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2016年5月1日(日) 復活節第6主日 ヨハネによる福音書14章23節-29節
「復活」のイエスに出会うとは、マルコ福音書におけるガリラヤの重荷を負った人々と関わる人生を選ぶこと。ヨハネはそれをイエスの弟子に示された生き方を選びなさい、と言い換えている。抑圧された人々の中で生きることに教会は呼ばれている。 |
2016年5月8日(日) 主の昇天 ルカによる福音書24章46節-53節
「復活物語」は「聖霊降臨」までを含み、他の福音書では一つの出来事として描いているが、ルカだけは時間的に区別して描いている。40日目の「昇天」50日目の「聖霊降臨」と。しかし、意味するところは同じだ。即ち、イエスの十字架刑死後、恐れて逃げ去った弟子たちが再び集まり、死を賭してイエスを「救い主=キリスト」との宣教に立ち上がったことを物語にしたということ。従って、「主の昇天」を祝うことは、私たちキリスト者が宣教に目覚めることだ。ルカは宣教を「証人」になると言い換えている。それはイエスの生き様を証しすること。イエスの目指したものを追求することだ。イエスは重荷を負っている人々の荷をかるくし、誰もが大切にされるよう働いた。キリスト者の使命もここにある。 |
2016年5月15日(日) 聖霊降臨の主日 ヨハネによる福音書14章15節-16節、23b-26節
聖霊は風。激しい風に神を想像した古代人。聖霊は息。同様に、人間の命を神の息を吹き込まれたものと古代人は考えた。風も息も人間を生かし、動かす。聖霊降臨は教会の誕生と言われる。ならば、教会は人間を生かし働かせる平和を構築することがその目的なのだ。 |
2016年5月29日(日) キリストの聖体 ルカによる福音書9章11b節-17節
飢えた人や極貧の人々がいなくなるには、何をしたらよいのか。タックスヘイヴンと言われることを止め、税金を公正に分配することではないか。戦争は最大の無駄である。 |
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