ももちゃんの一分間説教
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「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」
(ルカ 24:5)
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ペトロを初めとする弟子たちは、イエスの「隣り人」になりなさい、という招きに従ってきました。しかし、イエスが十字架にかけられたときには、女性以外の弟子は誰もイエスの「隣り人」にはなれえなかったのでありました。
さて、イエスの死を見届けた女たちは、イエスの亡骸に香料を塗ろうと翌朝墓にやって来ました。しかし、イエスの体がなく途方に暮れてしまいました。その彼女たちに天の声が響きました。「あの方は復活なさったのだ。」
イエスは「苦難を負わされた人々」と自己を空にして共に在ったのでした。また、同様に、弱さを担ったペトロら弟子たちの側にも立ちました。そして、そのイエスは今も彼らの隣人であり続けるため「死さへ空にして」甦られたのであります。従って、そのイエスは墓ににではなく、「苦しんでいる人々、悲しんでいる者たち」の傍らに生きているのであります。
私たちは、イエスを教会の中だけに捜していないでしょうか。イエスを記念物にして、生きたイエスと関わっていないのではないでしょうか。
さあ、私たちは生きたイエスに会いに、「重荷を負った人、疲れた人々」と共に生きましょう。
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4月10日(金)聖金曜日 ヨハネ18:1〜19:42
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ペトロらを招いたイエスの「十字架の道」は、「足を洗う」僕となって、苦難を負う人々と共に生きる旅でした。 イエスはその道において徹底的に己を空にしたのでした。イエスはメシア(=救い主)にでもなく、王にでもならなかったのでした。
ユダヤ教の指導者たちはイエスを捜しました。「ナザレのイエス」を。彼らは、このただの人イエスを「神の子」と自称したから死刑にしろ、とピラトに告発しました。この世の支配者たちは、ただの人はただの人でなければならないとするのであります。労働者は勤労、女性は家事を、学生は勉強を、政治家
は国家の大事を、と「本業」をおろそかにするな、「分相応」が社会を秩序立てているのだ、が彼らの政策であります。ただの人イエスはそのユダヤ教の神殿支配体制下に呻吟する人々の「隣り人」になり、支配者たちに「悔い改め」を迫ったのでありました。 自己を空にするイエスの「悔い改め」は、支配者たちには目障りでありました。
私たちはイエスをさがします。自分に都合のいいイエスを。今の生活を守り、もっと豊さを与えるイエスを。そうではなくて、「分かち合い」をすすめるイエスにすら、そんな話は聞けない、それは共産主義だ、と罵るのであります。イエスには「ナザレのイエス」、すなわち、素朴で純良でおこらないイエスを欲するのみであります。
私たちは、このようにして、今日も、イエスを、そして、苦難を負う人々を十字架にかけるのです。
しかし、そのイエスは私たちの「隣り人」になり続けています。さあ、イエスの愛に目を覚ましましょう。そして、出かけて命の「分かち合い」をしましょう。
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4月9日(木) 聖木曜日 主の晩餐 ヨハネ 13:1〜15
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「この上なく愛し抜かれた。」
(ヨハネ 13:1)
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ペトロらが招かれたイエスの「十字架の道」は、苦難を負った人々との「共生」への旅でした。そして、その「共生」は、今、ここで、苦難にある人たちの苦しみを共に担うことでした。
イエスは処刑される前、弟子たちと最後の宴を持ちました。というのは、残された弟子たちのことに深く心を痛めていたからでありました。弟子たちには、自分の死後、同じくユダヤ教指導者たちから迫害され命を奪われる時が来る。その時、彼らは恐怖と混乱、裏切りに絶望するかもしれない、との危惧を抱いてました。それ故、イエスは彼らを何とか力づけようとしたのであります。
「足を洗う」それは、奴隷の勤めであり、客を主人としてもてなすことでありますから、差し出された足を洗わなければなりません。たとへ、その足の持ち主が裏切り者であろうと、敵であろうと断ることはできません。イエスはユダの足も、ペトロの足も洗いました。イエスは徹底的に奴隷になり自己を空にしのであります。他方、ユダとペトロにとってイエスは弱く狡く値なしの罪に汚れたこの自分を愛する「隣り人」でありました。
