ももちゃんの一分間説教



今週の一句
上り行く なんじゃもんじゃの道 空青く

―もとゐ―


 2016年5月1日(日)
 復活節第6主日

 ヨハネによる福音書14章23節-29節

14,23 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14,24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14,25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14,26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14,27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
14,28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
14,29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」

 「復活」のイエスに出会うとは、マルコ福音書におけるガリラヤの重荷を負った人々と関わる人生を選ぶこと。ヨハネはそれをイエスの弟子に示された生き方を選びなさい、と言い換えている。抑圧された人々の中で生きることに教会は呼ばれている。
今週の一句
五月空 指先留まる 羽化した蝶

―もとゐ―


 2016年5月8日(日)
 主の昇天

 ルカによる福音書24章46節-53節

24,46 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた聖書には〕「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
24,47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、
24,48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
24,49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
24,50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24,51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
24,52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、
24,53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 「復活物語」は「聖霊降臨」までを含み、他の福音書では一つの出来事として描いているが、ルカだけは時間的に区別して描いている。40日目の「昇天」50日目の「聖霊降臨」と。しかし、意味するところは同じだ。即ち、イエスの十字架刑死後、恐れて逃げ去った弟子たちが再び集まり、死を賭してイエスを「救い主=キリスト」との宣教に立ち上がったことを物語にしたということ。従って、「主の昇天」を祝うことは、私たちキリスト者が宣教に目覚めることだ。ルカは宣教を「証人」になると言い換えている。それはイエスの生き様を証しすること。イエスの目指したものを追求することだ。イエスは重荷を負っている人々の荷をかるくし、誰もが大切にされるよう働いた。キリスト者の使命もここにある。  
今週の一句
ゲーマーの列 割り込み座る 電車は初夏

―もとゐ―


 2016年5月15日(日)
 聖霊降臨の主日

 ヨハネによる福音書14章15節-16節、23b-26節

14,15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
14,16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
14,23b わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14,24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14,25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14,26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

 聖霊は風。激しい風に神を想像した古代人。聖霊は息。同様に、人間の命を神の息を吹き込まれたものと古代人は考えた。風も息も人間を生かし、動かす。聖霊降臨は教会の誕生と言われる。ならば、教会は人間を生かし働かせる平和を構築することがその目的なのだ。 
今週の一句
大輪の 白き紫陽花 雨を待つ

―もとゐ―


 2016年5月29日(日)
 キリストの聖体

 ルカによる福音書9章11b節-17節

9,11b 〔そのとき、イエスは群衆に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
9,12 日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
9,13 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
9,14 というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
9,15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
9,16 すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
9,17 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。

 飢えた人や極貧の人々がいなくなるには、何をしたらよいのか。タックスヘイヴンと言われることを止め、税金を公正に分配することではないか。戦争は最大の無駄である。 


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