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2018年5月6日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書15章9-17節
ヨハネ福音書ではイエスと弟子、つまり、私たちとの関係を、色々に表現している。渇かない水、飢えないパンとそれを求める者、罪の奴隷から自由にする真理、良き羊飼いと羊、ぶどうの木とその枝、等々。そして、今回、イエスは私たちを僕ではなく、すべてを教えられ、守る友と呼んでいる。ここにも、「復活」がしたいからの蘇生ではなく、即ち、弟子たちはイエスから卒業、自立した者だと言うこと、何故なら、何をすべきかを既に教えられ、また、絶えず、イエスの言葉を考え、適応できる者になっているのだから。あらためて、聖書の学びを深めて行くことがイエスの復活に預かることを知ろう。 |
2018年5月13日(日) 主の昇天 マルコによる福音書16章15-20節
初めに、今日の箇所は、元来のマルコ福音書にはなく、後年、教会により編集付加されたことを指摘しておきます。 マルコ福音書は紀元70年ごろに書かれたと言われます。所謂、「昇天」はパウロ(50年代)のフィリピ人の手紙にある『キリスト賛歌』に出てきます。『キリスト賛歌』は原始キリスト教団(30年〜)から伝えられた信仰と言われています。従って、各福音書のイエス・キリストは誰かの記述は、教会の信仰に基づいた記述で、歴史的なものではないと言うことです。 つまり、「昇天」は『キリスト賛歌』にあるように、キリストの十字架刑死にまで自分を無にして神に従ったことゆえに、神からすべてのものが従う権力を与えられたことを意味します。そして、弟子への世界宣教の命令は、同じく、全世界の人々がイエスに従うよう宣教することに他なりません。しかし、それが、南米などの悲劇を生んだことを忘れないようにしましょう。 さて、本日の箇所にはイエスの宣教によって新しい世界が到来すると言われています。「新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害をうけず、」これは、イザヤ書11章の自然と人が和解する理想状態を詠っているところです。野獣と幼子の共生のように。つまり、イエスの言葉に生きるとき弱肉強食の世界ではなく、万物との和解、」共生に生きることとなる、と言う素晴らしい祈りです。あらためて、この壮大な夢を実現するためイエスに学びましょう。 |
2018年5月20日(日) 聖霊降臨の主日 ヨハネによる福音書15章26節-27節,16章12節-15節
イエスはガリラヤの風に背を押され、ガリラヤの人々の中へ入って行った。そして、最期まで、その力を感じ、応えた。残された弟子たちも、息吹を受け、全世界へとイエスの記憶を伝えに出かけて行った。神の力、息吹、風は「聖霊」と呼ばれる。聖霊の働きに応える集団を教会と言う。 |
2018年5月27日(日) 三位一体の主日 マタイによる福音書28章16節-20節
イエスとの出会い、交わり、信従は私たちを管理、競争社会の深淵から自由、自立した生き方へ方向転換させた。この喜びを分かち合うことを「宣教」と言うのだろう。イエスをより深く知るためにイエスが吸った父でう神の息、学んだ知恵である聖霊を旧約聖書から探求することは、その「宣教」に欠かせない。 |
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