イエスは弟子たちに語りかけます。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように」(ヨハネ 13:15)迫害の最中、お前たちは互いに裏切り合うだろう、でも、その時こそ、互いに愛し合い、互いの「隣人」になろうよ、愛し合い、許し合うことだけが迫害を乗り越えられるのだから、と。
私たちは「十字架の道」の途中でほうり投げたり、逃げ出すことが幾たびもあるだろう。しかし、イエスはその弱さも「足を洗って」私たちを「この上なく愛し抜かれた」のであります。
さあ、私たちも疲れたとき足を洗い合いましょう。
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1998年4月5日(日) 受難の主日 ルカ 22:1〜23、56
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「あなたは立ち直ったら、兄弟を力づけてやりなさい。」
(ルカ 22:32)
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ペトロたちを招かれたイエスの道行きは、「共生」の旅でした。イエスが共に在ろうとする人々は、この世が「罪人」と呼び、隔離排除する「苦難を負った」人たちでした。イエスは彼・彼女らの「隣り人」になりこの世からの責め苦を引き受けたのでした。
この世は、そのイエスの生き方に不安をもち官憲に告発しました。「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」(ルカ 23:5)この世の力ある者たちは、人々が目覚め、連帯して権利を行使することを嫌います。むしろ、国民が富国強兵の戦士、銃後の母の役割を従順に担う限り、善良な国民として恩恵を施します。他方、国を批判する者、共産主義者、ドロップアウト者、老人、障害者らは、危険人物、厄介者として差別排除します。ホームレスが人権を要求し、居住場所を移動しないと、力ずくで追い出し、ホームレスと連帯する者たちを扇動者と非難するのであります。
イエスは「姦淫の女」の隣り人になり、それがために石打の刑に服そうとしました。同様に、「苦難を負った人々」と共に生きようとしたため十字架刑に処せられました。ペトロらは、そのイエスについて行けませんでした。私たちも、ホームレスの人たちと「共に生きる」と言いながらも、官憲から、嫌がらせや脅されると弱腰になり、言いなりになって、彼・彼女の側を離れてしま
います。
しかし、イエスは裏切ったペトロや私たちに「あなたは立ち直ったら、兄弟に力づけてやりなさい」と語られるのです。イエスは弱い私たちの「隣り人」になられるのです。
さあ、私たちはこれからも何度も「隣人」になることに挑戦しましょう。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ 22:32)とのイエスに支えられて。
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1998年3月29日(日) 四旬節第五主日 ヨハネ 8:1〜11
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「だれもあなたを罪に定めなかったのか」
(ヨハネ 8:10)
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ペトロらを招かれたイエスの旅は、苦難を負う人々の隣り人に「成る」ことでした。
古来から男性は女性を支配し続けてきました。例えば、日常何気なく使う言葉の中にも男性優位の価値観が見えます。「主人」と「奥さん」「家内」。また、賃金においても男女の格差が大きいあいています。このような性差別に女性たちが反抗するとき男たちは暴力をもって抑えこんできました。
男性は性欲の吐け口としても女性を利用してきました。「買売春問題」や「従軍慰安婦問題」に典型的に見られます。その中で、男たちは犠牲者である女性を非人間として貶めて来ました。「遊女」「売女(ばいた)」と蔑視したのであります。
イエスの前に引っ張られてきた「この女」は、まさに、男たちの立派さを際だたせる犠牲者となったのです。男たちは彼女の「姦通」をせざるを得ない悲しみ、痛み、苦しみには一顧だにしなかったのです。
イエスは男たちに言いました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女を」罪に定めなさい、と。即ち,お前たちはこの女の「隣り人」に「成った」ことがあるのだろうか、と。
イエスは、今、ここに、さらし者にされた「この女」の側に立ったのです。「この女」と共に「石打ちの刑」になろうとしたのでした。イエスは苦難を負った人々の側に立ったがために十字架につけられたのです。
イエスはこの私のために命を捨ててくださいました。
さあ、わたしたちも「この女」の傍らに立ちましょう。
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1998年3月22日(日) 四旬節第四主日 ルカ 15:1〜3,11〜32
