「フクシマを引き起こした歴史 福島原発事故から3年」
今や国民の8割が脱原発を求めているにもかかわらず、安部政権は再稼働、輸出を計画している。まるで、事故がなかったかのように、帰還できず不自由な暮らしを強いられている20万人の悲しみが聞こえないのでしょうか。「経済成長」だけを至上価値として追求する現政権に対し、「生命と人権尊重」への転換を声に上げる機会として、正義と平和委員会では昨年5月18日に「フクシマを引き起こした歴史」をテーマに学習会を開催した。講師は科学哲学専攻のドミニコ会司祭原田雅樹さんでした。 初めに、核エネルギーとは人間がコントロール不可能な莫大なエネルギーであり、手をつけるべきでない科学的問題であること、同時に処分法のない汚染物質を作り出していることの未来への責任はどうなのか、倫理的問題であると指摘された。まず、核爆弾の開発がナチスへの恐怖対抗手段として米国で急がれたこと、開発過程で、科学者自身からその使用が如何に人類に甚大な影響を与えるかとの提言がされるも、耳を貸さず、結局、戦争終結のためではなく、実験として広島・長崎に投下されたことを示された。 次に、戦後、核爆弾廃止運動の高まる中、ソ連に対し優位に立つため、米国は「核の平和利用推進」の声を挙げて隠れ蓑にして核兵器を開発し続けた。、日本は被爆国にもかかわらず、安保条約の下、「平和利用」の旗振り役を担わされ、夢のエネルギーと喧伝され経済成長の掛け声によって沖縄に米軍基地を押しつけたと同じく福島に原子力発電を、米国のものを丸ごと輸入し建設したこと。 更に、放射線の影響は初めは問題視されなかった。原爆投下後での調査内容が極秘にされたこと、実験のための兵士を安心させるため隠蔽されたこと、核開発の過程で許容基準が定められたように、それは、反対運動、忌避を起こさせないためのものでしかないことを話された。質疑応答の中で、核エネルギーの利用は「管理社会」にならざるを得ない(高木仁三郎)と指摘された。と言うのは、人間に制御できないから、権力者に従うしかない。また、同時に、刹那主義、つまり、今さえよければと問題を先送りする生き方になる。憲法改正による人権の制限もそこから出てくるのではと。核兵器保有のため原発を止めないのではないかと、また、経済成長のためには原発を動かす、と言う人間の在り方への疑問、等が出された。今回の学習会から、フクシマの原発事故は起こるべくして起きる歴史のあることを示されました。また、「今」を生きる私たちの未来への責任を教えられました。と言うことは、「今」をよく分析、識別し判断することを怠けるならば、再び、大事故、大災害に繋がることを。「今」を生きる者の責任を痛感させられた。 |