣が掲げる旗印は、「積極的平和主義」ですが、言葉の上だけの平和 で、集団的自衛権を口実にした「軍事主義」です。自分らに全面的に賛成しない者には敵意をむき出しにして対決しようとする姿勢からもポツダム宣言にいう軍国主義そのものです。

 コ 私は、この問題についての安倍政権の本当の論拠は、次のような理屈によっていると考えています。すなわち、正当防衛を根拠とする個別的自衛権は当然に「必要最小限」の反撃しか許されません。この点を捉えて、安倍首相は、自民党の幹事長時代に衆議院予算委員会でこの「必要最小限」というのは、量的な問題であるから、最小限の中に多少の反撃を加える余地はあるでしょうし、それが集団的自衛権の行使である余地もある」のではないかと質問し、法制局長官からその見解を明確に否定された人です。物事を明確にする、識別することは、他と区別し、適用すべき原則の限界を画することであるのに、個別的自衛権の要件である「必要最小限」の反撃にはほんの僅かな集団的自衛権行使を潜り込ませる隙間ぐらいあるはずだというのが彼の理屈です。聞いたこともない奇妙な理解しがたい理屈です。しかも個別的自衛権と集団的自衛権は明らかに戦争の態様を異にするもので、攻撃の量だけの問題ではありません。自民、公明両党の安全保障法制の合意文書でも、日本の存立が脅かされる明白な危険と他に適当な手段がないとの2要件と共に「必要最小限度」の攻撃をその要件としているように彼らのキーワードは「必要最小限」です。この「必要最小限」と個別的自衛権の「必要最小限」とが同一なら、解釈変更の余地はないということですし、異なるというのなら、破綻した理屈です。

 裁判官としてかつて担当した恵庭事件では戦争の無限定性ということが論点の1つでした。戦争はどのように始まり、発展するか分かりません。準備する戦力にも限界はありません。戦争にあらかじめ確定できる「必要最小限」ということはありません。次いで「切れ目のない」「シームレス」という同様の発想の呪文で隙間を無制限に押し広げられるとも考えているようです。一部個別的自衛権の対象を含む紛れもない戦闘行為に該当する事例を充分な理論的吟味もせずに日本の存立が脅かされる明白な危険と他に適当な手段がないといういずれも抽象的な危機感を煽り、専ら感覚的に必要性を訴えようとした2要件に得意の「必要最小限」の要件を加え、この3要件に合いそうだとしてランダムに選択した15事例以外に積極的な合憲の理由を全く示していません。ただ、自民党や公明党の閣僚、幹部議員が平成15年6月4日の衆議院憲法審査会での憲法学者3名こぞっての安全保障関連法案は違憲との発言に対し、1959年の最高裁の砂川事件判決を合憲の論拠として反論している。しかし、この事件の争点は、米軍による日本の自衛権補完のための駐留は必要な自衛の措置内の行為として違憲ではないとしたものです。裁判所の違憲立法審査権は具体的な争訟事件について、対立当事者の争点についてのみ判断されるものですから、もともと当事者に問題意識もなかった集団的自衛権について判断されるはずもなく、政府が真面目に主張の柱として持ち出すこと自体首を傾げる程度のものです。もう1点、政府は、安全保障環境の変化に伴い、集団的自衛権行使についても変更の余地が生じ、政府の裁量権の範囲内で政策的選択をしたものであると説明している。しかしこれも全くいい加減な主張です。事情の変更により政策をよりバランスよく修正したり、より適正に内容豊かにする必要が生ずることはあり得ますが、憲法の明文で確定ししている基本原則に反する政策への転換理由にはなり得ません。事情変更の原則を明らかに誤解しています。まして行政権である政府の自由な裁量権の範囲内とすることは、立憲主義、法治主義、国民主権の原則に悖る違法行為です。法治主義、立憲主義から逸脱してしまっているといった方が分かり易いでしょう。法案の採決目前の段階において改めて安倍政権が合憲の理由を全く持たないまま強引に事を推し進めてきた実体が露わになったに過ぎません。

