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2017年5月7日(日) 復活節第4主日 ヨハネによる福音書10章1-10節
ヨハネ福音書ではイエスを「良き羊飼い」と言う。何故か。イエス時代のユダヤ教指導者たちは「良き羊飼い」ではなかったのだろうか。ガリラヤの農民たちは下層階級として、エルサレムに住む大祭司、貴族、大金持ちから、重税と煩雑な律法に重荷を負わされ疲弊困憊にあった。飢え、病い、差別に苦しめられていたのだ。その苦難にある人々の荷を軽くすべくイエスは働かれた。人々が生き生きと希望を持って人生を生きられるようにされた。しかし、それを社会秩序乱すこととして指導者たちから殺害されたのだ。そのイエスを「良き羊飼い」と呼ぶ今日の箇所を黙想したい。 |
2017年5月14日(日) 復活節第5主日 ヨハネによる福音書14章1-12節
イエスを「道、真理、命」であると宣言し、従う、私たちは「虚言、脅し、萎縮」の言葉にはノーと言える。 |
2017年5月21日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書14章15-21節
ヨハネ福音書ではイエスの十字架刑死を栄光と呼び、父のもとへ上る、帰ることと解している。従って、イエスは地上にはいなくなり、弟子たちはその姿を見ることができない、と言う。では、不在のイエスにどのように従えば良いのか、となる。その不安に、イエスは聖霊を送り、聖霊に従うよう、弟子に教えている。聖霊は知識、知恵、識別、勇気の霊と言われるように、イエスの言葉を理解することだ。イエスの生き様を通して語られる言葉を自分の生き方の指針にし続けることが、生きたイエスに従うこととなる。 |
2017年5月28日(日) 主の昇天 マタイによる福音書28章16-20節
イエスの復活とは、「高挙」、つまり、イエスが神の右の座に着き、その権能を授けられたことを意味する。(フィリピ2・6-11)従って、イエスが神のもとに昇る故、「昇天」とも言う。 さて、そのイエスはガリラヤ、苦難の人々と生きたからこそ神から全権を委ねられたのだ。ガリラヤに生きたイエスを人生の最高規範と信じる弟子たちは、古代イスラエル人がモーセを介して神の言葉を授かり荒野を旅したように、弟子たちはガリラヤに生きたイエスの言葉と行いの道を歩むことと、他者にもその価値を伝えることを使命とした。 |
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