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イエスに従うペトロの旅は、人々に「悔い改め」を勧めるものでした。それは、苦難を受けた人々と共に生きるためでした。
「共生」には、その人の苦難への共感が大事でした。私たちがその人の苦しみに心痛めないとき、その人は「あかのたにん」として、自己正当化の手段になり非難と差別の対象になるのです。
弟の行為は身勝手で、でたらめです。そして、その結果、身を滅ぼしても、「自業自得」と言われ、誰も救済しないのが当然です。兄は、そうだと思っていました。それゆえ、兄にはもはや弟は「私の弟」ではなくなり、むしろ、家名を汚した出来の悪い奴、帰って来ないでに野垂れ死にしてくれればよかったのに。それにひきかえ、俺は、勤勉で、質素・倹約家で何一つ迷惑も間違ったこともしていない、何と出来のいい男だ、親父もこの俺を誉めて相応の財産をくれるだろうと、自惚れられる「あかのたにん」になってしまったのです。
兄は弟の苦しみに心を痛められなかったのです。
弟は取り返しのつかない過ちを犯しました。しかし、今、弟は飢え死にするほどの苦しみに喘いでいます。ホームレスの人々はいろいろな理由でその境遇になってしまいました。なかには、ギャンブル、アルコール依存症、犯罪、等々、まさに自業自得の人たちもいます。しかし、今、彼らは、苦難にあります。その彼・彼女らの心に思いをおくとき、「あかのたにん」ではなく私の痛みに変わるのであります。
父は兄に言いました。「お前のあの弟は」
「悔い改め」とは、今、ここで、苦しんでいる人の側に立つことです。なぜならば、神こそがイエスを通して今のこのわたしを「あなた」と愛し続けているからであります。
さあ、あのサマリア人のように駆け寄って、「あなた大丈夫ですか」と声をかけに行きましょう。
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1998年3月15日(日) 四旬節第三主日 ルカ 13:1〜9
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「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」
(ルカ 13:3)
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ペトロは、休息を望みましたが、イエスの旅の途中ではかなえられず、苦難を負う人々との共生の道を歩み続けるよう、イエスに呼ばれました。
イエスに従うペトロらの共生の道は、一方では、洗礼者ヨハネのように「悔い改め」を告げることでした。それでは、「悔い改め」とは何でしょうか。
安息日に18年もの長い間、病に悩まされていた女をイエスが治した話があります。(ルカ 9:10〜17)そのところでは、ユダヤ教の指導者が安息日に病人を癒すことは律法の教えに違反することだと、イエスを非難しています。指導者にとってこの女は見えていません。この女がそれまでどんなに苦しんでいたのか。人からもまた神からも見捨てられ、いかほど絶望の淵を歩いていたかを彼は想像できませんでした。むしろ、宗教指導者としての自分の無能力を暴露される厄介者として、無関心、無視していました。また、病人に関わることによって、ユダヤ教のタブーを犯し、罰せられないよう自己を守るため律法を盾にしました。そんな指導者に、イエスは語りかけました。「この女は、18年もの間サタンに縛られていたのだ。」彼女の痛みに身を沈潜すれば、叫ばずにはおられないおだろうと。
「悔い改め」とは、他者の苦難に参与すること、すなわち、苦難を負っている人のそばへ駆け寄ることであり、その結果、自己を滅ぼすこととなってもそれを引き受けること、であります。まさしく、「行って、あなたも隣人になりなさい。」(ルカ 10:37)に通じることであります。
さあ、私たちは周りの嘆きの声々に耳を傾け、体の向きを変えましょう。そこには、人々が私たちを招いています。
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1998年3月8日(日) 四旬節第二主日 ルカ 9:28b〜36
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「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、」
(ルカ 9:32)
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イエスはペトロを、苦難を受ける人々と生きるために、自分の苦難を避けない、人々の苦難と共に在る旅に同行しました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ 9:23)
そして、イエスは、百人隊長という敵の異邦人の僕を癒したり、「罪深い女」を赦したり、「悪霊つき」や「出血症」の女を治すなどのところへペトロをはじめ弟子たちを連れて行きました。