3 安倍政権の価値観・世界観
  安倍政権のこれまでの政策とその実行の手法を見ると、例えば、年2%のインフレ目標のアベノミクスを10年続ければ約22%のインフレという恐るべき結果になりますが、結果についての検証もその報告・説明もありません。原発事故を忘れ去ったように世界一厳しい規制基準と詭弁を弄する原発再開、被害補償の打ち切り、帰還促進政策、深刻な欠陥を抱えた秘密保護法の成立、消費税の増税とその使途、非正規労働者制の大幅緩和、時間外手当ゼロの労働法制、TPP交渉、米連邦議会での発言、空前の利益に沸く企業に減税する一方、国民には次々に徴収を強化し、給付を減ずる各種政策が目白押しです。内閣成立以来これまでの主要な政策について、そのエッセンスだけでも国民に、国会にきちんと分かるように説明したことはなく、自らの発言の矛盾、食言、論理矛盾にも全く平然として、内容を隠し、詭弁を弄してごまかし、民主主義を愚弄してきています。中心的旗印である「積極的平和主義」も、「積極的平和」という用語は、ノルウェーの平和研究者ヨハン・ガルトウングの創始した言葉で「単に戦争がない状態ではなく、更に貧困、抑圧、差別などの社会的な暴力のない、社会正義の状態が加わったもの」と把握するのが世界的な理解ですから、「積極的平和主義」は、悪意のある揶揄的使用でしょう。また、安倍首相は、国民は国家のために血を流すのがその責務と考えています。集団的自衛権の同盟は血の同盟といっています。これは、国家主義的、民族主義的価値観・世界観です。現在の国際社会は、安全保障を軍事面よりも国家の枠を越えて個々人の生活や厚生の増大、尊厳ある生き方を目指す視点から捉える「人間の安全保障」を重視しています。人間の存在そのものには国家や共同体との関係を越えた深さ、豊かさがあり、それを尊重し、奉仕する装置ないし道具的存在が国家であるとする考え方に基づくものです。国民主権によっても変えられない基本的人権に属する原則・規範があるとの考え方で、日本国憲法もこの原理に立っています。この人類の文化に背を向けて、米国の指示のままミサイル防衛体制等軍事のみに懸命な政権は、北朝鮮政権とそっくりです。このような政権は実に不気味です。

4 権利保障とよき統治
  憲法は、第4章以下に統治構造の規定を置いています。これらも憲法が保障する権利の制度化に奉仕すべきものであるとされていることは明らかです。ある種の権利は、国会の働きによる立法がなければ画餅に過ぎません。また、権利の侵害があったときは、裁判所が正しく機能して救済してくれなければ権利として役に立ちません。よき統治を持ち、これを維持するためには権力統御のための民主主義による市民の権利行使、すなわち、政治活動や、訴訟も含む権利行使が必要です。民主主義は、自分たちのことは自分たちで決める、それもみんなが知恵を出し合うことでよい結論に到達できるとする制度です。日本国憲法もそのような制度として構築されています。人任せにせず各自がきちんと権利行使することが何よりも大事です。最近の自民党の表現の自由の侵害に対しても個人としての権利行使だけではなく、関連した社会的集団への参加等の「社会過程への参加」、「国政への参加」までを視野に捉えた意志表示をして行くことが必要だと思います。そのように積極的な捉え方をするべきだと思います。請願等のための署名活動、デモ行進、その他表現の自由を駆使した活動、選挙での投票等積極的政治参加へ舵を切るべき、ぎりぎりの時期にきていると思います。

  いまや世界は、大国同士は勿論、一国挙げての総力戦の時代でさえなくなったといわれています。しかし、小規模紛争は絶えず、テロの国際化、大規模化、無人機等の非人道的武器使用等の問題、鳥インフルエンザ等の感染症、大気汚染、地球の気候変動、巨大地震等、人類が生き残るには、国際的協力が不可欠な時代です。知性に欠け、人類の文化の流れに逆らう安倍政権は、国民にとってだけではなく人類にとって危険な存在となりつつあると思います。彼らを相手に議論しても無益でしょう。あらゆる機会を捉えてその実体を暴き、ご退場願うしかないと確信しています。

  冒頭に触れた「大人の日曜学校」に参加されている前国連大学副学長で国際政治学者の武者小路公秀先生から体験談として、「スペイン領グラン・カナリア島のテルデ市で原爆犠牲者追悼のために建設した『広島・長崎広場』の中央にスペイン語で書かれた『日本国憲法9条』の文言が書かれた碑がありました。9条の理念を根付かせ非核、平和を築きたいとの思いを込めている。都市を非核地帯宣言し、NATO加盟に異議を唱えているとの説明を受けた」とのお話しを聴きました。憲法9条は力強いものなのです。その力を信じたいと思います。


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