ももちゃんの一分間説教



今週の一句
風光り 森林浴浴びて 行く列車

―もとゐ―


 2017年6月4日(日)
 聖霊降臨の主日

 ヨハネによる福音書20章19-23節

20,19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20,20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20,21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
20,22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
20,23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 イエスの「復活」とは、弟子たちを「再生」した働きを言う。イエスの捕縛、十字架刑に直面した弟子たちが裏切り、逃亡したにもかかわらず、何故か、しばらくたって、再び結集し、イエスこそ「主」と宣言し、追従した「新生」を言う。創世記にある深淵の上を吹き渡り、混沌を分け秩序を形成した、その神の霊、風の働きや、土の塊である人を生きるものにした「神の息」の働きを連想させるように、弟子たちの立ち上がりにイエスによる息の吹き入れを描写している。 
今週の一句
紫陽花や 色濃くなりて 雨待ちぬ

―もとゐ―


 2017年6月11日(日)
 三位一体の主日

 ヨハネによる福音書3章16-18節

3,16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3,17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
3,18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

 神は人が永遠の命に生きるよう、その模範としてイエスを遣わされた。ここに、神の人への愛、すなわち、人を大切にしていることを示される。人がそれに気づき、イエスに信従するには、絶えず、イエスの生涯の振り返り、資料としての旧約聖書の理解が不可欠となる。「聖霊」とは旧約聖書とイエス、新約聖書の理解を深め、現代世界をよりよく生きるための働きを言う。
今週の一句
空梅雨や 安堵危惧交じり 雨乞いす

―もとゐ―


 2017年6月18日(日)
 キリストの聖体

 ヨハネによる福音書6章51-58節

6,51 〔その時、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
6,52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
6,53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
6,54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
6,55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
6,56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
6,57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
6,58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 イエス・キリストは旧約のモーセに優るキリスト教会の指導者、神の言葉を示し、その模範をのこした方。彼によって、彼を通して、真の人生の旅を歩み続けることができる。その意味で、イエス・キリストは天から降ったパンなのだ。 
今週の一句
アガパンサ 雨水求めて 勇姿なし

―もとゐ―


 2017年6月25日(日)
 年間第12主日

 マタイによる福音書10章26-33節

10,26 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
10,27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
10,28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10.29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
10.30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
10.31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
10.32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
10.33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 イエスは弟子たちを「神の国」の開始を告げるため、悪霊払い、病気癒しに派遣した。イエスにとって神の創造されたこの世界には、飢え、渇き、病む人が不利益に扱われず、大切にされ、命と幸いが平等に与えられるはずであったが、現実には、搾取と差別を受け、苦難の生活であった。彼らが人らしい生活の出来るように働きかけること、それを「悪霊払い」「病気癒し」と表現した。当然、支配者、富者からはイエスの行動を許さず排除した。したがって、弟子もまた、イエスのように狼の群れのなかに送られることとなる。


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