これらのイエスの行為は、ペトロたちにしてみれば、それまでの彼らの生き方を規定してきた当時のユダヤ教に反する、危険で「涜神罪」として告発されても当然なことでした。にもかかわらず、弟子たちの危惧をよそにイエスが苦難を受けている人々の苦しみを取り除くことこそが大事と無頓着に突き進んで行くのを見て、いつ、自分たちが官憲から捕縛されるかとびくびくし、眠れない日々をペトロらは過ごしていたのでした。
そんな彼らにイエスは尋ねたのです。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(ルカ 9:20)ペトロはとっさに答えたのです。「神からのメシアです。」(ルカ 9:20)ペトロたちには確証が欲しかったのです。自分たちが同行しているこの人は一体誰なんだ。「出来うれば、従来、伝わっているメシアであって欲しい。であれば、私たちは迫害されることはやく、みんなから大歓迎されるのだ」と。
しかし、ペトロの思いは夢でした。「ペトロと仲間はひどく眠たかったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。」(ルカ 9:32)イエスの「栄光の姿」は彼の寝ぼけ眼にしか映らなかったのです。
私たちは、「小さい人たち」との関わりで重荷を負い切れず逃げ出したくなることが度々です。そして、私たちは十字架のイエスではなく「栄光のイエス」を求めてるのです。しかし、くたびれた私たちには神は十字架のイエスを見続けなさいと語られるのです。「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け」(ルカ 9:35)十字架のイエスは私たちの重荷をも背負ってくださるのです。
さあ、私たちも苦しみにあるときこそ、十字架のイエスを仰ぎみましょう。。
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1998年3月1日(日) 四旬節第一主日 ルカ 4:1〜12
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「荒れ野の中を“霊”によって引き回され」
(ルカ 4:1)
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ペトロのイエスとの旅は、暴力の日常化されている貧しい人々との連帯の生でした。そこにおいては、ペトロ自ら暴力を振るわれ、振るう現場でした。その現場においてイエスは「あなたの敵を愛せよ」とペトロと私たちを招かれるのでした。
私たちの日常生活は、世の中の流れに従っているとき、敵もいない、まあまあ平穏無事に過ごすことの出来る場です。しかし、世の中に矛盾を感じ、批判するとき、日常生活は急変し、敵が現れ、排斥され、暴力を振るわれる現場に変わるのです。今般の、米国がイラクに対し軍事行動を取るといったことも日本の私たちの生活には大した影響のないことだからと無関心であっても平素のように変わらない暮らしが出来るのです。しかし、その軍事行動には、日本が金を出し、その爆撃によって無数の子どもの犠牲者が出ることを想像したとき、私たちは無関心ではいられなくなるのです。勇気ある人は米国や日本政府を批判し行動に出るでしょう、そうすると、嫌がらせ電話とか手紙によって強迫を受けたりするのです。キング牧師は黒人の公民権運動に立ち上がったとき、自宅に爆弾を投げ込まれたり、ついには、暗殺されたのです。
それは、イエスが病人や貧しい人々の側に立ったことにより、ユダヤ教指導者たちから排斥され十字架につけられたのと同じです。
神の霊は私たちをその現場へと連れて行くのです。現場では私たちは、何度も悪魔に打ち負かされて、暴力を振るい敵を罵るったことでしょう。しかし、それでも、神は待ち、赦し続けられるのです。ぶどう酒がつきないように。
さあ、神の霊に従い、「弱い立場の人」のところへ出かけましょう。
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「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」
(ルカ 6:37)
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ペトロがイエスに招かれた「十字架の道」は、富者に媚びへつらう生ではなく、貧しい人たちとの連帯の生でした。
ところで、病人や貧しい人々、「罪人」と差別されている人々の境遇は、私たち中流階級の者には隠されていたりして知らないことや想像できないことが多くあります。例えば、ホームレスの人たちが、寝ているところへ酔ったサラリーマンが小便をひっかけたり、タバコを投げ捨てたり、また、子どもが暴行したり、青年によって川へ投げ込まれて殺されたり、あるいは、500円の貸し借りで殺人してしまったり、「しのぎ」といってホームレスを半殺しにして金品を強奪する者が、警察の知らぬふりをよそにやりたい放題しているとかであります。このように、ホームレスの人たちは日常的に暴力に晒されていること、そして、身を守ためには力しかないことを、私たちは知っているでしょうか。
