ももちゃんの一分間説教

今週の一句
「 配達中 炬燵恋しい 時雨かな 」
―もとゐ―


1999年11月28日()待降節第一主日 マルコ 13:33〜37


13:33
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
13:34
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
13:35
だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
13:36
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
13:37
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

 教会の一年は今日から始まる教会にとって新しい年とは何の意味があるのだろうかまた教会はキリスト生誕2,000年祭と喧伝しているが私たちはどう受けとったらいいのだろうか
 イエスは「今」を時の満ちた決定的カイロスとし神のもとに生きたイエスは思い煩うことなく隣人になり続けた神が配慮されることを疑わなかったからであるしかしイエスを信じた教会は大いに思い煩っている2,000年後の今日もどうしたら信徒や司祭を増やせるだろうか建物を維持するにはどうしたらいいか青少年を来させるにはどうしたらよいか
 イエスは言う「惑わされないように」「気をつけていなさい」「信じてはならない」「目を覚ましていなさい」(マルコ 13章参照)
 教勢拡大豪華な新教会堂の建築組織・事業の維持という声に惑わされず私たちはイエスが無一物となって生命すら捨てて「良きサマリア人」になったことにだけ目を覚まさなければならないのである
 「今」私たちが隣人に成るなら飢え貧困暴力は減少するだろう新しい年が明ける私たちの「今」がやって来る神に立ち返りイエスに従う「今」が

今週の一句
「 小春日や 野宿者たちの 笑み踊る 」
―もとゐ―


1999年11月21日()王たるキリスト マタイ 25:31〜46


25:31
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
25:32
そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
25:33
羊を右に、山羊を左に置く。
25:34
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36
裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25:37
すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25:38
いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25:39
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
25:41
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
25:42
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
25:43
旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
25:44
すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
25:46
こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 人生を預けられた私たちは主なる神から決算を求められるのです
 「時は満ちた」と私たちはイエスに目を留められ呼びかけられましたそれ以来私たちの人生は所有するのではなく分かち合う人生へと招かれたのですそれはイエスがふさわしくないのにもかかわらず私たちを生命を与えるまで愛し尽くされたからです
 しかし教会はイエスの真理を独占「所有」し教会を唯一絶対の真理として異教徒を弾圧し自己を与えるのではなく巨大な富と力を得民衆から離れた宗教団体となったのでした他方イエスに帰れとの運動が起こりフランシスコや宗教改革第二ヴァチカン公会議解放の神学となった教会の主流ではない
 私たちはイエスのゆるしのみ求めて自己の犠牲奉仕十字架を避けているのです毎週日曜日のミサにおいて神の憐れみをいただくことでその信仰を果たしていると思っているのですそのような個人的信仰は世界の悲惨飢え暴力差別人権侵害環境破壊には目を向けずただただ個人の力不足に嘆くだけです
 現代日本に生きるキリストにある私たちは目を覚ますべきです個人の幸福は他者の幸福世界の救いがあって初めてあり得るのだとイエスの十字架にこそ救いがあるのだと
 さあイエスの呼びかけに応え生命と人権を奪われている人々の傍らに立ちましょう

今週の一句
「 冬立ちぬ ライトを灯す 霧の朝 」
―もとゐ―


1999年11月14日()年間第33主日 マタイ 25:14〜30


25:14
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
25:15
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
25:16
五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
25:17
同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
25:18
しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
25:19
さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
25:20
まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
25:21
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:22
次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
25:23
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:24
ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25:25
恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
25:26
主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
25:27
それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
25:28
さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
25:29
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
25:30
この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

 「今ここ」に生かされている私たちは「今ここ」に苦難にある人々の隣人に成るようイエスから招かれたいます
 主なる神は私たちに多くの物を「預けられ」ましたすなわち生命他者地球等々を守るためですそれは私たち人間の生きる意味であり目的です「産めよ増えよ地に満ちて地を従わせよ海の魚空の鳥地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(創 1:28)しかしながら私たちは私利私欲の追求によりそれらのものを破壊し続けているのです
 11月12日天皇即位10周年が「国民」によって盛大に祝われたまるで戦前に回帰したかのようです新ガイドライン法国旗・国歌法盗聴法組織犯罪法等の成立は再び戦争の道を歩んでいるかのようです
 私たちが「預けられた」ものを守る責任を取らないならば主なる神は私たちを「暗闇に追い出」(マタイ 25:30)すでしょう
 神は私たちに無理なことを要求しているのではありません「それぞれの力に応じて」(マタイ 25:15)預けられているのです
 さあ私たちはこの恵みに応えイエス信じて「今ここ」に生命を守る働きに参加しましょう

今週の一句
「 巻雲や 書き跡残る 秋の朝 」
―もとゐ―


1999年11月7日()年間第32主日 マタイ 25:1〜13


25:1
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
25:2
そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3
愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
25:4
賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
25:5
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
25:6
真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:7
そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
25:8
愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
25:9
賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
25:10
愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
25:11
その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
25:12
しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
25:13
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 イエスが仕えられたようにわたしたちは困難にある人々と歩むように呼びかけられています
 イエスは「神の国が近づいた」といって今を「決定的今(カイロス)」として生きました「今(カイロス)」神の救いが実現したと病人に近づき手を置き貧しい人たちとは食べ物を分かち合いました
 「目を覚ましていなさい」(マタイ 25:13)私たちは今をマンネリに続くかのようにぼんやり生きていると小淵政権のように「介護保健制度」を台なしにする政策は未来の子供たちに負の遺産を残す決定的今となってしまうことを見落してしまうのです私たちは歴史を貫いて働いている神を信じる者として「この世」の力ある者の今から目覚め方向転換し「今(カイロス)」を生きなければならないのですイエスが彼らに回心を勧めたように
 さあ「今」眠りから起き神の業に参与しましょうさもないと私たちは「泣きわめいて歯ぎしりする」(マタイ 24:51)だけでしょう


今週の一分間説教 Gospel on this week