1999年3月28日(日)受難の主日 マタイ 26:14〜27、66
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「
菜種梅雨 伸びて縮んで 花開く
」
―もとゐ―
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イエスが出会った苦しみ悲しみを負った人たちの傍らに立っていたように、私たちも隣人に成れと勧められています。
イエスは自分の身に刻々と迫ってくるユダヤ教指導者たちの魔の手に恐れおののいていたでしょう。けれども、イエスは自分を敵に売り渡し、最期には裏切るであろう弟子たちと食事を共にしたのです。それは、イエスが、常々、排除されてきた人々、貧しい者、病人、遊女たちと食卓の交わりをしてきたように、イエスの最期に心揺れている弟子たちの傍らにいようとしたのです。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。」(マタイ 26:31)
これは、非難でありながら何と慰めに満ちたことばでしょうか。弟子たちは憤慨したのですが、後に、気づきました。イエスはどんな時でも「隣人」になり続けました。人生に躓き、倒れた弟子を後から支えられるのです。
さあ、私たちも人々の応援者になりましょう。
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