その貧しい人々に関わるとは、わたしたちもその暴力に身を晒すということです。その時、あのイエスの言葉が私たちに迫ってくるのです。日常、暴力と縁のないところで生活している(?家庭内暴力、精神的暴力は日常茶飯事)私たちにとって、イエスの言葉は観念的でしかないのです。
ペトロがイエスの後について来たところは、まさに、ユダヤ教徒から差別、搾取され暴力を振るわれている場でありました。また、後には、イエス自身が殺された場でありました。そのイエスが言われた「敵を愛せよ」は、その場において問われる言葉です。
さあ、私たちは、貧しい人々のところへ出掛け、この言葉を学ぼうではありませんか。
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1998年2月15日(日) ルカ 6:17,20〜26
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「貧しい人々は、幸いである。」
(ルカ 6:20)
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イエスの招きは、ペトロの人生を私的幸福追求から他者と共に生きる人生に転換させました。その後のイエスとの道行きにおいてペトロは、多くの病人が癒されるのを目撃しました。(参照ルカ5:12〜6:17)
当時のユダヤ教においては、病人であることはもはや生きるに値しない、神から最も遠い人でありました。彼・彼女たちは社会からも家族からも閉め出され、極貧のうちに生きるしかありませんでした。また、その病人たちに近づき、手を触れることは、病人同様「汚れた者」=「罪人」となるのでした。従って、イエスの病気癒しの働きはユダヤ教社会において当然、拒否、追放されることだったのです。※@
イエスに同行したペトロは、何故、そこまでイエスはするのだろうと訝ったに違いありません。ペトロのそれまでの人生は、蓄えることが幸いであり、人との関わりでも身を削らない程度にしかして来なかったからです。しかし、そのような生き方は、自分さへ良ければと人と人を分断するだけで、幸いはもたらされないのです。一方、枕する所を持たず、生命さへ放棄するイエスにおいて病人や貧しい人たちは、神の近さを味わい、幸いを知ったのでありました。今や、神は病人や貧しい人々のもとへイエスを通して共に在る者となったのであります。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあながたのものである。」
ペトロがイエスから招かれた「共生」とは、今までのように自己を安全の場において人に協力するのではなく、自らを痛め、汚れ、削る関わりを持つこと、まさに、イエスが十字架にかけられるまで病人を癒した生き様だったのです。
さあ、私たちは自分だけの「ちっちゃい幸福」を捨て、身を減らしましょう。貧しい人々はその私たちと共に生きてくださるでしょう。
※@参照 宮本久雄『聖書の言語を越えて』P.134 東大出版会
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イエスの福音は、私たちを安直な私的赦しの恵みにではなく、身を切る「十字架の道」による他者と共に生きる恵みに招かれました。
従って、イエスの宣教が、悪霊を追放し病気を癒したのは、(参照ルカ4:31〜42)重荷を負う者たちと共にあったことに他なりません。しかし、それは故郷の人々には悪魔的業として拒否されました。今日の教会が、政治的経済的圧迫を受けている人々と共にある「解放の神学」を忌避するのと同じことであります。
ペトロたち漁業を生業にしている人たちにとっては、イエスの福音は自分たちの一生懸命の生活を賞賛し、愚痴を聞き、慰め、天国の切符を与えてくれる限りのものであって、生き方を根本的に替える痛みの伴う福音はごめんだったのです。ペトロらは今まで自分の生き方は自分で決めていたのです。それ故、イエスの言葉には、胸中拒みながらも、いやいや従ったのです。「お言葉ですから。」私たちも教会に対しては生き方までには口を出してもらいたくなく(「生活の苦労は自分が一番知っている。」)、信仰生活はせいぜい教会行事への参加のみに止めるのです。
しかし、イエスはペトロの態度にまかせます。イエスは渋々従うペトロを待ちつづけられます。ペトロがイエスの十字架直前に裏切っても望み続けたように。
身を切ることにイヤイヤしている私たちさへもイエスは見守ってくださるのです。
さあ、「お言葉ですから。」と他者の重荷を持ちましょう。
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「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し」
(ルカ 4:28)
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洗礼を受けた私たちは、イエスに導かれイエスと共に、「捕らわれた人々」を解放する人生に招かれました。しかし、その解放を告げるまさに福音Good Newsは、多くの人々に拒絶されることになります。
