「美しい若狭を守った小浜市民の皆様ありがとう」
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45年位ですが、原発を拒否し続けてきたのは。その中心にいた中嶌哲演師のお話で最も深く印象に残ったことを二つ記しておきます。
その一 反対運動の初期、とにかく勉強会をやろうと地元の皆が読んでいる新聞の原発関連の記事ばかりを集め、分類して勉強した。当時は専門の原発反対の資料はあまり出ていなかったので・・・・。(新聞頑張ったね。)このテキストで原発に対して絶対反対を決めたという。 私はこの話で一気に20年前に引き戻されたのです。 当時、岐阜県の御鷹町では巨大産業廃棄物処分場の計画が表面化していて、若いお母さんの不安感を掻き立てていました。そこから始まった勉強会で、「とにかく知ろう」と、しつこくしつこく、参加者は「いつも同じメンバーだね」と嘆きながら、何も分からなかった人達を色んな人が育ててくださいました。どのような問題も知ることから始まるのだと感じたことでした。 その二 中嶌哲演師から参考資料にいただいた一枚に、電力会社10社の核燃料の資産価値が499億、475億、1836億(東京電力など)とあって、「べらぼうめっ」と思わずつぶやきそうであった。「これって負の遺産だろう?」とびっくりである。生身の人間には耐え難い物が資産である。 以上、特に心に残ったことでした。 さて、中嶌哲演師の明通寺というお寺。 何と坂上田村麻呂の創建(806年)だそうで、国宝の三重塔前にはアテルイとモレの鎮魂の細長い木版が立っておりました。エミシのアテルイはヤマト政権に差し向けられた田村麻呂との戦に敗れ、801年北へ侵略した民とエミシとの共存を前提に殺さぬ約束の田村麻呂についてモレと共に京へ行きます。しかし、アテルイを恐れパニックになった京都の人々に殺されます。田村麻呂は、悔恨の念にかられて、平和な世を祈ってお寺を建てたのでしょうか。1000年を超えて語りかけてくるものがあるようです。本堂の仏様達にもお会いできて嬉しい旅でもありました。原発に反対し続けて下さった小浜の方々に感謝です。ちなみに、最後に訪れた原発の近くにあった水晶浜から冬に飛ばされた風船は、その日の内に御嵩町のさらに奥の八百津町にまで届くのですから、他人事ではありません。もちろん、愛知の人も、自分の問題なのです。
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