ももちゃんの一分間説教


1999年1月31日() マタイ 5:1〜12
今週の一句
「 初春や 幸いなりと 主のみ声 」

―もとゐ―


 暗闇に光をともす人になれとイエスは私たちに呼びかけています
 競争社会に生きて行こうとする者は自分を強め高めることによって幸いを得ようとします自己の能力への過信,何事にも弱音をはかない強さ人を人とも思わない冷淡さ不正を厭わない大胆さ等が人に権力や富を蓄積させこの世の勝者にしますしかしこの世の勝者ははかないものです「栄枯盛衰盛者必衰の理をあらわす」ですにもかかわらず人々は勝者を目指し「頑張り」続けるのです
 さてイエスがその生涯を賭けて伝えた幸いは神から一方的に与えらる贈り物でしたぶどう園で夕方遅く雇われた人に与えられた賃金は朝一番に雇われた者と同額であった話し(マタイ 20:1〜15)のように神の国の幸いは人間的価値観に従うものではなくむしろ人間たちが拒否し反発し憎悪する人々の傍に神の方から居られることです
 今朝の新聞にもあったように競争を続け私的利益追求の人々は「受精卵遺伝子診断」をして生命の選別を計ろうとしています
 さあこういう世の中に対しイエスの弟子である私たちは苦しみ悲しみ正義平和を分かち合う生を送りましょうそこに神が居たもうからです


1999年1月24日() マタイ 4:12〜23
今週の一句
「 大寒の 神のみ国の 朝ぼらけ 」

―もとゐ―


 私たちはイエスと出会いこの世に従うのではなく神に導かれるよう招かれました
 2000年前ユダヤの人々は救いを待望していましたローマ帝国の支配下その閉塞状況下からの脱出を求めてある人々は神の掟を遵守することにある者たちは禁欲的隠遁生活の実践によりある層の人たちはローマからの政治的独立を得ることにそしてこれらの人々から見捨てられた貧しい者病人外国人らは絶望のうちに生きていました私たちの国は長引く経済的不況下何とか景気を良くしようと将来へのばく大な借金となる大金をつぎ込んでいます他方リストラで失業した人たち地震の被災者ホームレスたちは切り捨てられ生命が脅かされていますこれらの人々の生命が守られ豊かに生きるためには何が出来るのでしょうか
 イエスは言いました「悔い改めよ天の国は近づいた」(マタイ4:17)この世にではなく神の御心に人生の向きを変えなさい何故なら神が来られたのです神があなたがたの「隣り人」に成られたのです神が私たちと共に病を負い貧しさを耐え中傷を受けられたのです神の愛ほど確かなものはなにのです
 さあ私たちはイエスを通して神の愛をいただき強められました今度は私たちが暗闇にいる人たちの隣人となり神の光を指し示そうではありませんか「暗闇に住む民は大きな光を見死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ 4:16)


1999年1月17日() ヨハネ 1:29〜34
今週の一句
「 雪の原 雲層々の 碧き天 」

―もとゐ―


 神の子イエスは私たちが聖霊に導かれこの世にではなく神の下に生きるよう招きました
 さてこの世の支配者たちは自己の安定を保つために社会の隅々までコントロールします人や物をコントロールするには相手がまず何者であるかを知り次に分類して対策を練るのです例えばホームレスは「怠け者辛抱が足りない」と一括りして従って救済しないと政策を決定するのですユダヤ教の指導者たちは荒野の洗礼運動をキャッチしてその首謀者である洗礼者ヨハネが何者であるか探りに来ました「あなたはどなたですか」(ヨハネ 1:19)そして正体を知るとコントロールするのです「あなたはメシアでもエリヤでもまたあの預言者でもないのになぜ洗礼を授けるのですか」(同1,28)
 しかしいかにこの世の支配者であろうと神をコントロールすることはできません神に生きているヨハネは彼らの要請を無視しましたそしてイエスを「神の小羊」と呼んで彼らに「見よ」と指し示しました
 神は「機械仕掛けの神」即ち人のコントロールを受けるまた名前を付けられるものではありません私たちはただ「みる」ことしかあるいは「みよ」と示すことしか出来ないのです私たちがイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と信じるのは知的探求や「信じなさい」と言われたからではありませんイエスに働く神の業を「みる」からなのです
 さあ私たちはイエスを「あなたはどなたですか」と問うのではなく「み」ましょうそして人々に「みよ」と指し示しましょう