「今日、救いが実現した」とイエスから聞かされた故郷の人々は跳びあがって喜びました。というのは、洗礼者ヨハネから悔い改めを警告されていた人々は心安らかではなかったからです。神の怒りに戦々恐々としていたのです。そのような彼らに、イエスの救いの実現の宣言は、願ったり叶ったりでした。彼らは手放しで喜んだのです。
ところが、人々は思い違いをしていたのです。イエスの救いの宣言は、安直な罪の赦しではなく、痛みを伴う身を切る恵み、即ち、利己的生き方から他者と分かち合う生き方への方向転換によって実現されるのです。
イエスは預言者の例を出しました。それは、彼らに古代イスラエルの人々が「安価な恵み」だけを求めて、仮借なき預言者の警世の声に耳を傾けずついには滅んでいったことを思い出させるためでありました。イエスの言葉に彼らは手の平を返したように憤慨し、それだけではなく、イエスを崖から突き落とそうとしました。
現代の教会においても、安直な恵みを語っているうちは喜ばれますが、痛み、苦しみ、放棄の伴う福音を語るとき、イエスのごとく追放されてしまいます。
イエスに伴われた私たちの人生は「十字架の道」であります。しかし、ぶどう酒の尽きない、恵みと赦しの溢れる道なのであります。さあ、今日もこの道を祝おうではありませんか。
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1998年1月25日(日) ルカ1:1〜4、 4:14〜21
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「主の霊がわたしの上におられる。」
(ルカ 4:18)
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私たちの洗礼による神における生への旅立ちは、祝宴であり、汲めども尽きぬ神に支えられて続けられるのでした。
それでは、洗礼は私たちをどこへ向かわせるのでしょうか。よく言われるように、来世への個人の救済と安心、即ち、洗礼によって天国への切符を入手するのでしょうか。
しかし、今日の福音では、それは、私たちを「来世」へではなく「現世」へ向かわせる、と語られています。しかも、「現世」の恵まれた所にではなく、「貧しい人、捕らわれている人、目の見えない人、圧迫されている人」のもとへ「喜び、解放、視力の回復、自由」をもたらすため、だと言っています。換言すれば、洗礼により私たちは、現世においてすべての人々がその生を喜び祝う使命を与えられたのであります。従って、少なくとも、教会は他者の困窮、悲しみに無関心であったり、あるいは他者を差別・抑圧したり、締め出したりは出来ないはずであります。ところが、現の教会は社会との関わりを持たず、ゲットーとなり、見えなくなっているのではないでしょうか。それは、イエスを忘れ、自己に頼っているからではないでしょうか。
私たちは、今一度、「主の霊がわたしの上におられる」とイエスのように人々の前で公言しましょう。そして、私の生涯は、人々と共に人生の祝宴を開くためにある、と宣言しようではありませんか。ぶどう酒は尽きないのだから。
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「水がめに水をいっぱい入れなさい。」
(ヨハネ2:7)
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洗礼を受けたイエスは生命さへも神に返し、無となった「神の子」となりました。従って、私たちの洗礼は、イエスと同じく生を「この世」から神に置く方向転換への招きであります。
「この世」的生は、汲めども汲めども尽きない欲望の獲得競争であります。その果ては、空しさしか残りません。あのサマリアの女は、男との間だけに人生の意味を求めていました。しかし、互いの愛は求めても求めても満たされない手から砂がこぼれて行くものでありました。まるで、水を毎日かめにいっぱいにしても、なくなると同じようなものでありました。その彼女にイエスは「決して渇かない永遠の生命に至る水を持っている」と語ったのでありました。(参照ヨハネ4:1〜15)
神における人生は、婚礼の席のぶどう酒のように尽きれば終わるというその場限りのものではありません。神はイエスをとおして無尽蔵の愛を私たちに満たし続ける、終わりのない祝宴なのであります。私たちの人生は決して禁欲的なのではありません。
このようにして私たちの洗礼の歩みは、イエスから渇かない永遠の生命に導かれ、イエスが共に居続けられて行われるのであります。
さあ、ぶどう酒はいくらでもあります。安心して、イエスについて行きましょう。
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1998年1月11日(日)主の洗礼 ルカ 3:21〜22
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私たちの誰もが「乳飲み子」を前にしたとき、生命への愛しさを感じざるをえないでしょう。「生命への愛しさ」は、他者の困窮、苦悩、悲しみに無関心ではいられなくなるでしょう。しかし、私たちの社会は、ヒトのことよりまず自分のことをしなければ生きて行けない、と思わされているのです。
