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2017年7月2日(日) 年間第13主日 マタイによる福音書10章37-42節
イエスは神の呼びかけに応えたため、家族を残し出奔した。また、家族から「狂人」と取り押さえられかけた。そして、弟子の裏切り、逮捕、処刑された。イエスは誰からも強制されることなく、やること、すべきこと、夢の実現に自己決定された。『出エジプト記』の奴隷から自律人への困難な旅を思い起こさせる。そのイエスの旅に私たちも呼ばれている。 |
2017年7月9日(日) 年間第14主日 マタイによる福音書11章25-30節
イエスは弟子たちを「神の国」宣教へと遣わした。と言うのは、神の御心を示されたから。即ち、病人が癒され、足の不自由な人は歩け、重い皮膚病を患った人は清められ、死人は甦る、ことが神のみこころであることを教えられたのだ。それは、弱肉強食の価値観に生きる知者や賢い者からは拒否され排斥されることであるけれど、神は人の生き方として呼びかけられるのだ。 イエスは柔和で謙遜な者、つまり、質実剛健ではなく耐えがたい重荷に押し潰された者であるにもかかわらず、神の呼びかけに応えられたのだ。そのイエスに招かれた私たちは弱さに喘ぎながらついて行けるのだ。 |
2017年7月16日(日) 年間第15主日 マタイによる福音書13章1-23節
神様は私たちが永遠の命、つまり、毎日を生き生きと勇気をもって生きられるようにと忍耐強く導き続けられています。まるで、農夫が種を何度も何度も蒔き続けるようにです。イエス様はその種の一つです。イエス様によって私たちは初めて人間の本当の生き方を教えられました。「病人が癒され、重い皮膚病を患っている人は清められ、足の不自由な人は歩けるようになり、死人が生き返る」ように、私たちは不自由な人重荷を負っている人の友となり、仲間になることをイエス様は命を捨てるほど率先して行いました。イエス様の種は2000年後の今も何千、何万の人の人生を幸いなものとしました。私たちもイエス様の背中を見続けながら、苦しんでいる人、悲しんでいる人の友だちになりましょう。その姿をみなさんの子どもさんやお孫さんが見られて、あとをに続き、30倍50倍100倍の実をつけるでしょう。 |
2017年7月23日(日) 年間第16主日 マタイによる福音書13章24-43節
神の国は「良い麦に雑草が混じった畑」のようだ、との譬え。性急なしもべたちは雑草を早く抜け、と言うが主人は収穫までそのままにしておけ、と言う。確かに、主人の言うように人が雑草を抜くとき良い麦まで抜いてしまうことがある。 良い麦と雑草の区別が難しいこともあるだろう。同様に、人、教会が神に代わって、良い人とそうでない人を分けて裁くことのないようにとの忠告と神は最後までを見届ける方であることを、この譬えを教えている。 |
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