ももちゃんの一分間説教



今週の一句
空梅雨や 空の潤い アガパンサス 

―もとゐ―


 2016年7月3日(日)
 年間第14主日

 ルカによる福音書10章1節-12節、17節-20節

10,1 〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
10,2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
10,3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
10,4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。
10,5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。
10,6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
10,7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。
10,8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
10,9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
10,10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。
10,11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。
10,12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
10,17  七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 
10,18  イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 
10,19  蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 
10,20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 

 イエスは宣教に72人を派遣した。その宣教は悪霊を追放するためと言う。イエスのいたガリラヤにはごまんと飢えた人、病む者、裸の人、差別され虐げられた人々が横たわっていた。悪霊追放はその非人間化する構造、制度、利己心を変革することを意味する。イエスは狼の中に小羊を送り込むと表現している。それほどの困難な闘い、自己を捨て、十字架を背負うこと、。枕するところさえないことなのだ。72人はその宣教に派遣されたのだ。そして、私たちキリスト者も。
今週の一句
さくらんぼ 酸っぱさ残して 蔕を引き

―もとゐ―


 2016年7月10日(日)
 年間第15主日

 ルカによる福音書10章25節-37節

10,25 〔そのとき、〕ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10,26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
10,27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
10,28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
10,29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
10,30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
10,31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10,32 10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10,33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
10,34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10,35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
10,36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
10,37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 イエスの弟子たちは宣教報告をした、「悪霊が屈服します。」と。それを受けてイエスは、「サタンが天から落ちた。」と答えた。これはキリスト者が何であり、何をするのかを端的にっている。

 今日の「よきサマリア人」の譬えではそれを具体的に示している。即ち、神を愛し、隣り人を愛することがキリスト者であり、神を愛するとは祭司のように神殿で神に生贄を捧げることではなく、隣人に目を向けること、つまり、「追剥に襲われて傷ついた人」を助け起こし介抱すること。それはマタイ福音書のイエスが「裸の人、飢えた人に服を着せ、パンを与えたのは私にしてくれたのだ」と言った意味と同じ。

 これが「悪霊の追放」、即ち、人権回復なのだ。更に、イエスが隣人となったのはユダヤ教共同体から差別され排除された遊女、徴税人、ライ病者であった。それらを含め「追剥に襲われた人」と括れるだろう。よって、イエスに倣うキリスト者とは支配者、権力者から人権、生命を奪われた人の隣人になることなのだ。  
今週の一句
空梅雨や 蛙鳴けども 天は泣かず

―もとゐ―


 2016年7月17日(日)
 年間第16主日

 ルカによる福音書10章38節-42節

10,38 〔そのとき、〕イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10,39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
10,40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
10,41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
10,42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 イエスは実に「隣人」になることが上手い。マルタから非難されるマリアの側に立たれた。忙しく立ち働いているマルタを前に何もできないマリアは肩身狭く居場所がなかっただろう。イエスはそんなマリアが一番必要なことを選んだ、とマルタに告げたのだった。マルタは何をイエスが言ったのかわからなかっただろう。

 マルタは有能な働き者であるが故に、そうではないマリアは弱者で、常にマリアの上に立つ強者となる。追剥に襲われ傷ついた人の「隣人」になれと呼びかけたイエスはマリアの隣人となった。たとえ、マルタから非難されようとも。 
今週の一句
浴衣っ娘 ホーム賑やか 夏祭り

―もとゐ―


 2016年7月24日(日)
 年間第17主日

 ルカによる福音書11章1節-13節

11,1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
11,2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。
11,3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
11,4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
11,5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
11,6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
11,7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
11,8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
11,9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
11,10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11,11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
11,12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
11,13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 祈りは神の前に身を置き、神の声に耳を傾け、何をなすべきかを決断すること。マリアの姿勢に繋がる。祈りを口ずさみながら自分の歩みを導く。「今日のパンを求め、負債の帳消しを求める。」ことをイエスと弟子たちはその運動方針にした、と言う。まさに、貧しい者への福音だ。貧困、飢え、暴力に打ちひしがれている人々の「隣り人」になること。
今週の一句
ポケモンQの 人並み絶えず 蝉時雨

―もとゐ―


 2016年7月31日(日)
 年間第18主日

 ルカによる福音書12章13節-21節

12,13 〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
12,14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
12,15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
12,16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12,17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
12,18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
12,19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12,20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12,21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 蔵に収まり切れない程の財を残して突然亡くなったこの主人公は子孫にほくそ笑まれて「偉い人」と称賛されたことだろう。しかし、雇われた農業奴隷から見れば、血も涙もない鬼、強欲な搾取者として、恐れられ軽蔑されただろう。

 他方、飢え病み裸の人々の仲間であるイエスからは非難されても致し方ないだろう。イエスは聖書の教えを聞いていた。「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。」「あなたは「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えたのは主」である。(申8、11〜18) 


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