さて、そのような私たちの社会に、イエスは福音をもたらしたのです。
ところで、イエスは福音を語る前に、洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。ヨハネの洗礼は、「悔い改め」のしるしでありました。即ち、私たちが「生きる」ことを自力に頼り、自己に宝を積むことにではなく、神において、神によって、他者と共に生きることにあるとする方向転換なのであります。
「悔い改めにふさわしい実を結べ。…下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」(参照ルカ3:7〜14)
私たちは食糧を買うとき、明日、明後日の分まで仕入れようとします。その時、私たちの心には、今、ここで食べ物に不自由している人たちはいません。このような私たちの生活にまったをかけ、分かち合おう、というのであります。
イエスがその洗礼を受けたということは、福音とはこの方向転換から始まるのであります。まさに、イエスは神において、神と共に、神によって自分自身を「空」にして「神の子」となったのであります。
今や、未来の子供たちの命運は私たちの生き方に左右されると言っても過言ではありません。
さあ、私たちが洗礼を受けたしるしとして、冷蔵庫がいつも「空」である生き方をしましょう。
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「命は人間を照らす光であった。」
(ヨハネ 1:4)
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イエス・キリストは、幼子として私たちの前に姿を現しました。
生まれ出た無垢の幼子を前にしたとき、私たちの誰もが頭を垂れるのではないでしょうか。その生命は誰が与えたのでしょうか。「子はさずかりもの。」と言いますが、それは、人間がどんなに的努力しても与えられるものではなく、神の働きがあることをしめしています。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)また、同時に、その成長も神の守りがあって出来ることであります。
与えられた生命を、私たち人間は恣意的に利用することはできません。与えられものを最大限生かさなければならないのです。「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。」(マタイ25:14)イエス・キリストは幼子の生命が豊になるように、自分の生命を与えつくしました。「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネ1:16)イエス・キリストは私たちに生きることを教えられました。イエス・キリストは「人間を照らす光」であります。
さあ、私たちは、この光に導かれて、生れてきた幼子たちの生命を守り豊になるように私たちの生命を与えて行きましょう。
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1998年1月1日(木) 神の母聖マリア(世界平和の日) ルカ 2:16〜21
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もう、10年以上前、アフリカのエチオピアが大飢饉に襲われ何百万の人々が死線を彷徨っていました。その光景のテレビ放映されたなかに、その絶望的状況の最中でも、赤ん坊が誕生するところがありました。私はそれを見たときとても感動しました。が、しかし、彼の待ち受けていた生涯は、残念ながら、飢えと難民生活でしかないという、生れてこなかったほうが良かったという苛酷で残酷な生涯ではなかったのではありませか。
昨年10月にインドのボンベイに行った時、路上で生活する乳飲み子を抱えた若い母親が、その子どもに何か食べ物をくれとひっきりなしに物乞いする姿に私は首をふってノーというのが精一杯でありました。その子供の将来も多分、何も望みがないのではありませんか。
現代世界では、このように毎年何百万人の子どもたちが飢え、貧困により死んでいます。彼・彼女たちは何のために生れてきたのでありましょうか。
イエス・キリストは、当時、ローマ帝国の支配下にあるユダヤに生れました。また、家庭的には、貧しい日雇い大工の息子として、日々の糧に苦労したのでありました。彼の生涯もまた被征服民族として、抑圧、搾取される対象としての生だけなのでありました。しかし、彼はその生れ故に、抑圧差別された人々の生を自分の生として、人間らしく生きたいと彼らの側に居続け権力者たちを告発したのでありました。
「乳飲み子を探し当てた」羊飼いたちは、その子に自分たちの境遇を重ねたことでしょう。けれども、同時に、この子が幸せになることを人として祈ったことでありましょう。
私たちは、今日、生れてくる子供たちの人生が祝福されたものとなるよう
「この世界」を愛と正義と平和に満ちたものにして行こうではありませんか。
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