1999年1月10日() マタイ 3:13〜17
今週の一句
「 あらたまの 闇夜は裂かれし 月明かし 」

―もとゐ―


 私たちはこの世界を見るのではなくこの世界を越えた方を「見る」ようにイエスに招かれました
 さて私たちの日本では去年の暮れから正月にかけて「毒」事件が続いています「毒」は目に見えず犯人も分からないのでまさに真っ暗です古来私たちは暗黒に覆われ続けていますしかし闇の主を見透すことはできますその正体は人間の私利私欲でありますクリントンがイラクにミサイルを撃ち込のもある人が毒を盛るのも同じですパウロが言うように肉の業即ちこの世界の思いは「敵意争い怒り利己心不和等々」(参照ガラテヤ 5:19〜20)です
 イエスが登場したのは私利私欲の渦巻く闇のこの世界でしたイエスの存在はある人々には「光」だったのですまさに「これはわたしの愛する子わたしの心に適う者」(マタイ 3:17)であったのですでは何故ある人たちにはイエスは「光」であり「神の子」だったのでしょうかそれは彼らが人の思いに従ったのではなく聖霊に従ったからですパウロの言うように霊の実は「愛」(参照 ガラテヤ 5:22〜33)だからです即ちイエスは「愛」だったのです闇を払いのけられるのは人の思いではなく自己譲与の「愛」ですそしてその「愛」を見分けられるのは聖霊なのです
 さあ私たちも闇の中を右往左往するのではなく聖霊の導きにより光の中を歩みましょう


1999年1月3日() 主の公現 マタイ2:1〜12
今週のKey Word
「 わたしたちは東方でその方の星を見たので拝みに来たのです

(マタイ2:2)


 クリントンがイラクにミサイルを打ち込んだのは私利私欲のためでした斯様にこの世界の論理は弱肉強食ですその論理に支配されている内は弱い立場の者は強い者に翻弄され非業の死を遂げるのです
 しかし聖書の人々は違いますこの世の支配者や「普通の人たち」は足元の利益しか見ていませんそれに対し聖書の人たちは歴史を越えて働く方を「見て」います東方の占星術の学者たちは星を見ていましたまた夢のお告げに従いヘロデの陰謀に荷担しなくてもすみましたヨゼフとマリアは夢に導かれイエスを産みヘロデの手から逃れました
 私たちもこの世に従って弱い者苛めの連鎖に巻き込まれないようにしましょうさあ歴史を越えて働く方を見つめましょう


1999年1月1日(金) 神の母聖マリア ルカ 2:16〜21
今週のKey Word
「その光景を見て

(ルカ 2:17)


 救い主イエスの誕生のドラマはこの世的価値観からは秘された出来事でしたこの世の支配者たちや「普通の人々」には見えずむしろ彼らから貶められた異邦人の占星術の学者たちや野宿の羊飼いたちは「見る」ことができたのです何故ならば彼らは神の導きに従ったからでした
 〈「競争型社会」をつくり「小さな政府」をめざす)と小淵恵三首相の諮問機関である経済戦略会議が「日本経済再生への戦略」と題する中間報告をしました私たちの国はこれまで経済成長一辺倒のため人を犠牲にし環境を破壊して来ました経済停滞にあたって経済成長だけではないオルタネィティヴなもう一つの在り方に日本を変える絶交の機会となっていますにもかかわらずまたもやこの国の指導者たちはなおも人々を競争に駆り立て優者と敗者に分断し敗者を切り捨てて行こうと画策していますユダヤの人々が幼子イエスに神の御心を見ないで相変わらずダビデ王の再来を待つかのごとくであります
 羊飼いたちは飼い葉桶の幼子が救い主であることを「見た」のでした即ち神はこの世の勝者にではなく弱い立場の人たちと連帯することをこの世が敗者と呼ぶ者たちと共に居られるかたであることを「見た」のでした
 さあ新しい年の始まる今日私たちも羊飼いら共に小さき者たちのそばに居られる神を礼拝しそのみ心に仕える者になりましょう


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