1999年4月25日(日) 復活節第4主日 ヨハネ10:1〜10 |
イエスに失意し裏切った弟子たちにイエスの方から出会われたように、私への神の愛と許しはイエスへの想起においてのみ贈られるのです。しかし、それは私だけに与えられる排他的独善的なものではなく、他者へにも開放されているのです。「わたしは、羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。」(ヨハネ 10:11)
イエスの愛は弟子だけに特権的に与えられたのではなく、弟子たちは女性、子ども、異邦人、「罪人」に愛と許しを実現するために派遣されたのです。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネ 10:21)
さらに、弟子たちは、イエスが私たちのため己の生命を空にしたように、生命を分かつこにへ招かれているのです。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ 10:11)
「この世界」では、愛に基づく正義と平和のために働く人々を剣にかけ、沈黙させて来たことを歴史が明らかにしています。同時に、このような無数の犠牲者の上に、今日の「人権、平和」がもたらされたことも忘れてはなりません。
イエスの生涯は、今なお、多くの人々を世界の正義と平和の確立に駆り立て続けています。
さあ、神の愛に立ち直らされた私たちも、再び、イエスの門から入り、イエスの羊飼いに守られ、導かれ、世界の和解のため自己を分かちましょう。
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