1999年5月30日(日) 三位一体の主日 ヨハネ 3:16〜18
力には力で対抗することがどんなに愚かなことであるかをユーゴの情勢は明らかにしました。にもかかわらず、米軍の後方支援をする新ガイドライン法成立、盗聴を認める組織犯罪法の衆院通過など、日本は性懲りもなく力に頼ろうとしています。
神は人間への慈愛を貫徹するために懲らしめるのではなくイエスの生命をとおして自己を無にしゆるし続けられました。何故、神はそれほどまで私たち人間を慈しまれるのでしょうか。それは、人間が争いごとを止め,特に、おのれの欲望のため、名も無き人々を虐げ、生命を奪う生き方を改め、すべての人間が生命の喜びを享受出来るよう互いが連帯して行くためではないでしょうか。しかし、神の私たちへの慈愛は事実ではなく、課題として私たちに投げかけられたのです。神が私たちを愛しておられることを身をもって私たちが示さなければならないのです。私利私欲のはかないことを、血で血を洗い、憎しみを増幅する暴力に生命の喜びがあるはずないことを。インドのガンジー、米国のマルティン・ルーサー・キング、等の非暴力無抵抗主義の運動が暴力に勝利したことを、語り続けるのです。社会の動きに無関心であることは神の愛に答えていないことです。
さあ、許されて、今、生命の課題を与えられた私たちは、生命の危機に晒されている人々を救うために行動しましょう。
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