「カント『永遠平和のために』をめぐって」

三本木國喜 




 近代哲学の歴史に画期的な業績を残したカント(1724〜1804)は、謹厳実直の手本のように思われている。毎日決まった時間に散歩する姿を見て、町の人が「カント先生が散歩しているから、今何時何分だ」と時計の針を合わせていた、というエピソードが残っているほどである。彼の父親は地位も財産もない貧しい馬具職人で、息子を学者にするなどは夢のまた夢だったが、才能を見込んだ篤志家が学資を援助して、大学まで出させたという、苦学力行の人だった。根はユーモラスな性格で、冗談を言って笑ってばかりいたとも言われる。彼の哲学は『純粋理性批判』をはじめ「これぞ哲学なり!」の見本のような、実に硬いものだが、その哲学者カントが晩年『永遠平和のためにZem ewigen Frieden』という論文を発表した。書き出しは次のように始まる。

 「あるオランダの宿屋の看板に“永遠の平和(やすらぎ)亭”とあって、脇に墓地の絵が描かれていた。この本の標題も、同じく“永遠の平和”である。・・・・・・」これは一見冗談交じりのようだが、実は単なる冗談ではなく、「この本は危険思想として検閲当局に睨まれるかもしれない。その時の言い逃れのために」という、カントの配慮だった、という説もある。確かに中を読めば、戦争をしたがる権力者が仰天するような内容が並んでいる。第1章の見出しの項目を挙げてみると、1.将来の戦争を見越して結んだ平和条約は、平和条約ではない。それは敵対関係を引き延ばしただけである。2.独立している国を、別の国が引き継いだり交換したり買収したり贈与したりしてはならない。3.常備軍は一切廃止されるべきである。4.対外紛争のために国債を発行してはならない。5.いかなる国もよその国の体制や政治に武力でもって干渉してはならない。6.いかなる国も戦争中に、将来の和平に当たって相互の信頼を不可能にするようなことをしてはならない。暗殺、毒殺、背信、相手を無視、等々。続く第2章では、今の「国際連合」のような機関の必要性とその運用の仕方を説いている。これが220年前のガチガチ哲学者の「世界平和への提言」とは、驚くばかりである。一度これを集中講義して、吉田茂から安倍晋三まで、トルーマンからブッシュまで、歴代の首相や大統領によくよく教えてやりたいと思う。いや、頑迷固陋の政治家どもだけでなく、生まれつき賢明なわれわれも学び直す必要がある。 全体をレビューするのは、紙数が足りないので、一つだけ簡単に取り上げると、4.対外紛争のために国債を発行してはならない。 よくぞここに「国債」を持ってきた、とカントの慧眼に脱帽する。国の財政は税金が主な収入源であるが、それは取り立てに限度がある。「百姓は殺さぬよう、生かさぬよう」という支配者の鉄則があって、とことん搾りとっても、殺してしまっては元も子もなくなるから、最低限生かしておいて、明日も働かさなければならない。ところが国債は、ツケを十年二十年後に回せばいいので、権力者の欲しいままに今すぐ、いくらでも金ができる。彼らは「後は野となれ山となれ」主義だから、十年二十年後の財政危機などは、「オレの知ったことか」とうそぶいている。 悪名高いアベ君のやっていることは、これである。金の出所は、造幣局の印刷工場だから、1枚2円の印刷コストで、面白いように札束ができてくる。国債という空証文が日銀の門をくぐって何兆円という現ナマになる。その金が何に使われるかというと、アベ君が言う「国防軍の増強のため」である。さすがに財政の専門家である白川日銀総裁が「2%のインフレ目標という政策は無茶だ」と難色を示すと、たちまち首を切って、何でも言うことを聞く者を総裁の後釜に据える。2%を毎年繰り返すと、10年後には20%の物価高騰になるが、アベ君は2×10=20という計算問題ができない。その程度の知能指数だから、毎日20%もの家計の負担増が、庶民の生活をどれだけ苦しめるかなど、彼には「どこ吹く風」である。

 カントは220年前に、そういうことをしてはいけないと警告しているのである。
 カントが生まれ、育ち、生涯を(そこから一歩も出ることなく)すごした町ケーニヒスベルクは、当時東プロシアの東端、バルト海に面し、古来交易都市として栄えたところである。今はロシア領になり、カリーニングラードという名前になっている。

 そこでふと思いつくのは、「正義と平和委員会」の今年のプロジェクトの一つ、映画「カリーナの林檎」の巡回上映との関連である。

 カリーニングラードとは、正に「カリーナの町」という意味ではないか!とすると、あの映画の制作者は、「カント・永遠平和」を念頭において、それを下敷きにして、少女カリーナの運命を描いたということも考えられる。一度制作者に会ったら、そのことを聞いてみたいと思っているのである。

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