今週の一句 |
「
ひまわりや 天地を吸って 大見得を
」 |
―もとゐ― |
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1999年6月13日(日) 年間第11主日 マタイ 9:36〜10:8
イエスを食する度に私たちはその神の慈愛に触れて、「隣人」になるよう招かれています。
ようやくNATOの空爆は止み,欧州は新たな道を歩き始めました。他方、日本の政治家たちは自らの地位権力を守るため国民を省みることなく,悪法を次から次へと成立させています。
イエスは弟子たちに「権能」を与えました。それは汚れた霊どもを支配し「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすため」でありました。即ち、「この世」に支配され、隷属され、差別され、暴力を受け、または、心身病む人、除け者にされ、顧みられない人たちを解放し、豊かな生命を取り戻すその奉仕をするためなのであります。決して、弟子たちがその特権を利用して自らの利益・幸福を追及するためではありません。
私たちはの多くは自分の能力地位境遇を与えられたのではなく得たと思っています。従って、野宿生活者に対しては彼らの能力の結果、努力のなさのいわゆる自業自得と見なしています。けれども、弟子たちに与えられた「権能」から考えると、私たちの才能なども「弱い立場の人たち」に仕えるためにこそ、「ただで与えられた」と考えられるのではないでしょうか。私たちの教会も「ただで受けた」のですから、ただで人々に奉仕することがイエスの招きに応えることになります。
さあ、イエスのパンを無償に与えられた私たちも自分をただで人々に差し出しましょう。
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