|
2016年6月5日(日) 年間第10主日 ルカによる福音書7章11節-17節
イエに出会い、その生き様に触れたガリラヤの貧しい人々は「神の国(=神の支配)」の始まったと見た。それを病人の癒し、死人の蘇生と当時の黙示文学的表現で表した。何となれば、ガリラヤの貧しい人々は差別され、虐げられ、捨てられて、死線を彷徨わされていたからだ。例えば、現代のシリア難民のように。彼らの望みは迫りくる死の圧力、即ち、支配階級の暴力、一般人の利己主義、無関心に立ち向かい、乗り越える勇気だ。イエスはまさにただの弱小のいち市民でありながらも、権力の迫害にもかかわらず、敢然と立ち向かって行った人、正しく「神の人」であるとガリラヤの貧しい人たちは驚き見たのであった。 |
2016年6月12日(日) 年間第11主日 ルカによる福音書7章36節-8章3節
福音書にはイエスの食事の場面が度々描かれている。取税人レビやザアカイとの食事、5000人への供食、いわゆる最後の晩餐、そして、今日の箇所であるファリサイ派シモンからの招待による食事、等々。 さて、食事を共にするとは、食卓に連なる者の親密を表す。仲の悪い者とは食卓を共にしない。サークルや団体の食事も成員同士が同じ目標に向かい、努力し、一致協力する仲間であることを表す。 このことから、イエスが当時のユダヤ教世界から「罪人」と呼ばれた徴税人や遊女と食事することは、イエスにとって彼・彼女たちは仲間であったのだ。それに対し、シモンにとって食事を共にする人は「正しい人」と呼ばれる者に限られていたのです。何故なら、彼らは神との約束を忠実に守り、「聖なるもの」になれとの呼びかけに応えることが彼らの生き方であった、それゆえ、神に背いた「罪人」との交わりは「汚れ」に染まるから、彼・彼女らを排除、食卓を共にしなかった。シモンは許可もなく食事の席に入って来た女を苦々しく思ったでしょう。 更に、なぜ、預言者と評判の高いイエスが女性をおいださないのか、訝ったことでしょう。しかし。、イエスはシモンの想いどおりにはならなかった。むしろ、知らされた。律法、つまり、神の示される生き方を、レビ記やイエスの教えでは律法の中心は「自分を愛するように、隣人を愛さいなさい」だ。自らを「正しい」として「罪人」「穢れた者」と他者を呼び、差別、いじめ、排除する者が「聖なる者」であるはずがないのだ。「遊女」「」取税人」と飯を食うことが「聖なる」ことなのだ。 |
2016年6月19日(日) 年間第12主日 ルカによる福音書9章18節-24節
群衆(ガリラヤの下層民)はパンと癒し平等を求めてイエスに従った。また、中流層である弟子たちも各々期待を込めてイエスに従った。 それ故、イエスの「私を誰と言うのか」の問いに、観念的な答えを弟子たちはした。確かにカトリックの要理テストでは模範解答だろう。しかし、続くイエスのことばはイエス信従とは口先だけの模範解答をすることではなく、実際に、イエスの苦難の道を歩むことを示している。と言うのは、何故か、ルカ版には削除されているが、他のマルコ、マタイ福音書のいあるペテロへのイエスによる叱責の記事から分かる。 クレド(信仰箇条)をミサで唱えること信仰ではない。利己的人生ではなくイエスと一緒に苦難にある人たちと歩み続けることこそ「信仰」と呼ばれる。 |
2016年6月26日(日) 年間第13主日 ルカによる福音書9章51節-62節
イエスに従うとは、自分の命を捨て、日々、自分の十字架を背負ってついて行くこと、とイエスは言う。今回はさらにつけ加えている。即ち、枕するところもない、死者の葬りは人に任せなさい。暇乞いするな、と。それらは、まるで、出エジプトの物語りではないか。出エジプトは「自律」への物語りと言われる。従って、イエスに従うことは、「神」に頼ることか「自立」への道と言える。 |
|